元花王DX担当部長が吉本に所属して「民間校長」になったワケ…人気ラジオの元“カリスマ校長”グランジ遠山と熱い教育談義

文化人として吉本興業に所属し、花王でデジタルトランスフォーメーション(DX)推進などに携わった生井秀一さん(46)が茨城県の民間校長公募に合格し、この4月から下妻第一高校・付属中学校に赴任しました。大手企業で長年活躍してきた生井さんは、なぜ吉本に所属したのか、どうして校長になろうと思ったのか、これから学校でなにをするのか――。ラジオ番組で10年間にわたって“校長”をつとめたグランジ・遠山大輔との対談で、これまでのこと、これからのことを大いに語ってもらいました。

出典: FANY マガジン
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花王で社長賞に3回輝いたスゴ腕営業マン!

生井さんは、洗剤や化粧品の大手メーカー・花王にこの3月末まで24年間、勤務していました。その間、3回の社長賞に輝き、DX戦略推進センター・ECビジネス推進部長などを歴任してきた人物です。一方で今年1月から文化人として吉本興業に所属し、ラジオのパーソナリティ(ニッポン放送「ラジオ情熱ラボ」)も務めています。

今回、茨城県教育委員会が実施した中高一貫校の校長公募には1,645人の応募があり、最終的に合格したのは3人。その1人が生井さんであり、初の吉本所属“校長”が誕生しました。

しかし! 吉本にも、10代に向けた人気ラジオ番組「SCHOOL OF LOCK!」(TOKYO FM )で10年間、“とーやま校長”としてリスナーの若者たちに寄り添ってきたグランジ・遠山がいます。「学校」に見立てた番組で、若者たちの声に耳を傾けてきた遠山は、これから校長になり、学校改革を進めていく生井さんにどんなことを期待するのでしょうか――新学期にふさわしい、吉本の新旧・校長対談です!

――生井さんは花王で“伝説の営業マン”だったと聞きました。そこから吉本所属となり、さらに校長になるというユニークな経歴ですが、その経緯を教えてください。

生井 花王は大きな会社なので全国採用は東京であるんですけど、僕の出身地である茨城県の支店が人員を補充するということで地方採用があったんです。その当時は就職氷河期で、地元に帰りたいと思って就職活動をしていたもののなかなかうまくいかず、そこで応募してみたら募集人員に対して応募が少なかったみたいで(笑)、なんとか受かりまして。

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ただ、入社しても、東京で採用された同期からすると「お前だれ?」みたいな感じでした。それが悔しくて「営業成績では、ぜったい負けないぞ」と頑張った。それが功を奏して、水戸から東京のほうに引っ張られる形で声がかかったんです。

遠山 地方採用から東京へ、という流れはすごいですよね!

生井 僕、プレゼンだけは上手だったんです。花王のなかで全国の優秀なセールスマンが集まるプレゼン大会というのがあって、そこで他の人とはちょっと違ったプレゼンテーションをしたのがきっかけで声がかかった感じです。

遠山 どういうプレゼンをしたんですか?

生井 当時、担当していたドラッグストアの店長の声をパソコンに取り込んで、会場でその音声を流しました。みんな「え? 店長きたの?」みたいになって。後に担当になるDX(デジタルトランスフォーメーション)を、そのときにすでに始めていたわけですよね。内容はたいしたことなかったと思うんですけど、「演出が面白い。変わったやつが水戸にいるぞ」という話になり、「あいつを東京に」という流れになった、というわけです。

遠山 ちょっと、ここまでですでにトーク仕上がりすぎじゃないですか?(笑)

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生井 いや、そんなことないですよ(笑)。でも、ラジオをやらせてもらっているのはあるかもしれません。あと営業なので、人と話すのは好きかもしれませんね。

遠山 となると、営業は天職みたいな感じだったと?

生井 はい、天職でしたね。それはそうだと思います。

――東京でも成果を次々とあげて、社長賞に3度も輝いたそうですね。

生井 他人と同じ人生を歩みたくはない、というのがポリシーとしてあります。当時、ある大手コンビニチェーンの棚には花王の商品はほとんど入っていなかった。そこをこじ開けるのが僕の仕事だったんですけど、コンビニの棚には売れ筋の商品しか置いてもらえない。そこを僕がねじこんで、「メンズビオレ」という顔を拭くシートを入れてもらったんです。

遠山 どうやってねじこむんですか?

