12月6日(月)、お笑いコンビ・ボーイフレンド(黒沼誠、宮川英二)が、それぞれのSNSで12月17日(金)のライブを最後に解散することを発表しました。小学校の同級生から芸人となり、夢を追いかけた2人。黒沼は芸人を続け、宮川は引退します。ここから歩む道が分かれる2人は、これまでの芸人生活をどう感じ、この先になにを見ているのか――解散を前に、いまの心境を聞きました。
ボーイフレンドと言えば、宮川の独特なツッコミが代名詞。リズミカルに何度もたたいたり、ポーズをつけたり、名前までは知らなくてもそのツッコミを見れば、「ああ、彼らね」と記憶している人も多いはず。
そんな2人は、2001年に活動を開始し、2007年に吉本所属となってから芸歴14年。『エンタの神様』(日テレ系)、『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)などのネタ番組に登場し、最近でも『有田ジェネレーション』(TBS系)で番組レギュラー手前の研究生入りするなど、テレビでも活躍していました。いまも仲良しの2人が、それでも解散を決意した理由とは――。
M-1「合格発表」の日
――やはり、今年のM-1の3回戦で敗退したことが、引退のきっかけになったのでしょうか。
宮川 準々決勝くらいまで行けてたら、まだ、わからなかったんですけどね。
黒沼 ここ数年、ずっと「あと1年」というシステムで、コンビを継続していたんです。
宮川 うちの奥さんが、2018年ぐらいかな、2人目の子どもも生まれたこともあって、いよいよ「いつまで芸人続けるの」という雰囲気になって。子育てがあるので、奥さんも仕事ができない。そんななか、最低でも、僕1人で毎月26万円稼がないと家を切り盛りできないと言われたんです。でも、ずっと、バイトと吉本からの給料で、20万いくかいかないかくらいだったのかな。なので毎年、M-1が終わると、奥さんと「やり切ったの?」「いや……」「じゃあ、あと1年だよ」というやりとりが繰り返されていたんです。
黒沼 僕は「あと1年」システムで、なんだったら、ずっと続けられるかなと思っていたんです。でも、今年の春か、相方に「本当に今年がラストだから」と言われて。その言い方から、ああ、これは本当にもう限界が近づきつつあるんだなというのが伝わってきましたね。
――宮川さんは、いつ、どのような形で解散を切り出したんですか。
宮川 3回戦の合格者が発表になった日、夕方にライブがあって。ライブ終わりに、「ちょっと話をしよう」と。だいたい僕がそういう切り出し方をするときは解散の話なんで、相方も「何、やめてよ」みたいな感じで。
黒沼 僕はひとまず、M-1はもういいだろう、と言いました。出場資格はあと2年残っていたんですけど、毎年、M-1の負けきっかけで解散しようか、みたいな空気になっていたので。まあ、「解散」という言葉を使わせたくなくて、先にそう言ったんですけど。とにかく僕は解散が嫌だったんで。
宮川 そう言われて、そうか、M-1を目指さないんでいいんだと、ちょっとホッとしましたね。ただ、そういうスタンスで、ふだんM-1を目標にがんばっている仲間と一緒に楽屋にいられるかなとも思ったんですよね。温度差がありすぎて、なんか居づらいんじゃないかな、って。
――もうそのとき、宮川さんのなかでは、解散の覚悟を決めていたのですか。
宮川 半分以上、決まっていましたね。
黒沼 僕はそのときは、まだ結論を出すのは早いと思ったので、奥さんと話をして、おまえがどうしたいかを考えてきて、って伝えました。
宮川 次に相方に会うまでにまだ時間があったので、それから2日か3日ぐらい妻には何も言いませんでした。どうせ、M-1の結果も知らないだろうと思っていたので。それでタイミングを見計らって、実は……って切り出したら「知ってるよ」と。「いつ言い出すか待ってたんだけど、どういうつもり?」って。
黒沼 そら、知ってるよ。
宮川 知らないまま、また1年、芸人を続けられないかなと思ってたんだけど、って言ったら、「それはムリだよね」と。で、「自分的にはやり切れたの?」って聞かれたので、僕は「やり切れた」って言ったんです。「じゃあ、もういいんじゃない」と。
黒沼 そのあと、何日か経って相方の口から「解散」という言葉が出たので、僕も、それはもうしょうがないね、と。本人がまだ、気持ちが残っているなら、僕が相方の奥さんに頼み込んでもいいと思っていたんですけど、英二が解散したいというのなら、そこはもう認めるしかなかった。
掴むまではいってなかった
