1970年大阪万博に関するマニアックなレトログッズなどが集められた特別展「プレイバック1970 大阪万博と昭和レトロ」 が、3月22日(土)から8月3日(日)まで大阪・万博記念公園のEXPO’70パビリオンで開催されています。オープン前日にはトークイベントが開かれ、伝統河内音頭継承者・河内家菊水丸が登場。1970年万博の熱狂を知るマニアたちと思い出話などで盛り上がりました。

「万博で河内音頭を歌うことが目標だった」
大阪万博55周年を記念したこの特別展では、当時の万博公式グッズやパビリオンホステスのユニフォーム、デザインコンペ出品原画、「太陽の塔」竣工図・デザイン画、福王寺法林作「万博夜景」などのほか、昭和時代の家電、レトログッズが展示されています。
トークイベントの出演者は、菊水丸に加えてネイビーズアフロ(皆川、はじり)、万博グッズコレクターの白井達郎氏、万博マニアの藤井秀雄氏というメンバーです。

まずは、前回の万博の思い出話から。じつは「当時、小学校低学年でまだ小さかったので、部分的にしか覚えてない」という菊水丸は、高校1年で会場のレストランでアルバイトをしていたという白井氏に、「うらやましいなぁ」と羨望の眼差しです。白井氏は、イタリア館で生まれて初めてスパゲティとグラタンを食べたと懐かしそうに語ります。
一方、藤井氏はピンバッジマニアでもあり、着ているベストにはさまざまな万博のバッジがびっしり。当時は、パビリオンの斬新な形や動く歩道など「異次元の世界に来たようでとりこになった」と振り返ります。


1970年の大阪万博では、全国の芸能や祭りが一堂に会する「日本の祭り」企画がありました。菊水丸はそれを振り返りながら、こう言います。
「河内音頭がいつ出てくるのかずっと待っていたものの出てこなかった。それ以来、『万博で河内音頭を歌うことが目標だ』と言い続けてきました」
その菊水丸は、4月に始まる大阪・関西万博で、野外ステージ「EXPOアリーナ」で7月28日(月)に行われる盆踊り大会に登場します。このステージについて菊水丸は、「(万博の)2回目があると思っていなかった。(今回のステージは)自分自身の思いというより河内音頭界の悲願です」と語りながら、「前日くらいに息を引き取ったらどうしよ」と笑わせました。

太陽の塔は「復活させてくれて感謝」
トークでは、大阪万博のシンボル「太陽の塔」の話題も。太陽の塔は当初、万博終了後に取り壊される予定だったところ、全国から保存の声を受けて永久保存することが決まったのだそう。
「2年くらいは、ほったらかされていましたよね」と話す菊水丸に、藤井氏は当時、保存を求めて「壊すおカネがあるなら残すほうに使ってほしい。塔がなくなったら、ほかの公園と同じになってしまう。いろいろな技術が披露された万博だから残す技術を」という内容の手紙を送ったことを明かします。
藤井氏がその手紙のコピーを取り出して読み上げると、会場から拍手が起こり、菊水丸も「かなり熱い思い、胸を打ちますよね」と感心しきりでした。

また、太陽の塔の内部は長く閉鎖されていましたが、2016年から「太陽の塔内部再生」事業がスタート。この事業の広報担当アンバサダーも務めた菊水丸が「内部をきれいにしましょう!」と発表したところ、全国津々浦々からの寄付によって、必要な額が1日で集まったといいます。
改めて藤井氏は「残ってくれてありがとう。復活させてくれて感謝と、日々思っています」と笑顔を見せました。
盆踊りは知事も一緒に!
イベント終了後の囲み取材で、菊水丸は「甲状腺がんで余命半年の宣告を受けてから、もう12年半」と振り返りながら、大阪・関西万博の盆踊り大会で披露する河内音頭について、「自分自身の体験をもとに、自分が標本だという気持ちで歌詞を作っています」と語ります。
「(万博で披露する)前に死んだらダメなので、まだ完成させていません。時計の針が(7月)28日を指した時点で最後の1行を書きます。28日の本番には、1人でも多くの人に集まってほしいです」

また本番では、吉村洋文・大阪府知事にも一緒に踊ってもらう約束をしていて、近々、浴衣を渡しに行きたいと思っているのだそう。「僕のなかでは“知事と踊ろう728の日”という感じです」と意気込みました。
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