生井 そのコンビニは商談時間もとってもらえないんですよ。まずはそこからと思ったので、ある土曜日にキーマンになる人が出社するという情報を聞き、出待ちしたんです(笑)。それをきっかけに「どうしたらうちの商品を置いてくれますか?」とヒアリングさせてもらって。それで、向こうが必要としているものが見えてきた。1の要望が来たら、10は返すスタンスで対応していったら、「いままでの花王さんと違うね」と認めてくださって、バババッとそのコンビニに花王の商品が並ぶことになったんです。

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「縁と運とタイミング」で校長公募に挑戦

――花王では最年少で部長職に就くまで順調に階段を上っていたのに、辞めて茨城県の中高一貫校の校長をやろうと考えたのはなぜですか?

生井 花王には24年間、お世話になったので、正直すごく悩みました。ただ、最終的には「縁と運とタイミング」だったかなと思います。それまで教育に興味を抱いていたわけではないんです。僕は野球をしていたから勉強もあまりしてこなかったし。
でも、ここ2年間、新型コロナによって世の中が変わったこともあり、学び直しをして大学院に通って、MBA(経営学修士)を取得しました。そこで経営というものを学んだとき、せっかく学んだことをどう生かそうかと思ったんです。かつ、茨城県で戻ってそういう活動ができたら素敵だなと。そのとき、大学院で言われたことを考えました。「社内価値よりも市場価値を高めなさい」。つまり、会社の中での自分ではなく、外での自分の評価を高めろということです。

遠山 なるほど。プロ野球のFA(フリーエージェント)みたいなものですよね。ほかの球団がどのくらい自分を買ってくれて、年俸はいくらくらいになるかっていう。

生井 おっしゃるとおりです。でも、僕に来るオファーは、DX系とかEC(電子商取引、ネットショッピング)の部長とか、花王にいても同じだよなというようなものばかり。そんななかで、たまたま茨城県の民間校長の公募が目にとまりました。今年で4年目になる取り組みで、昨年は1,600人以上の応募に対して4人合格という狭き門だったので、「ダメだろうな」と思いながら受けてみたら合格したんです。

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募集要項に「起業家的リーダーシップを育成できる人」とあって。あとは「過去の慣習にとらわれず新しいことができる人」「マネジメント経験がある人」「社会と学校を結び付けて何かができる人」みたいなことが書かれていて、それらが自分に当てはまる気がしたんです。しかも地元である茨城県だし、この募集要項に「縁」を感じたんですよね。

遠山 これはもう自分しかいないと。

生井 そうなんです、「僕しかいないな」と。もちろん、やったことないしなぁとか、公務員になるのは苦労するかなとかいろいろ思ったし、なにより校長公募の合否が出る前に花王を辞めなければならなかった。そのときは究極の選択でしたね。やっとつかみ取った部長というポジションというのもあるし、悩みましたね。でも、やった後悔はあとに残らないけど、やらない後悔はずっと残る。ダメ元でいいから、やってみるしかないなと思ったんです。

遠山 すごいですね! それでダメだったとしたら、渋谷のヨシモト∞ホールからピン芸人として漫談から始めることになってましたよ(笑)。

伝統は守りつつ学校を変えて行きたい!!

――遠山さんは“校長”の先輩として、いまの子どもたちを取り巻く環境についてどう思いますか?

遠山 僕は2020年3月にラジオ番組「SCHOOL OF LOCK!」の“校長”を卒業したんですが、それまで10年間やらせてもらいました。いろんなタイミングで「昭和のときの自分の悩みと、いまの令和を生きる若者たちの悩みは違いますか?」とか言われるけど、根底にあるものは変わらないと思います。もちろんデジタルがネイティブな世代だったりして、悩みの見え方は違いますけど、悩みの出所は基本的には同じ。そんなに変わりはないなと感じましたね。

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生井 じつは、僕の子どもが中1と高1なのですけど、同じように感じます。入学式や授業参観に行ってみると、「これだけ時代が変わっても、学校という場所は変わってないな」と思うことが多くて。伝統を守るという立場もわかるんです。ただ、ちょっとくらい新しい取り組みが見えてもいいと思うんですが、学校というのは僕が何十年前に卒業したときのままなんですよね。

