そぞろ歩き
下北沢駅から三軒茶屋方面に10分ほど歩くと緑道にぶつかる。この緑道は北沢川緑道というのだが、名前についた北沢川はすでに暗渠化され、その姿はいまはもうない。
代わりに、現在はその上に人工の小川が流れている。人工の川というと、コンクリートで固められた水路のようなものをイメージすると思うが、そうではない。
幅1メートルほどの、かぎりなく自然に近い小さな川。魚もザリガニもいるし、土手には野草も生えている。花のまわりにはチョウが舞い、集まった小鳥は草むらを楽しそうにぴょこぴょこ跳ねまわっている。大きな白サギがやってくることもしばしば。
川のせせらぎを楽しみながら、散歩する時間は幸せだ。心が落ち着き、いやされる。
春になると、緑道はやさしい薄ピンク色に染まる。数キロにわたる桜並木。風に吹かれて舞い落ちた桜の花びらが、歩道や小川を埋めつくす。この世のものとは思えない幻想的な光景に酔いしれる。
この緑道沿いには、古くから文学者が多く住んでいたという。詩人の萩原朔太郎や坂口安吾、斎藤茂吉などの小説家。名前をあげれば、きりがないほど。名だたる文士たちも、この緑道を同じように散歩していたのかと思うと感慨深い。
緑道には有名作家たちの文学碑、顕彰碑、句碑がいくつも並ぶ。それらを足を止めて眺めるのも一興。どのあたりに住んでいたとか、どんな生活を送っていたかとか、著作にはこんな一説があるとか記されている。
いつか僕の顕彰碑も建てられるんだろうな。作家気取りの売れていない芸人がつぶやく。
もし建つとしたらこのあたりかな。斎藤茂吉の句碑と萩原朔太郎の顕彰碑を越えた先のエリアに目星をつける。
ここなら偉大な文学者たちの邪魔にもならないだろう。しかも、このあたりはピザのデリバリー中によくサボって休憩していたところだからなじみもある。
そんなことを考えながら歩いていると、目の前に見るからに真新しい顕彰碑が建てられていることに気がついた。ステンレス製のプレートに刻まれた文字をのぞき込む。
ピストジャム 文学顕彰碑
ピストジャム(一九七八年〜二○九九年)は、バイト文学を切り拓いた先駆者だった。
お笑い芸人として活動するかたわら、エッセイストとしても名を馳せ、バイトと文学の融合の可能性を生涯探究した。かけもちバイトの第一人者としても知られていて、彼が残した作品の数々はフリーターのバイブルとして、いまも愛されている。
下北沢に100年住んでいたことから、下北沢に関する作品が多い。
50種以上のバイト体験を綴った処女作「こんなにバイトして芸人つづけなあかんか」は、発売当初世間の反応は冷ややかだったが、徐々に人気を博し、最終的にバイトシリーズは第20作まで刊行された(死後に発表された「すきでバイトしてるわけちゃうねん」はここに含めない)。彼が築きあげた総バイト数1000種の記録は、ギネスにも認定されている。
慶應義塾大学法学部政治学科を卒業したという噂だが、真偽はさだかではない。
晩年までピザの配達のバイトをしていたが、ビジネスバイトと揶揄された。
ちなみに、この顕彰碑が建つ場所は、彼がバイトをサボるときに好んで利用していた地である。
最期の言葉は「マジで絶対オレの顕彰碑つくってな」だった。
視界の端に、何かの気配を感じる。目をやると、大きな白サギが優雅に翼を広げて飛んで来て、すっと川べりにおり立った。
見とれてしまうほどの美しさ。映画『スタンド・バイ・ミー』の主人公が、森の中で鹿と遭遇する神秘的なシーンと重なる。
白サギは僕を一瞥して、川に長いくちばしをひと突きした。そして、何かをくわえて、くちばしを天に突き立てた。
バリ、ゴリ、ガリ、ガリ、ゴリ。
ザリガニの甲羅はたやすく砕かれ、赤いハサミもだらしなくたれさがったかと思うと、またたくまに白サギの腹の中にすっかり飲み込まれた。
突然、残酷な弱肉強食の世界を見せつけられて、思わずあとずさる。
視線を戻すと、ステンレス製のプレートはもう跡形もなく消え去っていた。川のせせらぎだけが、何ごともなかったかのように静かに静かに響いていた。
このコラムの著者であるピストジャムさんの新刊が2022年10月27日に発売されました。
書名:こんなにバイトして芸人つづけなあかんか
著者名:ピストジャム
ISBN:978-4-10-354821-8
価格:1,430円(税込)
発売日:2022年10月27日
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ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。