雨のスクリーンのはざまで
先日、所用で北沢警察署に行った。朝8時半からということで、数分前に警察署に入ると、職員の人たちが受付カウンターの中で全員直立していた。一瞬、意味がわからなかったが、カウンターの前に並べられたソファに着席して合点がいった。
館内放送で「君が代」が流れていたのだ。今日は祝日というわけではない。平日だ。ということは、おそらく警察署では毎朝始業前に国歌が流れる決まりになっているのだ。
そんなの聞いたこともないし、知らなかった。北沢警察署だけの特別ルールだとは思えないので、きっと全国すべての警察署で毎朝「君が代」が流れているのだろう。
なんてことない話だが、知らなかったことを知れたという喜びと驚きがあった。
体験して初めて味わえること。これが自分にとっては生きていくうえで必要な刺激になっている。
外食もそうだ。食べたことのない料理がメニューに載っているとつい注文してしまう。
けっしてゲテモノ好きというわけではない。少し変わったメニューがあると気になる、というレベル。魚ロッケとかデビル砂肝みたいな、ちょっとめずらしい料理。
最近だと、LEVECHINAというカレー屋で冷やしグリーンカレーらぁめんを食べた。玄という二郎系ラーメンの極太麺に、グリーンカレーが合っていておいしかった。
食事も、そういった体験の場だととらえている。全然好きじゃない味に出会うこともあるし、目が飛び出るほどおいしいものに出会うこともある。だから楽しい。
ちなみに、その冷やしグリーンカレーらぁめんを食した帰り道、生まれて初めての体験をした。
店を出るとゲリラ豪雨のような夕立に見舞われた。ずぶ濡れになるのを覚悟して勢いよく自転車をこぎ出したら、10メートルほど進んだところで、はたと雨がやんだ。あまりに急にやんだので、驚いて自転車を停め、あたりを見渡すと、なんと僕が来た数メートルうしろではまだ雨がふっていた。
晴れと雨の境目を初めて目のあたりにした。どこかにそんな場所があるのだろうとは思っていたけれど、まさかシモキタでお目にかかれるとは。
僕のすぐうしろは大雨で、通りに面する店の軒先やマンションのエントランスには雨宿りする人たちが。なのに、自分はまったく濡れていない。
なんとも言えない不思議な光景。現実味がない。目の前に、雨のスクリーン。越えてはいけない一線を越えて、ファンタジーの世界に飛び込んでしまったような感覚。
あちら側からは、こっちはどう見えているのだろう。大雨のせいで、僕も雨の中にたたずんでいるように見えているのか。それとも、あちらの人たちは数メートル先は雨がふっていないとわかりながらも、そんなことはありえないと半信半疑になって、とどまっているだけなんだろうか。
「こっちは晴れてますよ」と、声をかけたくなったが、僕の声はあちらの世界には届かない気がして言葉を飲み込んだ。
駅前の広場は、4年ぶりの盆踊り大会を心待ちにした人たちの熱気で蒸し返していた。スタートまで30分以上あるのに、もうやぐらの周辺は人であふれている。昨晩は入場規制がおこなわれたとも聞いた。開始の発声を、いまかいまかと待ちのぞむ老若男女。広場の周辺では、ここぞとばかりに路上ライブをするミュージシャンがうじゃうじゃ。
さっきの局地的な雨は、もしかしたらこのシモキタの熱気がつくり出したのかもしれない。
このコラムの著者であるピストジャムさんの新刊が2022年10月27日に発売されました。
書名:こんなにバイトして芸人つづけなあかんか
著者名:ピストジャム
ISBN:978-4-10-354821-8
価格:1,430円(税込)
発売日:2022年10月27日
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ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。