遠山 それ、すごく思います。僕はいまでもたまに「SCHOOL OF LOCK!」に出させてもらうんですけど、この間の放送で校則の話になって。それも僕らの時代のままなんですよ。“自毛証明書”を提出して「生まれつきこの髪の色なんです」と言っても認められなかったり。いまだにこんなことあるのかと思います。
でも、先生のなかには僕らと同じような感覚を持って「これはおかしい」と思っている人もいるはず。「もっと自由でいいじゃん」と思いながらも、組織としてのしがらみがあって、なかなか変えるのが難しかったりするとか……。

生井 僕は、大学に入るという「手段」が目的化してしまっていることが、いまの学校教育の課題だと思っています。大学を出たあとに何を目標としていくのか――そういうことを学ぶきっかけを作りたい。いままでの時代は、言われたことを着実にやればよかった。でも、これからの時代は新しいものを生み出すような人材でないと。大学に行ったあとに何をやるのか、そこを起点にして自分の人生を考えなさいと伝えたいですね。
そのために、外部だったり、それこそ所属している吉本興業のアカデミックなツール(よしもとアカデミーなど)が役立つのではないかなと思うんです。これと結びつけることで、学生の新たな活躍の場が生まれるはず。そうやって結びつけることで、どちらにも風を吹き込めたらいいなと思っています。

遠山 いい! めちゃくちゃいい!

生井 僕は茨城県で、「学校と社会と企業を結び付けるコンソーシアム(共同事業体)」を作りたいと思っています。高校生のビジネスコンテストみたいなのをやりたいです。そして、そのビジコンの全国大会常連の高校にするというのが目標です。甲子園や高校生クイズに続く「高校生によるビジネスコンテスト」を有名にしていきたいです。

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よしもと芸人が学校で授業!?

遠山 むちゃくちゃ楽しそうですね! (高校生漫才日本一を決める)「ハイスクール漫才」というのもあるんですが、そこでは漫才を通してコミュニケーションも学ぶことができます。どこまで言うとお客さんに伝わるか、とか。ボケとツッコミだけの世界ではなく、それを聞いている人にもわかりやすく。お笑いは、まさに人と人とのコミュニケーションなんですよね。
あと個人的には、芸人が学校に行って授業とかもやってほしいなと思うんですよね。笑いを交えながら、伝えたいことはちゃんと伝える。芸人はそういうのが長けているので。

生井 そういうことをやれたらいいなとは思っています。企業に入れば、プレゼンの嵐ですからね。どこをいちばん伝えたいのか、それを効果的に伝えるにはどうすればいいか、というようなことを学ぶ場を設けたい。ただ、学校スケジュールはぎちぎちに決まっているらしいので、そこにどう風穴あけていくか、と考えています。
とりあえずは、これまでのやり方や伝統を尊重しつつ、この学校に足りないものが何なのかを見つけようかなと考えています。デジタルを活用してできることなのか、吉本という外部の力なのか……。ひとまず今年1年間は副校長なので、その間に考えようと思います。

――では最後に、とーやま校長から生井さんに応援のメッセージをお願いします。

遠山 いや、僕なんておこがましいですけど(笑)。僕も(ラジオ番組で)最初は「いいこと言わないと」「いいものを与えないと」と思っていました。でも、全然うまくいかなくて……。なぜかというと、主語が自分だったんですよね。自分が良く思われたい、放送を聴いている人に褒めてもらいたいというのが自分の中にあったからダメだったんだなと。

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それであるとき、リスナーを友だちと思ってやろうと思った。そうしたら不思議なもので、言葉もスムーズになったんです。そういうふうな気持ちでいてくれたら、きっと子どもたちも「生井校長のところに話を聞きに行こうぜ」となると思います。

生井 いまの話を聞いて、いまの時代に合った“マネジメント”の仕方だなと感じました。3月にあったWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の栗山(英樹)監督もそうでしたけど、選手を前面に立たせて、監督はあまり出ない。選手を信じて、ある意味、友だち感覚で現場のリーダーと監督が裏で支える。サッカー日本代表の森保(一)監督もそうだったと思います。ぜひ学校経営もそうしたいですね。あまり校長が「自分が、自分が」となるのではなく、遠山さんに教えていただいた「友だち感覚」を大事にしてやっていきたいなと思います。

遠山 とりあえず生井さんの話、ドラマ化されるってことでいいですか?(笑) ハッピーエンドが絶対に待ってますよ!

生井 僕も4年後、ハッピーエンドが待っていると信じて、1年目はなかなか大変かもしれないですけど頑張りたいと思います!