yobanashi
基本ひとりで飲みに行く。シモキタにはバーが無数にあり、ひとりで飲み歩いていても誰も好奇の目で見ない。むしろ、シモキタではそれが普通だ。僕が行く店の客は、みなほとんどひとりで来ている。僕は酒が弱いし、家ではいっさい飲まない。酒を飲むと寝つきが悪くなって、明けがたまで寝られなくなるから。それなのに飲みに行く。それは気分転換とか、リラックスとか、店とのつきあいとか、理由はいろいろつけられるのだが、一番の理由はバーでなされるとりとめのない会話を聞いているのがただただ楽しいからだ。自分が会話に参加しなくていい。ちびちび酒を飲みながら、となりで繰り広げられる店主や常連同士のくだらない話を聞いている時間がたまらない。
「まきびしって効果あると思う?」
「え? まきびしって、あの忍者が使うやつ?」
「まきびしって言ったら、それ以外ないでしょ。俺は、まきびし効果ナシ派なんだよ。だって、あんなの必死に追いかけて来てる奴らからしたら、いてっ! ってなるかもしんないけど、そんなんでひるむわけないでしょ」
「いや、でも踏んだら痛いでしょ」
「そもそも、まきびしなんて踏まないんだよ。だって、俺が忍者を追いかけてるでしょ、で逃げてる忍者が目の前でまきびしまくでしょ、じゃ絶対いま何か地面にまいたなってわかるから、よけれるし踏まないでしょ」
「でも、昔は街灯とかないから暗いし踏んじゃうでしょ」
「じゃあさあ、お前は水とんの術はどう思うんだよ」
いつまでも聞いていられる。まきびしや水とんの術という、ひさしぶりに耳にする単語にわくわくさせられる。まきびしが実際に効果があるのかどうかはわからないが、飲みの席の話題としてはまきびしは一級品だ。海外からの観光客にもぜひ聞かせたかった。
「ピアノ好き?」
「はあ……まあ」
「ピアノの音色いいよね。マスター、ちょっと店のブルートゥースゆずってもらっていい?」
飲んでいるときに自分の好きな曲を聴きたくなる気持ちはよくわかる。ブルートゥースゆずってもらっていい? という言葉が新鮮な響きで心に残る。シモキタのバーでちょっとかっこつけている感じもかわいらしい。
「LINEってロンドンまで届くの?」
「届くと思いますよ」
「あんなに飛行機で時間かかるのに? LINEに乗ってけたらいいのにね」
海外旅行中の友人にLINEしようと思ったが、ふと向こうでも使えるのか不安になったのだろう。LINEに乗って移動することができれば、無料で好きなだけ海外に行ける。夢が広がる会話は酒と相性がいい。
「えええ!」
「どうしたんですか?」
「自分の年齢がわかんなくなって、いま電卓で計算してるんだけど、何回計算しても70歳って出るの」
*
「今日、3歳の女の子に『魔女みたいだね』って言われたんだよね」
「あんた化粧も濃いし、爪も長いしね」
*
「電話鳴ってるよ」
「はい、もしもし。ああ、わかりました」
「誰?」
「酒屋さん。21時前に着くって。旦那の帰るコールじゃないんだから」
*
「大吉とか中吉ってあるけど、ただの吉は順番的にどこに入るんだよ? 小吉とか末吉とかもあるだろ?」
「それは大吉、中吉、小吉、吉、末吉だろ」
「いや、大吉、中吉、吉、小吉、末吉だよ」
「あの、いまグーグルで調べたら、大吉、吉、中吉、小吉、末吉みたいです」
「グーグルが正しいって誰が決めたんだよ!」
*
「じゃ、お会計お願いします」
「なんでお前帰るんだよ」
「終電まで、あと8分だから」
「まにあわねえよ。どうせ明日なんもねえだろ」
「わかったよ。うるせえなあ。じゃ、おかわりとナッツください」
「……じゃ、俺お会計お願いします」
「なんでお前が帰るんだよ!」
「別にいいだろ! 俺は飲みたいときに飲むし、帰りたいときに帰るんだよ!」
「またやられたよ……」
*
「あいつはさあ、子供のとき猫の背中がピアノの鍵盤になってる絵描いて表彰されたことあんだよ。天才だよ」
*
「この若人たちがシモキタの未来を、いやこれから世界を変えるんだ!」
*
愛すべきシモキタの夜の住人たちに幸あれ。
このコラムの著者であるピストジャムさんの新刊が2022年10月27日に発売されました。
書名:こんなにバイトして芸人つづけなあかんか
著者名:ピストジャム
ISBN:978-4-10-354821-8
価格:1,430円(税込)
発売日:2022年10月27日
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ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。