――少しこれまでを振り返っていただきたいのですが、M-1で言うと、2010年に初めて準々決勝まで進んで、そこから4年大会自体がなくなってしまったのですが、2015年に復活したときは、また連続して準々決勝まで勝ち進みました。このころ、何か掴みかけたものはあったのでしょうか。
黒沼 掴むまではいってなかったですね。毎年毎年、マックスの漫才を見せて、なんとかそこまで行けたという感じで。
宮川 がっつり掴んだというよりは、辛うじてしがみついているぐらいの感触で。来年、必ず、またここまでは来られるという感覚ではなかった。
――翌年からは、また3回戦敗退が続くんですよね。
宮川 そのころから少しずつ自分を疑い始めましたね。何となくわかってくるんですよ。これは決勝まで行けるレベルではないのかな、と。2017年に、劇場で一緒にやっていたゆにばーすがM-1決勝に初めて出場したんですけど、彼らは生活のすべてをM-1にかけていた。自分は、あそこまでできているのかな、とか。
黒沼 相方が自分を信じきれなくなっているのは僕も感じていました。僕は相方の独特のツッコミをおもしろいと思っていたんですけどね。僕がおもしろいと言っても、結果が出ないと、相方のなかで、無理かな……となってしまう。
――リズミカルに体のあちらこちらを叩くツッコミですよね。あのツッコミはいつくらいから始めたのですか。
宮川 けっこうすぐだよな。2年目ぐらいか。
黒沼 そこからいろいろ進化していったんですけど。
――あのツッコミは一度見たら忘れないですよね。
黒沼 売れている先輩は、だいたい同じことを言うんです。最初はぜんぜんウケなかった、と。でも、ずっとやっていると、それがおもしろい、ってなる。そこまで貫きたかったんですけど、相方はやるほうなんで大変だったと思います。
「タイタニック」の夜
――少し話が変わりますが、これまでコンビとして受けた仕事のなかで、いちばん楽しかった思い出はなんですか。
宮川 ヴァーゴというタイタニックみたいな豪華客船に乗って、出張ステージみたいのをしたことがあるんです。あれはやばかった。
黒沼 吉本、よく(仕事を)とってきてくれた! って。
宮川 新幹線で大阪まで行って、夕方に乗船して、それから約24時間かけて船で横浜まで戻ってくるんです。そのうちステージの時間は30分ぐらい。あとは遊び放題!
黒沼 見たことのないような食事が食べ放題なんですよ。プールがあって、ジャグジーもあってな。大富豪になった気分でしたね。
宮川 夜、2人で甲板に出てみようぜって。満点の星空で。修学旅行みたいでしたね。先生に内緒で甲板まできちゃったぜ、みたいな。タイタニックごっごでもやるか、って。
――気持ち悪いくらい仲がいいんですね(笑)。
黒沼 僕らは楽屋とかでもヒマだと、誰も見てないのにコントをやったりしてるんで。オレがAD役な、とか言って。
宮川 オレがプロデューサーな、と。
黒沼 「すいません……」みたいな。
宮川 「どうなってるんだ、ちゃんとやれよ!」
黒沼 「時間ないんで、先に弁当、食っちゃいます」
宮川 「おいっ! それ、おれの弁当じゃねえか!」
――素晴らしい! 2人は小学生からの同級生ということでしたけど、仲たがいしたことはないんですか。
黒沼 ありますよ。時期によっては、今日、また相方に会わなきゃいけないんか、とか。
宮川 波があるんだよな。よかったり、悪かったり。結果が出なかったりすると、互いに話をしたくない時期もあります。
黒沼 ライブでウケたりすると、急に関係が良好になったりしますね。おまえ、やっぱり、いいな、って。
後悔することは…
――宮川さんは、芸人を引退した後のことはどれくらい決まっているんですか。
宮川 まだ何も決まってないんです。いま清掃のバイトをしていて、それを続けながら、次の仕事を見つけようと思っています。
黒沼 せっかくこういう仕事をしてきたんだから、同じように誰かを笑顔にする仕事についてほしいなとは思いますね。
宮川 それは、僕もそう思っています。
――黒沼さんは今後、1人で芸人を続けるんですよね。
黒沼 この夏、レゴのコンテストで優勝して、世界で25人しかいないレゴランド・ディスカバリー・センターのマスター・モデル・ビルダーに任命されたんです。それで、いまは週2、3回くらいのペースで、東京・台場のレゴランド・ディスカバリー・センター東京で、子どもたち相手にワークショップを開催しています。これをきっかけにNHKで子ども向けの僕の冠がついた子ども番組とか、できないですかね。
宮川 レゴ(の商品名)で、NHKいけんのか?
