東京・神保町よしもと漫才劇場所属で芸歴8年目のぺんとはうす(ヤマト、世良光治)が、4年ぶりに7月に開かれた第41回『今宮こどもえびすマンザイ新人コンクール』で最高賞の福笑い大賞を受賞しました。これまでダウンタウンをはじめ、多くの人気芸人たちが受賞したお笑いの“登竜門”ともいえるこの大会。今回は、優勝したのにどこか浮かない顔つきの2人に、ハプニングの連続だったという当日の様子に加え、コンビの現状についてなど語ってもらいました。
大阪・今宮戎神社の「今宮こどもえびす祭」の一環として開催されるこの大会は、ダウンタウンが駆け出しのころに最高賞を受賞したことで知られるほか、大木こだま・ひびき、宮川大助・花子、ナインティナイン、メッセンジャー、海原やすよ ともこ、レイザーラモン、ミルクボーイなど、そうそうたる芸人たちが各省を受賞してきた由緒正しきお笑い賞レースです。
コロナ禍の影響で4年ぶりの開催となった今回の大会には、今後の活躍が期待される若手芸人156組がエントリー。7月23日(日)に開かれた最終審査で、コンビ結成から8年目のぺんとはうすが福笑い大賞を受賞しました。なお、奨励賞をcacao、香川登枝緒記念敢闘賞をぐろう、福娘大賞をファンファーレと熱狂がそれぞれ受賞しています。
芸歴5年以下の大阪吉本勢に囲まれて「完全アウェイ」
――福笑い大賞受賞、おめでとうございます! いまの率直な気持ちを聞かせてください。
世良 ありがとうございます! もちろん嬉しいんですけど、いろいろとあったというか(笑)。コロナ禍で丸3年開催してない大会やったんですけど、今年は久しぶりに開催するということで。
東京吉本の社員さんから「誰でも出られるので自由にエントリーしてください」とメールで連絡をもらったので、参加することにしたんです。僕らは芸歴8年目なんですけど、いざ行ってみたら大阪吉本は5年目以下の芸人しか参加してなくて。
ヤマト 完全アウェイ。大阪の同期はフースーヤとかなんですけど、いませんでした(笑)。
世良 東京は9年目、10何年目の先輩もおったので、大阪の芸人からしたら、「なんでお前らが来てんの?」って感じですよね。僕らとしても、芸歴重ねてんのに負けると東京がめっちゃ弱いなと思われるので、ちょっと気負ってしまったんですけど、東京勢は予選をしっかりと勝ち上がりました。
――キャリアの差がものを言ったと。
世良 そうですね(笑)。けど、出番が終わって楽屋に戻ったら大阪吉本の後輩全員、立って挨拶してくれたのは、めっちゃ恥ずかしかったです。優勝したのも嬉しいんですけど、5年目以下の大阪吉本の子らからしたら、「え……?」って感じでしょうし。
ヤマト 決勝発表のクラッカーもな?
世良 福笑い大賞が発表された瞬間、決勝進出者全員でクラッカーを鳴らすことになってたんですけど、「ぺんとはうす~!」って呼ばれた瞬間、ぜんぜん音が揃ってなかった。
ヤマト パン……パン……パ、パンみたいな感じでしたね。
世良 しかも、東京のマネジメントと所属している神保町の劇場に(優勝の)連絡をしたら、「大阪から写真が来るまではなんとも……」みたいなことを言われて、優勝したことを信じてもらえなくて。
大阪の社員さんが盾を持った僕らの写真を撮ってくれたんですけど、あの人、誰やったんでしょう? そのとき撮った写真データがどこにあるんか、わからないんです。
ヤマト 僕、予約してた夜行バスに乗るために急いでタクシーに乗って帰ってたんですよ。そしたら、戻って来いって言われて(笑)。
世良 僕が大阪の社員さんに「相方さんを呼び戻してください」って言われたんです。戻ってきたヤマトは(賞金の半分が入った)封筒を渡したあと、目の前で「1、2、3……」ってちゃんと10万円あるか確認されてました。
賞金と盾も回収されてしまったんで、いま手元になくて。3カ月後に振り込まれると聞いてますけど、ちょっと信用できないですね(笑)。
「会社が出ていいよって言うから出たんです!」
――ハプニングの連続だったんですね(笑)。東京に戻ってきてから、芸人仲間からの祝福はありましたか?
世良 みんな、「おめでとう」とはもちろん声をかけてくれました。けど、僕らと一緒に参戦していた先輩のぶったまさん、おミュータンツさんが「望まれた優勝じゃなかった」みたいなことを面白おかしく話すもんですから、みんなも半笑いで。
しかも尾ひれはひれがついて、5年目以下しか出られない賞レースに僕らがウソついて出たことになってて。
ヤマト 僕らは知りませんでした! 会社から出てもいいよって言われたから出ただけです! これだけは絶対に書いといてください!
