ピン芸人であり、脚本家としても活躍するオコチャ(冨田雄大)が手掛けたテレビドラマ『迷子のわたしは、諦めることもうまくいかない』(中京テレビ、2024年12月放送)が、今年10月に発表された「東京ドラマアウォード2025」でローカル・ドラマ賞に輝きました! 脚本家としての才能を開花させ、「自分の中の考えごとが作品の“出汁”になっている」と語るオコチャに、脚本を書き始めたきっかけや、作品への思いなどを聞きました。

この作品は、30歳を目前に何もかもがイヤになった女性が、ふと思い立ち三重県・四日市市を旅するというもの。四日市あすなろう鉄道を舞台として、”ひと駅30分”をカギに、人生における「乗り遅れ」をテーマにしたハートフルなドラマです。
もともと先輩であるあべこうじに「脚本書いてみれば」と言われて、劇場で60本以上の脚本を執筆。2011年には宮城住みます芸人として被災地にも足を運び、さまざまな人と触れ合ってきました。現在、ポッドキャスト「眠れぬ夜の心を包む静かな朗読劇」の脚本なども手がけるオコチャの“頭の中”を見せてもらいまいた。
「誰もが見てわかる作品」は自分には書けない
――まず受賞作を手がけることになった経緯から聞かせてください。
プロデューサーが、前に一緒に仕事を(『量産型リコ』)した方だったんです。それで、ドラマのコンセプトというか、プロット(物語の筋)が決まっているなかで、「向いているんじゃないか」ということで声をかけてくださいました。
でも正直、自分ではどこが向いていると思われたのか、わからなかったんですよね。いただいたプロットの内容を見て、自分のようなおじさんの脚本家でもいいのかな?と思ったほどです(笑)。

――オコチャさんのあったかい作風が「向いている」と思われたのでは?
自分の作風があるとして、そこを気に入ってくださったならうれしいですけれど、自分では作風がよくわからないんですよね……。“ものすごくハッキリしていて、誰もが見てわかる”みたいな話は、見るのは好きなんですけど、自分では全然書けない。だから、そういう作品を自分が書くとなると、そっちじゃないほうにいっちゃう。でも、その“そっちじゃないほう”が合うと思ってもらえたのかもしれないですね。
終点の駅で発見した“ロスタイム7分”のリアリティ
――では、今回の受賞については、どのあたりが評価されたと思いますか?
まず、映像がめっちゃキレイなんですよね。そして、キャストの方々もすごくいい。たとえば、(主演の)藤原さくらさんと辻凪子さんのかけあいが、とても自然だったり。
また脚本でいうなら、ドラマの軸になっている「ひと駅30分」というのを僕が実際にやってみたんですよ。「ひと駅30分って何だ?」と思われるかもしれないので説明すると、四日市あすなろう鉄道って、どの駅でも30分に1本、電車が来るんです。それで、ひと駅ごとに降りて、次の電車が来るまでの30分、その駅を見て回る。それが「ひと駅30分」という意味です。で、僕はフリーパスを使って、その「ひと駅30分」をやってみたんですね。そうすると、JAにでっかい野菜があったり、だんご屋さんがあったり。そういうことをドラマの中にうまく入れ込めました。
そうそう、終点の駅で降りて、おいしいと評判のお団子屋さんに行って食べて、駅に戻ってくる場面があるんですけど、実はこれ、距離的に30分ではギリギリ戻ってこられないくらいなんですよ。

「これを『ひと駅30分』ということで脚本に入れると、ウソになってしまうな」と思っていたんですが、実際に僕がお団子屋さんに行って駅に戻ってみたら、まだ電車がいた! というのも、その駅は始発になるので、そこだけ30分間隔ではなくて7分も余分に時間があるんです。そこに気づいたとき、すごくうれしくて。経験しないと書けないことですから。それで、そういうシーンを入れたんです。
僕が感じた「うわ!」っていううれしい気持ちを入れ込めたつもりですが、それが見てる方に伝わったかどうか(笑)。でも、想像では書けない、いろいろな細かいリアリティを入れ込めたのは、よかったなと思います。
あべこうじの“ひと言”がきっかけに
――脚本を書き始めたきっかけは何だったのでしょう?
神保町よしもと漫才劇場の前身の「神保町花月」で、ある日、あべこうじさんが「オコチャ、脚本に向いてるよ。書けるよ!」と急に言ってくださったんです。それで一応やってみて、作ったプロットを見せたところ、「実際に舞台としてやろう」となったのが最初です。
神保町花月が始まって2~3年ぐらいのころだったと思うんですけど、その作品を褒めてもらってから、その後も書き続けているという感じです。いまでも「なんであべさんはあんなことを言ってくれたんだろう?」と不思議なんですよね。そのころの僕の、どこが「向いている」と思ったんだろうって。
――脚本の基礎を身につけるという点に関しては、神保町花月の存在は大きかったですか?
それは本当にそうですね。神保町花月では、1時間半から2時間の公演を、年に3~4本書いていました。合計で60本くらいですかね。それって、ものすごく恵まれていたなと思うんです。たぶん、どんなに実績がある人でも、自分たちで主催する舞台となったら、そのペースで脚本を書くのは大変だと思います。でも、それをやらせてもらえる環境があった、数を書かせてもらったというのは、いまにすごくつながっているし、ありがたかったですね。

