桜雨
もう何日も雨が続いている。ふったりやんだり。先週もそんな感じだった。
だから、代官山のハンバーガー屋に折りたたみ傘を忘れてしまった。行きはふっていたのに、店を出るときには晴れ間が広がっていた。
「予報どおり晴れましたね」
なんてうかれて店員に話していたら、傘立てに置いたまま店をあとにしてしまった。
ビニール傘を開きながら、空を見あげる。昼さがりの春の雨はやさしく、北沢川緑道の桜を静かにぬらす。
雨にぬれた花びらは、少し色が濃くなって見えた。雨がしみ込んだ枝や幹は黒さを増し、色づいた花びらをよりあざやかに際立たせている。
桜が満開を迎えたというニュースからもう数日経っているのに、まだ半分くらいつぼみを付けた桜の木もちらほらある。よそはよそ、うちはうち。子供のころ、母親に言われた言葉を思い出す。
SHELTERの前に着くと、数人の男性が地下におりる階段でたばこを吸っていた。友人と談笑している人もいれば、汗をぬぐっている人もいる。トップバッターのバンドの演奏が終わり、外に一服しに出てきた人たちだ。
ビニール傘をたたみながら、たばこの煙をくぐるようにして階段をおりる。受付の手前には空ビンのケースが積まれていて、そこに何本か傘が引っかけられていたので同じように傘をかけた。
受付で名前を伝えて取り置きチケットを購入しようとすると、リストに名前が書かれていなかった。
「じゃ、当日券でお願いします」
情けない声を僕がこぼすと、受付の女性スタッフはそれをさえぎるように
「こちらで名前書いとくんで大丈夫です。前売りの値段でいいですよ」
と、笑顔で会計してくれた。
先日、友人と飲みに行った居酒屋の店主とは大違いだ。あの店主は無愛想にもほどがあった。しかも、しまいにはかなり小さな声で話していた僕たちの会話にわざわざ割って入ってきて
「女性のお客さんもいるんだから、そんな話するんじゃねぇよ」
と、すごまれた。あの店には、もう絶対に行かない。
カウンターでビールを受け取り、会場の一番うしろの壁にもたれかかる。起きて最初に口にするものがビールだなんて、僕もずいぶん大人になった。食道と胃袋に冷えたアルコールがしみわたる。
これから始まるのは「でぶコーネリアスEX」というバンドのライブ。彼らを生で観るのは初めてだ。
今日のライブはバイト先のサノさんに誘われた。サノさんはバンドマンで、彼らと仲がいい。
以前からサノさんにスマホで撮影した彼らのライブ映像を観せてもらっていた。YouTubeに動画もあがっていて、自分でもいくつか曲を聴いた。
現在のメンバーはボーカル、ギター二人、ベース、ドラムの5人編成。ハードコア・パンクをベースにしながらも、型にはまらないオルタナティブなサウンドを放つ激しいロックバンドだ。
サノさんは、彼らのことをいろいろと教えてくれた。18年前に結成し、当時は「でぶコーネリアス」という名前の中学生バンドだったとか、銀杏BOYZのツアーサポートを務めたことがあるとか、コーネリアスと対バンしたこともあるとか、ボーカルは絵も得意で、サノさんが前に組んでいたオールライツというバンドの12インチシングルのジャケットを描いてもらったとか、ベースの大友達人、通称「たっぴー」は吉本の芸人だとか。
たっぴーは、前から知っていた。僕の9年後輩。シモキタの「しろゴリラ」というバーで働いていて、何度か話したことがあった。
ステージにバンドのメンバーが登場する。髪を結わえたボーカルが、おもむろにテナーサックスを吹き出す。
太く、伸びのあるジャジーな音。それに呼応するように、まわりのメンバーも楽器を鳴らし始める。
まだ音楽になっていない。それぞれがばらばらで、響きだけが野放図に広がる。
ボクサーがジャブを繰り出すように、サックスが音色を短く刻む。何度も、同じリズムで。
ベースとドラムがそれに反応する。2本のギターは、音をひずませながらサックスとユニゾンになっていく。
磁石に引き寄せられる砂鉄のように、一気に音が一つのかたまりになった。その瞬間、ボーカルがテナーサックスをマイクに持ち変え、曲が始まった。
客を圧倒するパフォーマンス。ボーカルは叫び踊り狂い、ほかのメンバーも楽器を持っているとは思えないほど高い打点のジャンプを繰り返す。
MCのウケかたもすごかった。数曲が終わり、疲れはててステージでうずくまるボーカルに向かって、たっぴーが
「休むなああっ!」
と、喝を入れると爆笑が起こった。
それからもたっぴーのトークはさえわたり、完全に会場の空気をコントロールしていた。ライブ後、僕のとなりで観ていた男性客が
「MCおもしろすぎるだろ」
と、つぶやいたのを聞いたときには自分のことのようにうれしく、誇らしく思えた。
でぶコーネリアスEXの演奏が終わり、帰ろうと外に出ると、また階段にたばこを吸っている人がたむろしていた。しかも、さっきの比ではない。
上から下まで、すべての階段の両端に人が立っている。外はまだ雨が降っているから、雨があたらない階段にぎゅうぎゅうに喫煙者が集まっているのだ。
空ビンのケースに引っかけたビニール傘を手に取る。胸もとに傘を押しあて、左右から来る煙をよけるために少し頭をかがめながら階段をのぼる。
この感じ、遠い昔に経験したことがある。
「飛び立とう! 光り輝く未来向かって!」
卒業証書を抱え、在校生がつくった手のアーチをくぐった記憶がよみがえる。
階段をのぼりきり、たばこくさい学び舎をあとにする。傘もささず、雨の中に飛び出す。
紺のジャケットが雨にぬれて濃紺になっていく。そんなこと気にせず走り出す。あのつぼみを付けた桜も、まだ雨に打たれている。
このコラムの著者であるピストジャムさんの新刊が2022年10月27日に発売されました。
書名:こんなにバイトして芸人つづけなあかんか
著者名:ピストジャム
ISBN:978-4-10-354821-8
価格:1,430円(税込)
発売日:2022年10月27日
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ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。