ピストジャム初連載「シモキタブラボー! 」
「太陽と月」

シモキタブラボー!

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

#06「太陽と月」

20年ほど前、下北沢には二人の名物おじさんがいた。それは、いま思えば太陽と月のような二人だった。

ひとりは、赤ひげ先生。南口の駅前でよく整体のパフォーマンスをしていた。ドン・フライのような立派な口ひげがトレードマークで、眼は大きくぎょろっとしていた。髪型は、おでこがかなり後退しているのにロン毛だったので、落武者のようだった。施術用の白衣を着ていることが多かったが、たまにアロハシャツにジーパンといった普段着のままのときもあった。空手の達人のような堂々としたたたずまいで、声や動きが大きく、いかにも精力絶倫という感じだった。

『スーパージョッキー』や『うたばん』などのテレビ番組に出演した際の写真を10枚くらいと、「広田赤ひげ」「人情治療0円」「肩こり・ストレス・猫背」などと手書きで書いた紙を20枚くらいあたりの電柱や壁にベタベタと貼り付けていたので、南口を通る人には否が応でも目に入った。貼られた紙を眺めると、なかには「開運」とか、「人生これから」とか書かれたものもあり、「整体関係ないやん」と思った。「1mの巨大うんこ」というのもあったが、それはちょっと興味をそそられた。しかし、僕には道行く人に注目されながら整体をしてもらう勇気はなかった。

赤ひげ先生は、見た目のインパクトだけではなく、陽気なキャラクターだったので人気者だった。パフォーマンスを始めると、自然と人が集まり、写真をせがまれたりもしていたし、笑いもめちゃくちゃ取っていた。

女性が整体を希望すると、無料で15分くらい丁寧にしてあげるのに、それを見て男性が来ると、施術は2、3分でさっと終わり、「男は500円!」と言って、お金を取っていた。それを見て、まわりの人たちは手を叩いて笑っていた。そして、それを見てまた女性客が来ると、今度は施術しながら「便秘とか困ってない?」と声をかけ、仕込んでいた太くて長い茶色の棒を女性客が座っている椅子の下から引っ張り出して、「出た! 1mの巨大うんこ!」と言って、爆笑をさらっていた。僕は、もしかしたら自分も同じ目にあっていたかもしれないと思うと、「危ないとこやったで」と胸をなでおろした。

出典: FANY マガジン
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イラスト:ピストジャム

赤ひげ先生は、南口からすぐのところに治療院を構えていた。一度、道端でばったり会ったときに、なんとなく軽く会釈をしたら、「おお! 顔わかるよ!」と言われて、なぜかそのままその治療院に連れて行ってもらったことがある。

治療院の中はごくごく一般的で、施術用のベッドが置かれただけのシンプルなつくりだった。壁には、芸能人と映った写真のほかに、世界中を旅したときのものと思われる写真がたくさん飾られていた。

聞くと、世界各地で、シモキタの駅前でやっているようなパフォーマンスをしながら、ひとりで世界一周したらしい。衝撃だった。めちゃくちゃかっこいい。僕なんかより全然芸人だ。

整体は芸ではなく治療だと言っていたが、僕からしたら同じことだ。自分の身一つで、お金を稼ぎ、世界一周するなんて、半端な覚悟でできるもんじゃない。

僕は無粋だとは思いながらも「お金とか大丈夫だったんですか?」と訊いた。すると、「お金じゃないんだよ! そこにいる人たちを楽しませようと思ってるだけなんだから!」。言葉も出なかった。この人は男の中の男だ。

もうひとりの名物おじさんは、ホッパンおじさんと呼ばれていた。親しみを込めて、ホッパンさんと呼んでいる人もいた。ホッパンおじさんは、いつもお尻の下の部分がほとんどはみ出した極端に短いホットパンツをはいていたので、そう呼ばれていた。美脚を強調するように網タイツや、ロングブーツをはいているときもあった。

ホッパンおじさんのすごいところは、ホットパンツだけではなく、上半身も強烈だったことだ。常に丈の短いタンクトップを着ていて、かならずへそを出していた。しかも、年中。信じられないと思うが、冬でも上着を羽織ることなく、へそ出しのタンクトップにホットパンツというスタイルだった。

全身お肌つるつるで、女性用のハンドバッグを手に持ち、お尻をぷりぷりさせながら闊歩する姿をたびたび目撃した。ほかには、モスバーガーのテラス席でコーヒーを飲んでいるところもよく見かけた。セガフレードカフェのテラス席にもしょっちゅういた。モスバーガーもセガフレードカフェも北口なので、おそらくホッパンおじさんは北口の住人だったに違いない。

ホッパンおじさんは、謎に包まれていた。誰に訊いても「名前はわからない」と口にするのに、みな「仕事は一級建築士らしいよ」と答えるのだ。しかし、誰もどこからその情報を仕入れたのかは覚えてもいない。ホッパンおじさんのことを知らない人はいないのに、本人と話したことがある人はどこにもいなかった。梅ヶ丘あたりに立派な家があるらしいとか、渋谷のBunkamuraのビルをデザインしたらしいとか、小田急線に乗って来ているらしいとか、いや井の頭線だとか、噂は絶えなかった。

僕は、一回だけ真冬にホッパンおじさんが上着を羽織っている姿を見たことがあった。それを飲み屋で話したら、全員から「嘘つけ! ホッパンおじさんが上着を羽織るわけがないだろ!」と怒られた。それくらい、ホッパンおじさんのあのファンキーなスタイルは下北沢中に浸透していた。

赤ひげ先生とホッパンおじさんがいたころの下北沢が懐かしい。二人とも、気づいたらいなくなっていた。 南口と北口の双璧。虎と龍、動と静のように対照的な二人。下北沢を照らす、太陽と月のようだった。


出典: FANY マガジン
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ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。

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