「シモキタブラボー! 」結婚したくない男
下北沢歴23年芸人ピストジャム初連載

シモキタブラボー!

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

出典: FANY マガジン
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イラスト:ピストジャム

#03「結婚したくない男」

ゆうやは震えていた。肩をすぼませて両手をダウンジャケットのポケットにつっこみ、畳の上に正座して小刻みに震えていた。吐く息は白い。かちかちかちかち、かち、かちかちかち、かちかちと不規則なリズムで歯の音が鳴っている。まるでバリ島のケチャのようだ。こんなに寒いのに南の島みたいだ。

ゆうやは大きな間違いを犯した。好奇心で言ったんだろうが、後悔してももう遅い。こんなことになるとは思ってもみなかっただろう。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

出会ったのは、おたがいに20歳のときだった。下北沢のベースメントバーというクラブに、イベントについて電話で問い合わせをしたとき応対してくれたのが、ゆうやだった。そのクラブでバイトしていて、イベントの当日に顔を合わせると「変わった名前だから覚えてたよ」と話しかけてきてくれた。

僕の本名は『野 寛志(の かんし)』という。苗字が『野(の)』で、下の名前が『寛志(かんし)』だ。よく中国や韓国の出身と間違えられるが、日本人だ。先日もビジネスホテルに宿泊した際、フロントで「在留カードはお持ちですか?」と尋ねられた。そんなことは日常茶飯事だ。

『野 寛志』という名前で生きていくのはしんどい。僕も他人から『の かんし』という音で名乗られても日本人の名前だとは思わない。まだ漢字を知らない子供のころ、『の かんし』は『か』以外の『の』も『ん』も『し』も1画なので簡単に名前が書けた。総画数6画でフルネームを書けるのは、全国で僕くらいなんじゃないだろうか。名前で得をしたことは、これくらいしか思いつかない。あとは苦労ばかりだ。

あるサイトによると、『野』という苗字の人は全国に770人ほどいるらしい。関西に親戚が20人くらいいるので、ほかに750人も『野さん』がいることになる。父は、広島と富山で『野さん』に会ったことがあると話していた。僕は、あるバイトの面接の際に東京出身の面接官から「小学校の同級生に『野さん』がいた」という話を聞いた。

この苗字のおかげで、小学生のときクラスの女子から『結婚したくない男子No.1』に選ばれた。同じクラスに『りか』ちゃんという子がいたのだが、「『りか』が『野』と結婚したら、『のりか』やな」とまわりからからかわれて、りかちゃんはすごく嫌そうな顔をしていた。確かに、『野』に合う女の子の名前は難しい。もし『桜』ちゃんだったら『野桜』になるし、『のの』ちゃんだったら『ののの』になるし、『ノリカ』ちゃんだったら『ノノリカ』とアメリカのメタルバンドみたいになってしまう。

大学時代には留学生からもいじられた。『ミスターNO』は、名前がないことを表す名無しの権兵衛的なことだとか、つねに否定する人という意味だとかと言って笑われた。『野』という苗字が珍しいと感じるのは日本人だけだと思っていたら、大間違いだった。『野』はワールドワイドにいじられるのだ。

芸人になってからは、トークのネタにできると思って本名のまま活動していた時期もあった。だけどネタをするときは邪魔だった。「どうも、野です。この前……」と話し出すと、お客さんが「いま何て言った?」という顔をしてざわつく。ネタを聴いてもらう前に「苗字が変わっていまして、野原の野で『野』ってひと文字だけの苗字で……」と持ち時間が数分しかないのに、名前の説明をするハメになる。それで芸名をつけるようになった。 

そんな自他ともに認める珍しい苗字なのだが、僕は絶対にこの『野一族』の中でも特別に苦労している。それは、下の名前も珍しいからだ。『野』だけなら、まだ珍しい名前と言われるだけで済む。しかし、『野 寛志』になると、突然日本人離れした変な名前になる。

自己紹介や挨拶で「の かんしです」と名乗ると、100%「え?」と言われる。名前を伝えただけなのに、人から「え?」と返されるのだ。ほとんどの人はそんな経験がないからわからないと思う。これは『の かんし』歴43年になったいまも、なかなかのストレスだ。しかも、ここからが長い。まず、国籍を訊かれる。次に漢字。興味を持った人は、そこから出身や家族構成など気になることをどんどんと質問してくる。

一番厄介なのは、名前を言った後に国籍を訊いてこなかった人たちだ。そういう人たちは、たいてい僕のことを外国人だと思っている。だから、ふとしたタイミングで「日本語うまいね」とか「日本で生まれたの?」と話しかけてくる。部屋を探しているときなんて、自分から「日本人です」と伝えないと、行く先々の不動産屋でひたすら外国人向けの物件ばかり紹介される。

