こころがわり
シモキタのすごい煮干ラーメン凪の跡地に、またラーメン屋ができた。名前は、なおちゃんラーメン。
凪が好きだったので、閉店の知らせを聞いたときはショックだった。なおちゃんラーメンには悪いが、行ったことないけれど凪よりおいしいはずがないと思ったので、行く気にはならなかった。
そんな僕が、いまなおちゃんラーメンにハマっている。
初めて行ったのは3か月前。なおちゃんラーメンがオープンしてから1年以上経っていた。
入店したきっかけは、たまたま店の前を通りすがった際に立て看板を眺めていたら、店内から「よかったらどうぞ!」と声をかけられたからだ。声の主は、おそらく店長と思われる30代くらいの男性。
声に反応して、路面に設置された大きなガラス戸越しに中の様子をうかがうと、なんと彼は麺の湯ぎりをしながら、厨房から外にいる僕に声をかけてきていた。いくら厨房からも外の様子がわかるとはいえ、ガラス戸は閉まっているのに、道端で一瞬だけ足を止めた僕を見逃さずに声をかけてくるなんて。
しかも、けっして客が入っていないわけではない。コの字型になったカウンターでは、すでに3人の先客が一心不乱に麺をすすっていて、もうひとりはスマホを触りながら着丼を待っていた。昼どきをすぎたタイミングで、小さなカウンターだけの店に4人の客がいるなんて十分繁盛している。それなのに、積極的に路上の僕にまで声をかけてくるとは。
おそろしいほどの意識の高さに圧倒される。バイトじゃありえない。社員でも、自然とその声がけができる人は少ないだろう。一朝一夕では獲得できないプロの接客だ。
端正な顔だちで、清潔感もある。調理帽からはみ出した耳まわりの髪もリーゼントのようにきれいにうしろに流して整えられているのを見て、この人がつくるラーメンを食べてみたいなと純粋に思った。
券売機には、醤油と塩の中華そばと、もり中華というつけ麺が。切りたてのチャーシューが売りのようで、チャーシューダブル、チャーシュートリプルというメニューまである。
ダブルとトリプルはやめて、シンプルに塩チャーシュー麺を注文して着席する。女性店員が「ごはん一杯無料なんで、あちらからどうぞ」と言うので、席を立ってごはんをよそいに行くと、ジャーの横には青かっぱと呼ばれるきゅうりのつけものも。
カウンター越しに渡された塩チャーシュー麺は美しかった。どんぶりいっぱいにそそがれたすきとおったスープ。表面に張った油の膜が陽の光を反射するみなものようにきらきらと輝いている。中央にどかっと載せられた青いねぎと切り落とされたふぞろいなかたちの茶色い肉のコントラストは食欲をそそる。
「にんにくとコショーが合うんで、お好みでどうぞ」
店長とおぼしきその男性は、さわやかな笑顔でそう言ったかと思うと、外で数秒立ち止まった二人組に気づいて「よかったらどうぞ!」と、また声を張った。
きっとこの人は何をしても成功するんだろうな。平打ちのストレート麺がするするとのどに入っていく。バイトしかしたことのない僕でもわかる。チャーシューの脂身も甘く、麺とごはんがとめどなくすすむ。店内に流れるBGMは、ずっとビートルズ。たしかに、にんにくとコショーが合う。『In My Life』のイントロが心地いい。れんげですくったスープを白飯にかけて、チャーシューとつけものを合わせて食べる。
これはもう、至福としか言いようがない。
満腹。スープもほぼ飲みきった。カウンターの上にどんぶりをあげて退店しようとすると「きれいにありがとうございます」と言われて、少し照れる。
「おいしかったです。また来ます」
「ありがとうございます! またお願いします!」
通いたくなる店がまた一つ誕生した。
なおちゃんラーメンの「なおちゃん」があの男性の名前に由来するのかどうかはわからないが、僕は心の中で「なおさんラーメン」と呼ぶことに決めた。
このコラムの著者であるピストジャムさんの新刊が2022年10月27日に発売されました。
書名:こんなにバイトして芸人つづけなあかんか
著者名:ピストジャム
ISBN:978-4-10-354821-8
価格:1,430円(税込)
発売日:2022年10月27日
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ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。