世良 ルール違反はしてません!(大賞を獲ったことが)ネットニュースになるのも、FANYマガジンさんが初めてなんです。そやから、これを読んで、僕らがほんまに優勝したんやんって信用してもらいたいですね。
――おふたりは、2015年にコンビを結成する前は別のコンビで活動されていたそうですね。
世良 NSC(吉本総合芸能学院)の同期ではあるんですけど、ヤマトは「ギガスラッシュ!!」というコンビでその期の首席になりまして、僕は僕で「セラ山本」というコンビで活動してました。
ヤマトはNSC時代から『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)の特番にも出たりしていたので、一夜でTwitter(現・X)のフォロワーが4000~5000人増えたりもして、デビュー当時からいろんな番組にも引っ張りだこだったんです。
ヤマト 売れたと思ってバイトを辞めました。トータルテンボス・藤田(憲右)さんに、オリエンタルラジオを最初に観たときとお前らの輝き方が一緒やと言われまして。
バイトを辞めて家賃も倍のところに住めと、4時間くらい説得されて、そうしました。その4日後、大村さんにお会いして藤田さんに言われたことを伝えたら、「絶対にやめとけ。あいつの言うことは聞くな」と忠告されたんですけどね。
だいぶ経ってから藤田さんに「藤田さんの予言外れました!」と伝えたら、酔っててそのときのことをまったく覚えてなかったんです!
世良 え、そうやったん?
ヤマト 「オレ、そんなこと言ったっけ?」って言うてました(笑)。
世良 で、彼のコンビはデビューして1年経たずに解散して。そこから2年弱くらい潜るんよね?
ヤマト はい、バイトばっかりしてましたね。借金があったので、しっかりと返済してから戻ってこようと思ってました。
世良 僕はコンビでコツコツと活動してたんですけど、3年目の夏くらいに相方が、講談師になるから辞めると言い出しまして。僕も辞めようかなと思ってたんですけど、ほかの同期と話してるときに「そういえばヤマトって何してんねやろな?」という話になって。連絡して2年ぶりくらいに会うて、コンビを組むことんになったんです。
「びっくりするぐらい人気はない」けど「面白くはある」
――コンビを組んだ最初から、しっくりは来るものはあったんですか?
世良 彼、前のコンビのときはツッコミやったんです。で、僕はボケやったんで、そのままできるかなと思ってたんですけど……。
ヤマト 僕、ツッコミが下手で(笑)。ツッコミの7割が「なんでやねん!」やったんですよ。
世良 下手っていうか、アホやねんな。ダブルボケとかにも挑戦してみたんですけど、それも変やなってなって、いまの僕がツッコミでヤマトがボケというかたちになりました。
――現在、神保町に所属していますが、現状はどうですか?
世良 2カ月に1回ある『Jimbochoグランプリ』は3回連続入れ替え戦に入っているので、半年くらい落ちかけの位置にいます(笑)。
ヤマト 下位20組が下(のカテゴリーの上位)と入れ替え戦をするんですけど、毎回、なんとか勝ち残って神保町に所属できています。けど、4日後にある『Jimbochoサバイバルバトル』で落ちてもうたら……。
世良 この記事が載るころには、僕ら、神保町メンバーじゃなくなってる可能性もあります(注・8月5日に開催された『Jimbochoサバイバルバトル』で残留決定)。人気も全然なくて……。僕らのことを呟いてくださっているツイートには全部「いいね」するようにしてるんですけど、最近はステッカーを譲られてたりとか、チケットを譲られてたりとかしかなくて。
ヤマト びっくりするくらい人気はないですけど、面白くはあると思ってます!
世良 そうですね。やから、面白いと思ってくださる方を増やしていけたらいいですね。
――今後の目標を教えてください。
世良 劇場でバーっと人気が出ていくっていうタイプではないので(笑)、コンビで売れるならやっぱり賞レースを頑張るしかないのかなと。あと、ロケをやっていきたいです。
ヤマトは自然体でいろんな方に好かれる子なので――レジェンドと比べるのはおこがましいですけど――出川哲郎さんのようなポジションを2人で目指せたらいいなと思ってるんです。
ヤマト 僕もロケは楽しいから好きですね。なんやっけ? よう言うてくれるヤツあるやん。
世良 パンドラの箱? 開けてみなわからんっていう。
ヤマト それ! いまの僕はまだそういう感じなので、いつでも笑いが取れるようになりたいですね。
世良 僕はNGK(なんばグランド花月)に出ることも1つの目標ですし、漫才を長年やり続けて大トリを務められるような位置に行くことも目標の1つです。
『M-1』も大事ですけど、漫才が好きなので『上方漫才大賞』の大賞を獲ることも目標。まずは、いままで1回も出たことのない大阪の劇場も出てみたいですし、いろんな挑戦をしていけたらいいですね。