これは余談だが、僕には2歳下に『だいすけ』という弟がいる。おそらく両親は、『かんし』は攻めすぎたから次男は置きにいって、『だいすけ』にしたんだろう。幼心に『だいすけ』という日本人らしい名前がうらやましかった。しかし、『だいすけ』も見事に『野』の洗礼を食らっていた。

僕とだいすけが小学生のころ、そろって風邪を引き、母に連れられて近所の小児科に行った。診察が終わり、待合室で薬をもらうのを待っていると、母が「かんしの薬はすぐもらえたのに、全然『だいすけ』の名前が呼ばれへん」とこぼした。『だいすけ』は看護師さんから「野田さあん、野田イスケさあん」と呼ばれていた。『だいすけ』の薬の袋には、かたかなで『ノダ イスケ』と書かれていた。『イスケ』という名前もなかなかパンチが効いていると思うが、看護師さんからしたら『ノ ダイスケ』のほうがありえない名前だと思ったのだろう。

僕はそんな変わった名前なので、電話口で少し話しただけなのにゆうやに覚えられていた。同い歳だったし仲もよかったが、当時は携帯電話を持っていなかったので、連絡先を交換するわけでもなく、店で顔を合わせたときに話すというくらいの関係だった。その後、僕は芸人になり、ゆうやと会わなくなって10年の月日がすぎた。

ある日、下北沢をぶらぶら歩いていると、ばったりゆうやと再会した。以前働いていたクラブの系列のバーで店長をしているという。場所も下北沢だというので、連絡先を交換し、数日後そのバーに飲みに行った。

店は路地に入ったビルの地下1階で、落ち着いているのにシモキタっぽいおしゃれなバーだった。カウンターのテーブルの端には金網があって、そこにはバンドやクラブのフライヤーがたくさん吊られていた。店の名前は『1995』。数字なのが隠れ家っぽくてかっこいい。

カウンター越しに昔話に花を咲かせた。おたがいハードコア・パンク好きだったので、話は尽きなかった。ひと晩だけじゃ全然話し足りない。

店を閉める時間になったので、ゆうやが片づけを終えるのを待って、一緒に店を出た。2月だったので明け方の空はまだ暗かったが、新しい友人ができた喜びで心はすでに晴れていた。再会を祝うにふさわしい楽しい夜だった。名残惜しかったが、このたばこを吸い終わったら家路につこうと思っていると、「家行かせてよ」と言われた。

ゆうやも僕と同じ気持ちだったんだと思うと、うれしくて少し照れた。しかし、僕の部屋は風呂なし共同トイレの築50年のボロアパートで、エアコンも付いていないのでめちゃくちゃ寒い。もらいものの灯油ストーブがあったのだが、壊れて使いものにならない。人を呼べるような環境ではなかった。そのことを話したが、ゆうやは「全然大丈夫だよ」と言って、どれくらいボロいアパートなのか楽しみだなと言わんばかりに、逆にテンションが上がっているようだった。僕は、後悔すんなよと心の中でつぶやいた。

出典: FANY マガジン
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イラスト:ピストジャム

ゆうやは震えていた。僕もゆうやとまったく同じ体勢をしていた。人間は寒いと、外気と接触する面積を減らそうとするためなのか、自分の体温で少しでも暖を取ろうとするからなのか、本能的に体をできるだけ縮こめようとする。ゆうやが部屋に入ってから僕よりも先にこの体勢になったので、この部屋の正しいすごしかたは、この体勢であっていたんだと安心した。

灯油ストーブをつけたが、やっぱり壊れていて少しも暖かくならない。二人とも部屋に入ってもダウンを着たままだった。ゆうやは「靴脱いだぶんだけ寒くなった気がする」と言って、正座をよりビッと正した。僕は、ゆうやがいることで若干いつもよりは暖かいなと思っていた。

さっきまであんなに楽しく話していたのが嘘のように、何も話さなくなった。向かい合って正座して震えている。体勢だけでなく、服装も一緒なことに気づくと笑えてきた。違いは、ダウンのチャックを一番上まで締めているか、締めていないかだけだった。ゆうやと一対の狛犬のようになった気分だった。

我慢の限界を迎えたのか、ゆうやは「これ吸ったら帰るわ」とつぶやき、ポケットからマールボロのブラックメンソールを取り出した。ブラックメンソール! こんなに寒いのに、まだ寒くなりたいんかい。

それから、ゆうやはことあるごとに、お古のアイフォーンやアイポッドなど、欲しくてもお金がなくて手に入れられなかったものをくれるようになった。変な名前でいいことは何一つないと思っていたが、ゆうやという友人と出会うことができた。


出典: FANY マガジン
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ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。

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