「大阪マラソン2024」フルマラソンは、雨が降るなか、笑顔で次々とゴール!

3万4,000人のランナーが参加した「大阪マラソン2024」。冷たい雨が降るなか、フルマラソンを走り終えたランナーたちは、皆さん充実感にあふれた表情でゴールにやってきます。もちろん完走を果たせなかったランナーもいますが、それぞれが全力を尽くした結果に、沿道の観衆からも温かい声援が送られていました。ここでフルマラソンに参加したランナーたちのコメントを紹介します。(順不同)

ちゃらんぽらん冨好

「38歳で走って以来、24年ぶりにフルマラソンを走ったので。自分の体力がどういうもんか、森脇健児が「兄さん、体力は退化ちゃいまっせ、進化ですわ」ってよく言うから、ホンマかなと思ったけど。初マラソンは3時間53分、今回は4時間58分やから24年で1時間ロスしてるわけで、体力は落ちていってるけど、何がエエかというと、スタート地点に立ててるということ。自分自身が健康で63歳であるという感謝、健康やからここで走れるんですと、それを走ってる人にも言いたかった。健康じゃないと走られへんからね。それと給食が充実してたね、大阪ならではのグルメ出してましたわ。全国から来る人にとっては一番いいんちゃうかな」

福本愛菜

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

「記録を狙うときは走ることに必死なんですけど、今回は声をかけることを意識して、大阪マラソンにあるコンテンツ、観光スポットとか『まいどエイド』とか、そういうのを全部楽しみました。本当にいっぱい食べましたよ(笑)。大阪マラソンは大阪の魅力をPRするイベントだと思うんですけど、それがコースに出てると思います。御堂筋を走れたり、京セラドーム、あべのハルカスも見れますし。大阪のメインになるスポットを巡れるコースなので、海外の方に向けてもいいコースだと思いますね。

『ベストを狙います』って言ってたんですけど、数々走ってきたマラソンのなかで、一番余裕を持って楽しめたと思います。エイドではお新香巻きとかおもしろかったですね、あとチャーシューも唐揚げも。羊羹とかはエイドに置いてあるのがわかるんですけど、そうじゃない、地元の商店街の方が用意してくれた食べ物やなって感じました」

木村克己コーチ(きむかつコーチ)

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

「前半からエイドのフードを取っていったんです。とにかく変わったものは絶対に取って。バナナはいいかなーってスルーして、チャーシューやたこ焼き、唐揚げも食べました。水分が必要なものも取って食べましたね。温かいお茶を用意してたので、それを飲んで。食べるときは歩いてゆっくり。ああいうエリアがあることで気分転換にもなりますし、ここからまたって思えるので。

あいにゃん(福本愛菜)はよく走れてましたよ。練習量を聞いていたので、これまでにないくらいやってないと(笑)。自主練もしたんですけど、できるだけ最後まで堪能してもらいたかったので、沿道の人と話したり、できるだけそういうことができるペース、5時間から5時間ちょっとくらいで帰ってきますと吉本の方にもメールしてたんですよ」

間慎太郎

「初めてのマラソンやったんですけど、意識していたのは、42.195kmずっと笑顔で、大阪の魅力的な街を苦しい顔見せずに笑顔で走りきれたらなっていうことです。沿道の方の独特な応援の仕方、『大阪城が待ってるよ』とかいいなと思いましたね。今日走りながら思ったんですが、常に周りに人がいるじゃないですか、3万人以上の人と同じゴールに向けて走ってるんやなと思ったら、すごく優しい気持ちになれましたね。全員が同じところに向かって走ってることに感動しました。

僕は今日1位になった平林清澄くんがめちゃくちゃ好きで。練習しているときにたまに国学院の選手も近くを走ったりしていて、かっこいいなと思ってたんです。なので、『平林くんも何時間か前にここを走ったんやな』と思いながら走ったし、初マラソン日本新記録って聞いたら、自分が1位になったような気持ちになりました。

タイムは3時間23分くらい。サブ3したいなと思いながら練習してたんですけど、故障とかもあったんで、とりあえず気持ちよく走りきれたらなと。父親からは『無理しなや』ってアドバイスをもらいました。でもなんか探ってきてて『俺は初マラソン3時間13分やったけど、おまえはどれくらいでいくん』って。サブ3は無理やなって言ったらちょっと安心してましたね(笑)。これからもめっちゃ走りたいですね。アースマラソン? それは無理です、すぐ家に帰りたくなるんで(笑)」