黒沼 わかんねえけどさ。何もないよりはいいだろ。
――新しい相方を探そう、とかは?
黒沼 じつは解散する前は、英二以外に相方は考えられないと思っていたんです。でも、実際、解散となったときに、まだまだ漫才がやりたい! って心が叫んでいて。自分でもびっくりしたんですけど。だから、英二には申し訳ないけど、そこは積極的に動くよ。
宮川 いやいや、僕も解散を伝えたとき、辞めるって言っときながら勝手だけど、できれば漫才を続けてくれよと伝えていたので。ぜんぜん、やってほしいです。むしろ、僕が引き出せなかったポテンシャルを、新しい相方には引き出してほしいですね。まだまだ、これから輝ける芸人だと思っているので。
――宮川さんは今後、解散したことを後悔するのではないかという怖さはないですか。
宮川 よく言われたんですよ。絶対、後悔するよ、って。でも2週間前ぐらい、相方と話をしている夢を見て。その内容が、けっこうおもしろかったんです。朝、4時ぐらいに目が覚めたんですけど、バイトに行くまでまだ2時間ぐらいあったので、夢の内容をヒントにネタを書いてみよう、と。もう書く必要、ないんですけどね。
ただ、できあがったネタを見て、愕然としましたね。ゲリクソ、つまらない(笑)。そんとき、芸人を辞めるという判断は、やっぱり正しかったんじゃないかと思いました。
もちろん、それでも、いつか後悔するかもしれないですよ。M-1で同期とか後輩が活躍しているのを見て、いいな、と。でも同時にあの舞台に立つ前の怖さを思うと、もう、そこまでのエネルギーもないなとも思います。
――やっぱり怖いものなんですね。
宮川 袖にいるとき、めちゃくちゃ緊張しますね。
黒沼 逃げ出したくなりますよ。こんな緊張感のなかで、なんで漫才しなきゃいけないのか、って。でも、1年に1回くらいは、あんぐらいしびれる舞台を経験しておかないと、芸人としてダメになっちゃう気もするんですよね。
――12月17日(金)のライブ『ボーイフレンドLIVE12月~気になる寄席~』が2人の最後のステージになるわけですね。
宮川 でも、明るく締めますよ。芸人あるあるなんですけど、最後のステージっていうと、芸人もお客さんも泣いたりしちゃうんですよ。
黒沼 涙はいらないよな。最後にひと言、みたいのも。
宮川 もう、いい! いらない、そういうの。
黒沼 漫才だけやって、パッと終わります。
――ちなみに、コンビ名の由来って何だったんですか。
宮川 そのまま、男友達です。
黒沼 小学校からずっと一緒だったんで。
宮川 これからも、ちょくちょく会いたいですね。連絡もすると思います。ひとまず、半年くらいは距離を置こうかと思っていますけど。相方も踏ん切りがつけにくくなると思うので。僕、友だちが極端に少ないんですよ。子どもが生まれたときも相方しか家に呼んでないくらい。なので、解散といっても、また、普通の友だちに戻らせてもらうという感じでもあるんですよね。ずっとボーイフレンドでいてほしいので。
取材・構成 中村計
黒沼誠のTwitterはこちらから。
宮川英二のTwitterはこちらから。
公演概要
『ボーイフレンドLIVE12月~気になる寄席~』
日時:12月17日(金) 開場17:45 開演18:00
場所:ヨシモト∞ホール
出演:ボーイフレンド
ゲスト:ピクニック、シューレスジョー、ザ・プレジデント、カゲヤマ、ワラバランス、ブラゴーリ、キンボシ
チケット:前売1,800円 配信800円
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