ジョイマン、憧れのナイナイに最初に会ってしまって目標達成!?【あなたは誰に憧れ芸人に?③】

あなたは誰に憧れ芸人に?

芸人を志したきっかけや憧れた芸人、そして芸人になるまでの道のりなどを語り尽くしてもらうインタビュー
(イラスト:ネゴシックス)

芸人を志したきっかけや憧れた芸人、そして芸人になるまでの道のりなどを語り尽くしてもらうインタビュー
(イラスト:ネゴシックス)

いまをときめく芸人たち……周囲から一目置かれる存在になった彼らにも、かつて「こんなふうになりたい!」という憧れの存在があったはず。そんな売れっ子芸人たちに、芸人を志したきっかけや憧れた芸人、そして芸人になるまでの道のりなどを語り尽くしてもらうインタビューシリーズ『あなたは誰に憧れ芸人に?』。今回は、絶賛再ブレイク中!で、『ここにいるよ ジョイマン・高木のツイート日記』(ヨシモトブックス)を3月17日(木)に発売したジョイマン(高木晋哉、池谷和志)の登場です。

出典: FANY マガジン
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出会いのきっかけはアダルトビデオ!?

――2人は中学の同級生だそうですが、当時からお笑いの話をしていたんですか?

高木 まったくしていないですね。

池谷 バスケ部で一緒だったんですが、グループが違ったので、中学時代はほぼ会話をしてないんですよ。練習試合の帰りにバスで「アダルトビデオ貸して」とお願いしたのが初めての会話です。高木さんがアダルトビデオをたくさん持っている方だったので。

高木 それ、1発目にする話じゃないだろう!

池谷 高木との中学時代の思い出、それしかないから。

高木 ……まあ、当時は性の伝道師というか、ザビエル的な役割だったんです。にしても初めてで、よくその話できたな!

池谷 人見知りよりも性は勝つからな。

高木 「愛は勝つ」みたいに言うな!

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――会話はなくとも、それぞれにお笑いは見ていたと思いますが、最初に夢中になった芸人さんは?

池谷 僕は志村けんさんでした。子どものころ『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)や『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)を見て、バカバカしさにずっとハマってたのを覚えてます。「大人なのにこんなにふざけ合ってるんだ」と、めちゃめちゃおかしくて。こんな仕事があるんだ、カッコいいなと、ヒーローのように見ていましたね。

高木 いちばん最初と言われると、僕は『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』(フジテレビ系)を家族で見ている映像が思い浮かびますね。『やるやら』の後に(ダウンタウンの)『ごっつええ感じ』が放送されていたんですけど、『ごっつええ』のほうは親が見せてくれなかったんですよ。

池谷 親が厳しいからね。

高木 そう、ウンナンさんは安心して見られる存在、ダウンタウンさんは未知の憧れという感じでした。

池谷 見ちゃいけないものを見てる感じあったよね。志村さんの番組にもセクシーな場面が結構あったから、僕もその感じあったな。

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秦基博に勧められてコンビを組んだ

――おふたりは20歳の成人式のとき、同級生でミュージシャンの秦基博さんに勧められてコンビを組んだとよく話されていますが、どういう状況だったんでしょう?

池谷 僕はNSC(吉本総合芸能学院)に行こうとしていました。相方は入学してから見つけるつもりで。

高木 僕は、高校時代に友だちがいなくてずっと1人で過ごしていたんです。そのときに『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)をずっと聞いていて、芸人に憧れたけど、自分には無理だと思っていて。1浪して大学に入ったものの、相変わらず友だちはいなくて、ずっと悶々としていました。だから、成人式で再会したもっちゃん(秦さん)が心配してくれたんだと思うんです。

池谷 そう、もっちゃんは「NSCに行く」という僕のことも心配したと思う。当時ってM-1グランプリも始まったばかりだし、お笑いって、そんなに道筋が見えてなかったから。だから「2人でやってみたら」と言ってくれた。

高木 それが運命の別れ道ですよね。

池谷 高木が、僕の組みたい相方のイメージ通りだったんです。暗くて、何考えてるかわからないような発想を持っている人。だからすぐ「NSCに行って、10年くらいやってみようよ」と口説きました。

出典: FANY マガジン
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――最初から「10年くらい」と思っていたんですか?

池谷 すぐ売れるとは思わなかったので、「30歳になって芽が出なかったらやめよう」と。

高木 僕はそれまでの生活がひどいものだったので、そこから逃げて新しい世界に行きたいという気持ちで誘いに乗りました。

夢で見たジョイマンのお告げ

――池谷さんが芸人になろうと決意したきっかけは?