げんき~ず・宇野けんたろう

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

「普段は沿道に応えたりせずにガチで走ってるんですけど、今回は声援に応えて、ツッコんだりしたら笑いも生まれて『いいな』って。速さと笑いを届けるみたいな感じで。大阪は沿道の応援が賑やかですね。来週東京マラソンに出るんですけど、東京の沿道の応援とは違って『がんばりやー!』とかコテコテの大阪弁の応援が聞こえてきたり。あとは佐野くん(OWV・佐野文哉)への声援がすごすぎました(笑)。沿道にOWVのファンがいて『佐野くーん!』って聞こえると、僕の体がかぶっちゃってるんで、どくんですけど、それを今日100回くらいやって。ペースも何もなかったです(笑)。でも、佐野くんがとてつもなくいい走りをしてくれたんで、よかったです。

佐野くんと一緒に走るようになったきっかけは、OWVの佐野くんがけっこう走れるから、一緒に走って佐野くんの記録更新のサポートしませんかと言われたことから。対面で話したら熱意もあるし、練習したら走りもめちゃくちゃよかったから、彼ならいけるなと。普通は30km過ぎたら落ちてくるんですけど、佐野くんはそこを上げてきた。普段からマラソンの練習をしっかりやってたから結果が出たと思います。それを手伝うことができたのがうれしいですね。

OWV 佐野文哉

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

「アイドル、アーティストの立場で、その職業の人でマラソンを極めてる人は数少ないと思いますし、ファンの人にもマラソンの楽しさを広めていけたらいいなというのがありました。今回ファンの方もいっぱいエントリーしてくれて、そういう風にたくさん参加して盛り上がってくれているので、僕の動きでマラソン、スポーツの楽しさが伝わればいいなと思っています。

マラソンは去年の東京マラソンが初めてでした。今回は2回目で記録を狙うという名目で始めて。コースが変わって記録が出しやすいというのも聞いてましたけど、噂通りに高低差も少ないフラットなコースで、気持ちよく走れました。それとシンプルに土地勘がないので『テレビで見たところだ』とか終始旅行気分でした(笑)。

3時間半を切るというのを目標にしてたんですけど、手元の時計で3時間16分、ゴール地点のデジタルで3時間20分だったので、どっちにしろ目標は達成できた。雨で走ったの初めてでしたけど、いい結果につながりました。

高校の陸上部で長距離をやっていたんですが、人生で一回のつもりで前回の東京マラソンに出たんです。この大阪マラソンでも好記録が出せて良かったです、気持ちよく走れました。今はまた走ろうとは思っていないんですけど、来年になったらまた走ってそう(笑)。天気のいい大阪で、エイドをたらふく食べて、旅行メインの大阪マラソンにしたいですね」

NMB48・眞鍋杏樹

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

「コースを見たときに、大阪らしいところを回れるなと思ったので、走る時には大阪の風景を、より楽しむ意識でいました。そして、難波のあたりは普段公演させてもらってるので、走りながらいろいろ思い返せました。沿道の声も本当にパワーになって。グッズを作って応援してくれた方がけっこういらっしゃって、この方たちのために頑張ろうと思いましたね。今回コースが変更になって、より走りやすくなったって聞いて、改めて今日走ったんですけど、アップダウンも減って、記録も狙えるコースだなって。目標は4時間半以内だったんですけど、3分くらい越してしまって、悔しい気持ちがあります。

フルマラソンは2回目で、前回走ったときも雨で、雨対策はできてましたが、冷えてしまうのが不安だったので、手袋を常につけていました。トレーニングは弟と深夜に走ることが多くて、ペースに合わせて走ってたら日に日に早くなって行ったって感じで。でも今日は途中で心が折れて、歩いたこともあったので、そこらへんはもっと自分を鍛えないとなと思いました。次、もし参加させていただけるなら、リベンジというか、目標タイムより上にいけるようにがんばりたいですね」

令和喜多みな実・河野

「大阪マラソンの公式YouTubeチャンネル『こちら大阪マラソン2024千日前情報局』で定期的に配信して、それもコース紹介とか、『まいどエイド』がどのようになっているかなどをM-7と一緒にいろいろ配信を担当させていただきました。『ここが走りやすい』とか、アップダウンの場所とか、僕も参加する身としてすごくためになったし勉強になりました。配信があったおかげで一緒に大阪マラソンを知ることができてすごくよかったと思っています。

(コースで)観光地を巡れるというのがすごくよかったです。たとえば道頓堀のグリコが見えてきたから何キロ地点とか、コースの指標にもなるし、それがすごく楽しいなと思いましたね。関西出身でも、普段車がビュンビュン走っている御堂筋をど真ん中から見られることなんてないので、こんな景色が眺められるのが大阪マラソンだけかも知れないです。ミズノのフォームアドバイザーの中嶋(南紀)さんの言葉を完全にパクりますけど、『朝、スタートのときに見た大阪城と、ゴールして見える大阪城がまた違うんで楽しんでください』と。そう思いながら走ってて、最後に大阪城が見えたときは全然違って見えて、グッと来ました」

