10人目の男
重い体を引きずって始発電車に乗り込む。夜どおし吉本本社の巨大な黒板に絵を描いていたから、肩と腰が悲鳴をあげている。
早く横になりたい。鼓膜に響くサイケデリックなキーボードのメロディとジム・モリソンの歌声に刺激されて頭はまだなんとか動いているけれど、体はもう限界に近い。いまなら、どこでも寝られる気がする。
ドアーズからボブ・ディランに音楽を変える。車窓を眺めながら『ライク・ア・ローリング・ストーン』を聴いたら、不意にほろっと泣きそうに。
シモキタに着いて、地下3階ホームから地上まで一気に伸びる長い長いエスカレーターに乗ると、少し気分が晴れやかになった。見あげた銀の階段の頂きは、吹き抜けの大きな天窓からたっぷりと朝日が注がれて天国みたいに輝いていた。
改札を抜けると、駅に向かってぱらぱらと歩いてくる人のなかに知った顔。ジョー・クパチーノさん。ラッパーでもあり音楽プロデューサーでもあり駅前のNAWOD CURRYのスタッフでもあるジョーさんは、まだ20代。
イベント終わりだろうか。仲間たちと談笑するその姿は、朝の日差しを全身に浴び、いつもに増してきらきらしていた。
「もう夕方だね」
「いや、朝だよ」
たしかに寝すぎたときって、朝なのか夕方なのか、一瞬どっちかわからないことあるよね!
すれ違いざま、心の中で会話に参加する。
連絡先を交換した仲なのに、疲れてぼろぼろになっている自分が恥ずかしくて声がかけられなかった。
南口商店街はまだ眠っている。それをいいことに、店先のシャッターの前にも人が眠っている。
酔いつぶれて死体のように眠りこける若者たちが、あっちにもこっちにも。ざっと7体。まるで戦国時代の合戦のあとのよう。
そうか、昨日は土曜日か。
威嚇する獣みたいに、けたたましい音を立ててやってくるごみ収集車なんてものともしない、みごとな熟睡っぷり。誰もぴくりともしない。
平和だ。このうえない。
王将の先の、ファミマの前でもひとり新たに発見した。30代くらいの男性。歩道の植え込みに、あお向けになって背中を預けている。絶対に何本か背中に枝が刺さっていると思うのだが、気持ちよさそう。
少し歩くと、その先のセブンの角にも。地べたにあぐらをかき、腕組みして寝ているサラリーマン。おそらく30代後半か40代。スーツ姿で、むだに姿勢がいい。けわしい寝顔が修行僧のような風格をただよわせていて、堂に入っている。
駅から離れれば離れるほど、年齢層が高くなっていく不思議。
もしかして体力の問題なのか。若者は体力があるからなんとか駅近くまで進んでいけたけど、中年たちはその手前で力つきてしまったのではないだろうか。
それとも、中年たちは長年蓄積した知恵で、より快適で安全な場所を知っていて、そこを目指して狙って寝に行っている可能性も考えられる。
そんなことを考えていたら、駅から一番遠い場所で寝ている人を見つけたくなってきた。
さっきまであれほど疲労困ぱいしていたのに、急に目に輝きを取り戻す。
もしドローンがあったら上空からも調べたいくらいだ。
しかし、残念なことにセブンの先にあるローソンの前では誰も寝ていなかった。
その先の小学校にも緑道にも、もう寝ている人は見つけられなかった。
思わず緑道にへたり込む。
ここから先は完全な住宅街に入る。もう進んでも見つけるのは難しいかもしれない。
あのサラリーマンが最後だったか。9人まで見つけたんだから、数字的にもあとひとり見つけたかった。きりよく10人で終わらせたかった。
あの世とこの世の境界線じゃないけれど、シモキタの最果てで眠りこけている男をやっぱり発見してから帰りたい。
そうじゃないと、今度は僕自身が家に帰っても気持ち悪くて寝られない。もしまだ路上で寝ている人がいるとするならば、きっとこの緑道沿いで寝ているに違いない。
目を閉じて深く思考する。
水面に広がる波紋のように、感覚の裾野が広がっていく。全身の筋肉はこれでもかと弛緩して、えもいわれぬ心地よさに包まれた。
遠のいていく意識のなか、自分の意志とは裏腹な反応をする肉体が愛らしく思えた。この世には、あらがえないことってあるんだな、とか考えながら……。
このコラムの著者であるピストジャムさんの新刊が2022年10月27日に発売されました。
書名:こんなにバイトして芸人つづけなあかんか
著者名:ピストジャム
ISBN:978-4-10-354821-8
価格:1,430円(税込)
発売日:2022年10月27日
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ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。