西川きよし「文化功労者」に選出! 「漫才の価値が評価されたことがうれしい」

お笑いタレントの西川きよし(74)が、今年度の文化功労者として顕彰されることが決まりました。西川は、これまで紆余曲折あった芸人人生を振り返りながら、悲願であった「漫才」の地位向上に貢献できたとして、感謝の思いを語りました。

出典: FANY マガジン

紆余曲折の芸人人生

「今回、文化功労者として名前を挙げてもらったのはお客様のおかげです。(文化功労者の)『大衆芸能』という部門の中に、演芸、漫才も加えてもらえたのが本当にうれしい」

取材陣に向かってそう語る西川は、「やすきよ漫才」で一世風靡し、いまも現役のお笑いタレントとして活躍するお笑い界のレジェンドです。参議院議員として3期18年に渡る議員生活をおくるなど、振り返れば、ここまで波乱万丈の道のりでした。

文化功労者は、「文化の向上発達に関し特に功績顕著な者」を政府が毎年、文化の日(11月3日)に顕彰するもので、文化人にとって文化勲章に次ぐ大きな栄誉です。

出典: FANY マガジン

「紆余曲折いろんなことがあった」と、これまでの芸人人生を振り返った西川は、元相方の故・横山やすしさんからコンビを組もうと誘われたときのことから語り始めました。

「やすしさんのおかげ」

コンビ結成は1966年。やすしさんからの誘いを20回以上、断った上でのことで、会社からも反対されていたとのこと。妻のヘレンさんに背中を押されてコンビ結成を決意したものの、「失敗したら芸能界を辞める覚悟だった」と振り返ります。

コンビを組む際、「稽古が嫌い」と言うやすしさんに「稽古してください」と粘り強く言い続けたこと。そして、最後にようやく「わかった。稽古好きやな、西川君は」と応じてくれたこと。そんなエピソードを語りながら、「引き止めて稽古してよかったと思う」と笑顔を見せました。

そして、改めてこう語ります。

「やすしさんのおかげだと思ってる、感謝しかない」

1996年に51歳の若さで亡くなったやすしさんですが、西川は「僕の中では生存している」と言います。以前、占いをしてもらったときに「横山やすしさんは全国の仕事の現場についてきてますよ」と言われたとのことで、「いまでも毎朝晩に仏壇で話しをさせていただいている。仏壇としゃべるの大好きです」と笑わせました。

出典: FANY マガジン

今回の顕彰について、記者から「やすしさんはなんと言うと思うか」と尋ねられた西川は、こう答えました。

「ようがんばったな。俺がおらんようになってから1人でもろたんか。おるときに2人でもらいたかったな、って」

妻への気持ちを聞かれ涙

西川を語るうえで、もう1人はずしてはならないのが、妻のヘレンさんの存在です。

自動車整備士として働いていたころの思い出、多くの師匠に弟子入りを断られたこと、政治家時代の活動などについて語ったあと、記者からヘレンさんへの気持ちを尋ねられると涙をぬぐうシーンも。

出典: FANY マガジン

まわりから結婚を反対されていたことに触れ、「とにかく1人の女性がこんなにも1人の男に一生かけて、自分の人生をかけて尽くせるもんかなと内心思ってる」と告白します。

今回の顕彰の報告をしたときは、「普通の喜びではなかったですね、2人とも言葉になりませんでした。目と目が合った瞬間によかったな、と。家族中が号泣に近い、そんな状態でした」と話し、「嫁はんのことになったらね……」とまた涙。

80歳まで舞台に出たい

歴史を振り返れば、西川のデビュー当時、漫才は“つなぎ芸”と言われ、「次の芸人さんが入ってくるまでお客さんを退屈させないための間をつなぐ芸だと先輩から聞いていた」と言います。

「その価値を上げたいと思っていた。漫才が評価されたということがうれしい」

そう言って、西川は感無量の表情を見せます。

これからの目標について聞かれると、食事や体操など健康に気を使っていることを明かし、「舞台は、われわれにとって素晴らしいところ。80歳くらいまでは出たいと思います」と決意を新たに。

出典: FANY マガジン

そして最後はやはりあの言葉で締めくくりました。

「小さなことからコツコツとがんばってきてよかった、うれしいです!」