ピストジャム初連載「シモキタブラボー! 」
「僕らの下北沢」二人きりの送別会

シモキタブラボー!

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

出典: FANY マガジン
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イラスト:ピストジャム

僕らの下北沢

昨年末、ザ・プレジデントというコンビが解散した。解散の理由は、ボケのシンペイコシノが芸人を辞めて、地元に帰ることになったからだという。

自分がおもしろいと思っている後輩が、芸人を辞めてしまうのは歯がゆい。お前みたいにおもろい芸人が辞めやなあかんねんやったら、俺なんか絶対辞めやなあかんやん。そう思った。

昔、ある先輩から「辞める後輩を止めたことがない」という話を聞いた。止めたとしても、その後輩が売れるかどうか責任を持てないからというのが理由らしい。

確かに、そのとおりだ。でも、それってさびしいなと思った。

責任なんて持たんでいいやん。思ったこと言ったらいいやん。売れるか売れへんかわからへんなんて、そんなこと百も承知やん。

俺は、お前のことおもろいと思ってる。辞めるなんて、もったいない。俺よりおもろいのに、なんでお前が辞めんねん。

ザ・プレジデントは、シンペイコシノと石井のコンビで、僕の6年後輩だった。毎月シモキタで「近藤商店」というお笑いライブに一緒に出ていたのだが、僕は彼らがスベッているところを一度も見たことがない。

歌とダンスを得意とする二人がつくるネタはバカバカしく、ネタが終わったあとには「アホやな」という褒め言葉が口をつく。そして、歌とダンスを売りにしているとは思えない野暮ったい見た目がクセになるコンビだった。

石井は、芸人を続けるらしい。よかった。

胸をなでおろしたが、何が「よかった」のか自分でもよくわからない。続けたからといって売れるような甘い世界ではない。

石井とは、シモキタのピザ屋でも一緒にバイトしていた。僕は、いまそのピザ屋は辞めてしまったが、彼はまだそこで働いている。

ザ・プレジデントの解散は、石井からの連絡で知った。石井が送ってきた文面は淡々としていたが、受け止め難い事実を受け止めざるを得ない状況であるという無念さが感じ取れた。「これからも一緒に頑張ろう」というセリフを言うこともはばかられた。

いままで、苦楽をともにした後輩が解散したり、辞めていったりしたことは何度も経験したはずだった。でも、今回はちょっと違う。特別に、胸にずしりと響いた。コロナ禍だからだろうか。苦しい。

出典: FANY マガジン
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イラスト:ピストジャム

彼らが解散したあと、シンペイコシノをごはんに誘った。彼が地元に帰る二日前だった。

昔話をするつもりも、止めるつもりもない。ささやかではあるが、新しい門出を祝ってあげたかった。

ただ、これから会う彼は、もうシンペイコシノではなく、越野新平なんだな。そう思うと、切なくなった。

越野新平との待ち合わせは、シモキタの駅前で17時だった。「シモキタっぽい渋い店に行きたい」という彼の希望があったので、どこがいいかなと思案したが、はなむけにふさわしいような店が思い当たらなかった。

彼に食べたいものを訊いて店を決めようと思い、会う前に連絡した。返ってきた言葉は「さっきまで送別会があって、めちゃくちゃ食べたんで、ごはんは大丈夫です」だった。そして、「このあと20時からまた別で送別会が入ってるんで、お茶で大丈夫です」と重ねる。

僕は、笑ってしまった。いや、お前は大丈夫かもしれんけど、俺はいつごはん食べたらいいねん。しかも、一日に三件の送別会って。俺は、三番目の女か。

「とりあえず、シモキタっぽい店連れてくわ」。会う時間も限られているとわかったので、足早にジャズ喫茶マサコに向かった。

マサコに入ったが、入って2秒で店選びをミスったことに気づいた。店内は、ひとり客でほぼ満席になっていた。

通されたのは、大きなスピーカーの前のソファ席だった。そのソファ席は、二人がけのソファが一つあるだけで、横並びで座らなければならなかった。

四十路を越えた中年男性二人が、ソファに並んで座り、コーヒーをすする。しかもスピーカーの前なので、全然おたがいの声が聞こえない。話したいことはたくさんあるのに、まともに会話ができない。あきらめて、無言でコーヒーをすする。どんな送別会やねん。