――もともと、ドラマやお芝居は好きだったのですか?
それが、まったくそうではないんです。本を読まないとか、ドラマを見ないというわけではないけど、本当に平均的だと思います。むかしバイト先に、TSUTAYAでビデオを端から借りていく人がいたんですけれど、当時は「この人、意味わかんないな」と思ってました。すごく一般人的な感想ですよね。僕はそのレベルです。
でも、いまになると見ておけばよかったなと思います。いろいろな作品を読んだり、見たりすると、読解力が育つじゃないですか。そして読解力が身につくと、人生楽しくなるものがいっぱいある。読解力がなくて理解ができず、楽しめないことが多いというのは、もったいない感じがしますよね。
“考えごと”が自分の脚本の出汁
――“脚本を書く”という作業のために、日々やっていることはありますか?
唯一やっているのは、たぶんみんなと同じで、考えごとです。記事には載せられないようなことばっかりなんですけど(笑)。答えが出ないようなことを、1人で考えるのがクセというか、好きなんですよね。
自分の中で、それをいろいろと考えて、「もしかしたら、そうなんじゃないか」とか結論に至って「ハッ!」とするとうれしい。マジで1円にもならないけど、時間はつぶせる。それが、自分が書く脚本の「出汁(だし)」みたいになっているのかなとは思います。
たとえば、「新聞への投書蘭」がSNSで流れてきたことがあったんですけれど、「いま人生がうまくいかない。もっと親の言うことを聞いておけばよかった。自分は終わりだ」みたいな内容で、文字数の関係でそう書いたのかもしれないですけど、それを読んでこう思ったんです。
「うまくいっていない人生の中にも、人に感謝したくなる瞬間とか、いい夜とかあったはずだろ。その人生でしか出会えなかった優しいこともあったはず。それを全部なしにして、いま自分がうまくいっていないと、なにを嘆いているんだ」と。つまり、気づけるか気づけないかだと思うんですよね。

実際、僕自身もうまくいっていないから。うまくいっていないって、結局、世間にいまのままじゃダメだよ、と否定されている状態なんです。でも、それって面白い面白くないではなく、仕事になるかならないかの基準なんですよね。その軸で世間が否定していても、自分でさらに否定することではない気がするんですよね。
――自分の脚本家としての“味”はどう考えていますか? たとえば会話の面白さとか、余白、展開の面白さとか。
ほんとに自分ではよくわからないんですけど、「会話がいい」と言われたらうれしいなと思います。会話を書くのは好きなので。“好き”と“上手い”は別なんですけど、好きだからこそ、そこが味だと思ってもらえたらいいなと思います。
「2人でやる10分ぐらいの脚本」が200本
――今後、脚本家という視点でやっていきたいことなどはありますか?
宮城県住みます芸人だったときに、岩沼というところで、よくしていただいたんです。そこは被災地なんですけど、僕が窓を逆につけてしまったりとかポンコツすぎて、僕のほうが助けてもらったり、お世話になったという感じで。
そんななか、ある女性と飲んだときに「引きこもりの息子を元気づけるために、小さいものでいいから舞台やってみたい」と話されたことがありました。でも、一般の方が舞台を作ろうとなると、おカネもかかるし、人数も必要だしといろいろと大変なことがあるんです。だから「2人くらいの少人数でできて、衣装とかも気にしなくてよくて、10分ぐらいでお芝居として満足してもらえるような作品」というのを書いてみようと思ったんですね。それが、ポンコツすぎてぜんぜん役に立てない僕ができることなのかなと。
それがきっかけで書き始めた「2人でやる10分ぐらいの脚本」がどんどんたまって、いま200本ぐらいになっているんです。

――それはスゴいですね!
その話を制作会社の方に見せたら「面白いね」と言っていただき、その後、イベントでやったり、配信でやったりと新しい展開も出てきていたんですけど、そうしているうちに、「一般の人が予算をかけずに手軽に舞台をやるために書き始めた」という初心を忘れていたなと、ふと気づくことがあったんです。
それで、せっかく200本ぐらいあるので、いろいろな人に使ってもらえるかたちにできればいいなと思っています。ちゃんとした舞台というよりも、カラオケみたいな感覚で、普通の人たちが余興みたいに、ちょっとお芝居してみようかと気軽に楽しめるような感じで使ってもらえないかなと。本当にボランティアで役に立たなかったので、ちょっとした恩返しというような気持ちというか。
そういう意味では、いつか宮城を舞台に「ボランティアに行ったけど、全然役に立てなくて」っていう話も書いてみたいなと思います。それこそいろいろな実体験を盛り込めると思うので(笑)。
ポッドキャスト「眠れぬ夜の心を包む静かな朗読劇」公式X:https://x.com/shizukanarodoku
