今年2月に起きた軍事クーデターで世界を騒がせたミャンマーで、いまも現地に残って活動を続ける吉本芸人がいます。アジア住みます芸人のアーキー(35)。ミャンマーを「自分のホーム」だと言い切る彼は自問自答を続けています。いま自分にできることはなんなのか――。そんな彼に、クーデター当日の街の様子から、約10カ月たった現在の状況、そして現地での活動ぶりなど、いろいろ語ってもらいました!
軍事クーデターまでのミャンマーは、2012年の民主化によって経済をはじめ国全体が急成長を遂げ、“ラストフロンティア”と呼ばれて世界から注目が集まっていました。最大都市ヤンゴンには多くの日本企業が進出。現地では、アジア住みます芸人として2018年から緑川まり、タイガース、アーキーの3組が活動していました。
ところが、2020年以降の新型コロナとクーデターによって状況は一変。緑川とタイガースは帰国し、いまやアーキーのみが残って現地から生の声を届ける活動を続けています。
軍事クーデターが起きたとき…
――最初にアーキーさんの経歴はなかなかユニークで。いろいろな国に住んだ経験があるんですね。
そうなんです。小さいころから親の仕事の関係でシンガポールやオーストラリア、ハワイで生活していまして。オーストラリアにいるとき、友だちも少ない状況だったので寂しさもあったんですけど、母が日本人向けのレンタルビデオ屋さんで毎週、新喜劇のビデオを借りてきてくれて、その面白さにすごく励まされたんですよね。それがきっかけになって、20~21歳ぐらいのときに芸人になろうと思い、NSC(吉本総合芸能学院)東京14期生になったんです。
――ミャンマーには、いつから住んでいるんですか?
2014年の夏からです。父がこちらで商売をすることになり、僕もミャンマーに来ました。ミャンマー住みます芸人になったのは2018年10月から。ミャンマーに来てからは芸人活動はしていなかったんですけど、父の仕事を手伝いながら、芸人として何かできないかなという気持ちも常に持っていたんです。それでミャンマー住みます芸人という話があったとき、自分で立候補して、芸人活動再開という形でミャンマー住みます芸人にならせてもらいました。
――クーデターが起きる前のミャンマーは急成長を遂げていて、日本の企業もたくさん進出していましたよね。
僕が来た2014年のころと比べて、コロナになるまではものすごい発展を遂げていたんです。僕が来た当初は、インターネットなんかもスピードがぜんぜん整っていなくて、動画をアップするなんてまったくできず……。それが最近では、日本よりも速いんじゃないかってくらいにまでなっていた。飲食店も、ラーメン屋さんも1カ所あるかないかだったけど、いまじゃ何軒かできて選べるようになって。日本人が住むという部分でも、だいぶ快適になっていたんです。ただ、それがコロナ&クーデターのダブルパンチでだいぶ変わってしまった。
コロナは2020年3月くらいからミャンマーでも流行り始めて。このタイミングで、医療的な面を心配して多くの在留邦人が帰国しました。一緒に住みます芸人をしていた緑川まりさんやタイガースさんも、大使館からの帰国要請もあって帰りました。その後、コロナが少し収まってきたかなと思った矢先の2021年2月1日に軍事クーデターが起きまして。さらに日本人も減ってしまい、一時期は5,000人ほどいた在留邦人が、いちばん少ないときで200人ぐらいまでになったと聞いています。
――実際にクーデターが起こったときの状況は?
僕自身、前日の1月31日には、ふつうに街中でYouTubeの撮影をしていました。で、翌日起きたら、電話がつながらないという状況。なんらかの電波障害が発生していて「あれ、おかしいな」と思って、情報を集めたらクーデターが起きていると。正直、クーデターって言われても、経験もないから「どうなるんだろう、なんなんだろう」と。衝撃は受けているんだけど、あまりにも現実離れしすぎていて、どういうものなのか理解できない。街に出てみても、一見、ふつうなんですよね。その日から街中が荒れていたり、危険すぎて外に出られないという状況ではない。ネットが遮断されるというウワサがあったり、みんな「今後、どうなるのか」と不安な気持ちを持っているなというのは伝わってきたけど、街の様子はふつうな感じでした。
――クーデターが起きたあとも、買い物とかはできる状況だったんですか?