僕たちは、15分ほどで店を出た。おそらくマサコ史上最速レコードを叩き出したはずだ。

「いまの店、シモキタっぽかった?」。尋ねると、「中毒性ありますね」と、よくわからないことを言っていた。

「次は、新しくシモキタにできた場所に行こう」。数日前にオープンしたばかりの、複合施設テフラウンジに向かった。

駅直結のその建物は、コンクリート打ちっぱなしで、センスのいいカフェやミニシアターが入っていた。シモキタっぽいところに行きたいと言われていたのに、全然シモキタっぽくなかった。

「ここはシモキタっぽくないな」。僕がつぶやくと、彼は「ここも中毒性ありますね」と、またよくわからないことを言っていた。

テフラウンジからは、世田谷代田駅方面に遊歩道が新しく整備されていた。遊歩道の先に、二年前にできたボーナストラックという下北線路街の明かりが見えた。

「あれ何ですか?」と訊かれたので、ボーナストラックまで散歩することを提案した。間接照明のように、足もとだけをあたたかいオレンジ色の光が照らす。カップルだったら自然と手をつないだり、腕を組んだりして歩きたくなるような、雰囲気のあるおしゃれな遊歩道だった。

光と光の間には一脚ずつベンチが設置されていた。案の定、ベンチにはカップルが。

足もとにしか街灯がないので、カップルの顔は暗くてわからない。夜の闇と半分同化した男女の上半身が、シルエットだけぼんやり。なんだか色っぽい。

いままでシモキタにこんなところはなかった。きっと夏になったら、ここのベンチは毎晩カップルで満席になるんだろうな。

そんなことを考えていたら、この遊歩道をおっさん二人で歩いていることに笑えてきた。ベンチのカップルからしたら、おじさんが仲よくウォーキングをしているように見えたことだろう。

ウォーキング送別会。なんやこれ。

僕は、「ここの遊歩道も中毒性あるな」と言った。すると彼は、「中毒性、ありますね」と答えた。よくわからないけれど、合っていたみたいでほっとした。

ボーナストラックの周辺を散策して、王将のほうに抜けた。そういえば、前から気になっていた店が近くにあった。

その店は、No Room For Squaresという名のバーだ。雑居ビルの4階にあって、ジャズが聴けるという。二年ほど前にオープンしたことは知っていたのだが、なかなか行けるタイミングがなかった。

「行ったことないねんけど、行きたい店あんねん。行ってもいい?」。「もちろんです」。もはや送別会ではなくなっていた。ふだんの僕らの会話。僕らの下北沢のすごしかただった。

エレベーターで4階まで上がった僕は、目を疑った。そこには、店の入り口がどこにもなかったからだ。

左手に扉はあるが、そこは非常階段の扉だった。右手には、1950年代か60年代のものと思われるアメリカンヴィンテージの真っ赤なコカ・コーラの自販機が1台置いてあるだけだった。

狐につままれた気分だ。場所は間違いないのに、店がない。

僕は、呆然としながら「ここで合ってるはずやねんけどな」とこぼした。すると、彼は「しっ!」と人差し指を立てて、僕を黙らせた。

そして、「こっちから音が聞こえる」と言って、自販機に耳をくっ付けた。耳を離すと、彼は間違いないという表情で、自販機の取手をつかんで引いた。

自販機は、店の扉になっていた。目の前に、突然クールなバーが出現し、僕らは子供のように「わああ」と声に出して驚いた。

バーでは、おいしいお酒をいただきながら、ザ・プレジデントが最後に出演したライブの話を聞いた。彼らのラストライブには、同期が大勢出ていたらしいのだが、同期もお客さんも、誰ひとり泣いていなかったらしい。最後まで、ひとりも。

そして、本人たちも泣かなかったらしい。彼は、「泣くかなあと思ったんですけど、泣けなかったですね。それよりも、ウケるかどうかが不安で、それどころじゃなかったです」と話していた。

胸があたたかくなった。彼ららしい。

あっと言う間に時間はすぎ、気づけばもう19時半をまわっていた。会計を済まし、エレベーターに乗った。

「今日一緒にごはん食べられへんかったから、来週また誘うわ」と僕が言うと、彼は「誰が飛行機に乗って九州から来んねん!」とツッコんだ。彼は、やっぱりシンペイコシノのままだった。


出典: FANY マガジン
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ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。

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