ケツカッチン・高山トモヒロ

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

「最後にフルマラソンを走ったのが、10年前の大阪マラソンなんです。それくらいの時期はほかのマラソン大会にもよく出場していたんですけど、自分の記録のために走っていたんですね。それから10年が経って、世の中もいろいろ、コロナがあったりしたので、今回参加したいなと思ったのは『記録とかじゃなくて、一般のランナーの人と、楽しく走っていい年齢じゃないの?』と感じたからなんです。

『なないろ練習会』に参加して、皆さんとコミュニケーションを取って触れ合って、『マラソンって世間のイメージだとしんどいはずやのに、こんなに楽しいんや』っていうのを実感しました。(自分は)それを広げていく50代代表やと思ってます」

田津原理音

「もう、疲れた~! ずっと疲れてた! 5kmくらいから疲れてた。はぁ~。(大阪マラソンを盛り上げるためにがんばったことは)ほんまに、『絶対にリタイアしないこと』でした。最後にゴールしたのが、締め切り30秒前やったんですよ。なので、なんとか完走することができて、よかったかなと思います。がんばった、めっちゃがんばった!

フルマラソンは4回くらい走ったことがあって、一番最近が2019年のコロナ前の大阪マラソンで、濱田祐太郎の伴走でガオ~ちゃんと3人で走ったんですけど、そのときは34kmで足切りやったんです。なので、ちゃんと走ったのは7年前くらいになるのかな? だから、(完走は)7年ぶり。日頃からトレーニングしないといけないなと思いました(笑)。

あとやっぱり、関西弁っていいなって思いました。僕は出身は奈良県なんですけど、馴染のある言葉で励まされるとうれしかったです。でも42km、7時間走りましたが2回しか顔さしませんでした。そのうちひとりは、前に働いていたバイト先のパートのおばちゃんでした(笑)」

矢野・兵動 兵動大樹

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

「ランナーの方、ボランティアの方に、名前呼んでもらったり、がんばれって言ってもらったときに98%くらい返してました。それでランナーの人が元気が出たり、ボランティアの人が一生懸命やってもらえるんやったらと。それがありがたいことになかなか皆さん声をかけてくれて(笑)。友達800人くらい増えたと思います。

給水のところをマメに置いてくれてるなっていうのは感じましたね。寒いのに最後の方までやってくれてたから、僕らみたいに遅いランナーもちゃんとバナナ食べたり、スポーツドリンクとか飲めるようにしてくれてたのは優しい大会やなと、ありがたいなと思いました。今回で走るっていう習慣はついたので、次はこっそり。大会は出るかわからないけど、走ることは続けたいと思ってます」

スマイル・ウーイェイよしたか

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

「大阪マラソンに備えて、わざと自分を追い込むために、スーパーマラドーナ・田中さんの家に遊びに行って、わざと携帯電話を忘れて走って取りに帰るという追い込み方法で練習をしていました。僕の家から田中さんの家までは3kmほどあるので、往復6kmを、大阪マラソンに出ると決まってから週2回続けました。大阪マラソンまでにちゃんと体を仕上げておくというのが、盛り上げる方法のひとつかなと思いました。

走っている方々も、『ウーイェイ!』と声をかけてくださるので、すごくうれしかったです。それが力になって走れました。まいどエイドに行くと、以前よりいろんな食べ物が増えていて、すごくテンションが上がりました。お好み焼せんべえが一番おいしかったです」

女と男・市川

「まわりに人がいると声をかけたり、ボケたりとかして盛り上げました。沿道の方々からは声援をいただけるので、そのお返しじゃないですけれども。フルマラソンの最中はずっとやるつもりやったんですけど、後半はしんどすぎて、ちょっとできなかったのが心残りです(笑)。

大阪マラソンで芸人がいっぱい走るようになって、みんな、芸人を見つけると『あー!』って言ってくれるんですよ。そこで、僕らも役に立てているのかなと思いました。あと個人的なんですけど、家族が見に来てくれていて、嫁とお義父さん、お義母さんが自分のために来てくれたり、それがすごく元気が出ました。

沿道に、僕の唯一のファンの方も駆けつけてくれて、でっかいタオルを広げてくれて(笑)。すごく元気をもらいました。なにより、今回、貫太郎と一緒に走ったんですけども、雨で心がヘコんでいるときに『がんばりましょう』と声をかけてくれて。本当に、貫太郎の励ましがあったおかげでフルマラソンを走れました。あまりにもうれしくて、42kmを超えたあたりでお礼を言って、泣いてしまいました。本当に貫太郎に、なにか仕事を与えてあげてください(笑)。励まし合いながら走れたのがすごくよかったと思います」