その前にコロナで店の営業時間なども変わりつつあったので、クーデターが起きたからスーパーが閉まっているとかはなかったです。営業時間がすごく短くなったりはしたけれども、それはコロナの影響でそうなっていたりもしたので。僕が外国人としてヤンゴンで暮らすぶんにおいては、「これは大変だ」というほどでもなかったです。コロナがあって、外に出ないことに慣れていたので、クーデター後も引き続き“外に出ない”という生活を続けていました。
ただ、街の変化はありました。以前は軍の車が走っているところなんて見たことなかったですけど、いまは日常茶飯事ですし。トラックに軍の人が座っていて、銃などを持っているところも目にする。あとは、役所や政府系の場所に行くと、土嚢が詰まれていたり、車がスムーズに通れないようにバリケードが設置されていたり、そういうのは2月以降、当たり前の風景として、逆に慣れてきたというところはあります。
最近は、こういう状況下でも経済もまわしていかなきゃならないし、できるだけもと通りの生活をしようという気持ちからか、大きなショッピングモールでジャパンフェアが開催されて、コスプレをした若い子たちが賑わっていたり、そんな日常も戻りつつあります。緊張感と日常が入り混じった状態という感じです。
――銃を持った軍の人と、ふつうの市民たちはどのような距離感でいるんですか?
軍関係者と街の人と楽しくおしゃべりとか、そういう空気ではないです。そこは完全に分かれていて、同じ空間にいても、見えない一線が明確にひかれています。ニュースで報道もされていると思いますが、クーデターに対して「不服従運動」という抵抗をする市民も多くいて、それに対する弾圧もありました。外国人である僕がなんかされるってことはないけれど、ミャンマー人は正直、何があるかわからないという不安はあるんじゃないかなと思います。
コロナ禍に始めたTikTokでバズった!
――住みます芸人としての活動などに影響はありましたか?
まずコロナで人前に立つ仕事も、テレビの仕事もなくなって。これは自分から何か発信していかないとと、コロナになってすぐくらいに始めたのがYouTubeでした。英語でミャンマーの街の様子をアップして、日本人だけでなく、世界の人に見てもらえるように。ミャンマーの人にも見てもらえるようにミャンマー語の字幕もつけて。それが思っていた以上に順調に進んで、半年ぐらいで1万人ぐらいの登録者になったんです。
ただ、その後、軍事クーデターが発生してしまって、ミャンマーの街中を撮影しながらミャンマーの様子を伝えるのが難しくなってしまったので、家の中でもできることを、ということでTikTokを今年4月ぐらいから始めたんです。そうしたら、そっちも早い段階でミャンマー国内でバズりまして。フォロワーも増えて。半年ちょっとで40万人ぐらいフォロワーができました。
――すごいですね! どんな内容のものがバズったんですか?
日本人がミャンマー語でヘンなことを言うって内容で。バズった動画が、僕が自分のことを「オチ○チン君」と言っているものなんです(笑)。コメントでほとんどが好意的なものなんですけど、たまに「このチ○コ野郎」とか悪口が来て、そのコメント返しで「僕はチ○コ野郎じゃないです。オチ〇チン君です!」と言うっていう。その言い回しが面白かったのか、めちゃくちゃバズりました。だからミャンマーでは、僕のことはアーキーではなく、「グイジークァン(オチ〇チン君)」というニックネームで知られています。
見てくれているのは、おそらく99%がミャンマー人なんですけど、正直、現地のテレビに出たときよりも知名度はグンと増した。TikTokの影響って大きいんだなと、いまの時代を感じました。僕ができる笑いがシンプルなものっていうのもあって、それゆえにTikTokにもハマったのかなと。短くて、わかりやすい。それしかできないタイプなので、それがよかったのかなと思います。
――タイやベトナムなどの住みます芸人たちとも『勝手にASEAN会議』と題して一緒に配信したりするんですね。
コロナになってみなさん帰られたりして、やっぱり少し寂しさを感じていたんですけど、タイ住みます芸人のあっぱれコイズミさん、フィリピン住みます芸人のほりこっしさん、ベトナム住みます芸人のダブルウィッシュの(中川)新介さんにお誘いいただき、参加させてもらうようになりました。こっちにいると、日本人のお笑い芸人と絡む機会もないので、すごくありがたくて、僕自身、楽しませてもらいながらやらせてもらっています。ヘンな話、これをやらせてもらってから、自分のトークも少しずつ上達しているのではないかと思ってて(笑)。ぜひ最初の回といちばん最近の回で比べてみてほしいです。
ミャンマーは自分のホーム!
――2月にクーデターがあって約10カ月たった現在、ヤンゴンの街はどうなってますか?
一見すると、日常を取り戻したような雰囲気を醸し出していますね。ふだんの様子に見えるんだけど、でも、市民の抵抗運動による事件はやはり起きてもいる。自分は遭遇しないだけで、でも、大変な事件はすごく耳にするので。そういうのに巻き込まれないようにと思いながらの生活ってことになります。
2月にクーデターが起きたとき、『勝手にASEAN会議』の配信のなかで「僕は現状をどんなふうに伝えるべきなのか」と非常に悩んだんです。でも、政治的なことを発信するのは僕の仕事ではないなと。いま僕がやるべきことは、コロナやクーデターになる前のミャンマーを知ってもらうこと。こんないいところで、こんな良さがいまでもあるんだよというのを発信していくのが、僕の役割ではないかと。
だから、たとえば、いま僕の(取材しているZOOMの)“背景”はミャンマーのガパリビーチというところなんですけど、ヤンゴンから飛行機で1時間ほど北に行った、東南アジアでベストビーチに選ばれたこともあるほど海がきれいな場所なんです。なかなか行き来はできないけど、いろいろ落ち着いたらみなさんにミャンマーに来てほしいなって思っています。
――コロナやクーデターでできないことが多いなか、発信することは続けているんですね。
常に何かでミャンマーに貢献したいとは思っているんです。だからやれることはなんでもやる。ただ、やれることをやりすぎて、2カ月ぐらい前にハゲの植毛手術までこっちでしちゃったんですけど(笑)。「時間があるし、家にいるしかないんだったら」と思って。毛根1,600本植えました。やれること以上のことはやっていますね。
僕なんかできることは少ないですが、YouTubeの収益はミャンマーの孤児院などに寄付したり、FANYのクラウドファンディングで吉本所属のSatolyさんと一緒にミャンマーの孤児院への寄付プロジェクトをやったり。クラファンのほうは残念ながらゴールは達成できなかったんですけど、集まったおカネは10カ所の孤児院に寄付させていただいて。そういう活動を続けていくのが、僕にできる小さなことなんじゃないかなと思っています。TikTokなんかも、少しでも喜んでくれる人がいるなら僕はそれをやり続けたいと。それによって僕の役割が果たせているのではないかなと思うので。
――最後に、アーキーさんがいちばん好きなミャンマーの「良さ」ってなんですか?
ミャンマーって、とにかく人が優しい。それが本当にすごいんです。困ったらすぐに寄ってきて助けてくれる。相手が誰とか関係なく、外国人だろうと男だろうとなんだろうと、すごくよくしてくれる。まったく見返りを求めていないんですよね。だから、とにかく感謝しかない。ミャンマーに来た人はみんなミャンマーを好きになって帰る。そのくらいにいいところなんです。
僕が紹介するようなミャンマーを含めて、この国のことをとりあえずたくさんの方に知ってもらいたい。軍事クーデターが起きた後は、おそらくミャンマー市民の感情からすると、戦うぞっていう気持ちでいるほうが本音だと思います。すごく難しい情勢にはなってしまったけれども、また以前のようなミャンマーになって、それを多くの人に知ってもらえるようになることを願っています。僕にとってミャンマーは、もはや“ホーム”なので!
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