池谷 高校の卒業式1週間前の朝、起きたら枕元に親からの手紙が置いてあって。「授業料が払えないので高校を退学させました」と。相談じゃなくて結果が書いてあったんです。あれが人生初の絶望だと思います。専門学校で料理を勉強したいと思っていたけど無理で、とにかくすべてを失ったので、じゃあもう本当に好きなことをやってみよう、子どものころ、お笑い好きだったよな、とNSCに行くことにしました。そこから2年かけて大検の資格をとって、20歳でNSCに行こうとしたタイミングで成人式があったんです。

高木 そんなつらい経験をしたのに、こいつ、僕を大学中退させましたからね。

池谷 若くて何も考えてなかったから……。片方が大学に行きながらだと温度差が出ると思ったので「やめてくれないか」と言ったら、やめてくれたんですよね。

出典: FANY マガジン
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――お話を聞いていると、ジョイマンは組んだころから常に池谷さんが引っ張っていく関係性のように感じます。

池谷 そうですね。僕、めっちゃ夢見てたんですよ。

――夢?

池谷 「ジョイマン」の名前も、ダウンタウンの松本人志さんと僕が一緒にライブハウスの客席で座っていて、それをもうひとりの僕がテレビで見てるんです。そのステージに出てきたバンドの名前が、「ジョイマン」だったんです。

――あ、夢って寝て見る夢ですね?

池谷 そうです。その話を夜の公園で高木にして。

高木 はい。「コンビ名どうする?」っていうときに、バキバキの目で夢の話されて(笑)。怖いなと思いつつ、まあジョイマンって覚えやすいしいいなと思って。池谷はそうやってどんどん決めるタイプではありますね。

初めてのテレビでいきなりナイナイに!

――いざコンビを組んで、憧れの人たちのようなコントや漫才ではなく、ジョイマンならではの芸風にたどりついたのはどういう流れだったんですか?

高木 最初は僕らも漫才をやってたんです。でも、向いてないとわかってくるんですよね。

池谷 向いてないというか、逃げたんですね。ちゃんと漫才をやらなかった。早く売れたい、結果を残したいという気持ちが強かったんです。そんなあるとき、高木が「歌いたい」と言ってラップネタの元を作ってくれて。

高木 で、やってみたらウケたんですよ。「あ、漫才じゃない、こっちだったんだ。でも、これって漫才でもコントでもないし、なんだろう? これもお笑いなのかな?」と思いましたけど、自分たち的にピタッときたので、これで行くしかないなと。

出典: FANY マガジン
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池谷 ネタやって初めて大爆笑をとったので「これだ!」とは2人で感じたんですけど、そこから1年くらいは、ウケるときとウケないときがあって、しんどくて。作家さんにも「そろそろパターン変えたら?」と言われたんですけど、ちょうどそのころにショートネタブームが来て、これは僕らに向いてるなと思ったんですよ。こんなことしてる奴らいないから、出たら勝ちだなって。そしたら『おもしろ荘』(『ぐるぐるナインティナイン』の年末年始恒例企画)のスタッフさんがライブに足を運んで、声をかけてくれたんです。

高木 実はそのスタッフさん、ヒッキー北風さんを見に来てたんですよ。だからヒッキーさんは恩人です(笑)。

――いきなり『おもしろ荘』だったんですね!

池谷 そうなんです。僕も高校からナイナイさんにハマっていて。僕はラジオよりテレビで、『めちゃ×2イケてるッ!』を熱心に見ていて。

――憧れの人にいちばん最初に会えてしまったんですね。

池谷 そう、感無量でした。本当に僕らふたりとも、ナイナイさんに救ってもらったところがあるんで。めちゃくちゃ嬉しかった。

高木 運命的な感じがしましたね。「いきなり目標が叶っちゃったな」と。

池谷 そこで注目されて、『ピンクカーペット』『レッドカーペット』『エンタの神様』と広がっていって……。

――想定より順調でしたか?

池谷 26歳くらいだったので早かったですね。でも、その後を考えてないんですよね。売れることで目標を達成してしまって、ふたりともその先の話をまったくしてなかったんです。この生活が維持できるだろうと思っていた。そしたら痛い目に遭うんですよね。あれで満足しちゃったのが、(原因として)でかいですね。

高木 そうだね……。

出典: FANY マガジン
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風向きを変えた「サイン会0人」事件

――いま、2人は再び注目を集めていると感じます。

池谷 これは高木のツイッターのおかげだと思います。「サイン会にお客さんゼロ」を世に出したんですから。ふつうなら隠すことじゃないですか。それができる度胸があるんですよね。やっぱり中学のときにたくさんアダルトビデオを持ってただけあって。

高木 そこにつながるの?

池谷 「そんなことできるの?」という覚悟がすごいんですよ。僕がツイッターやってても、サイン会ゼロのことは言えなかったと思います。

――高木さんは、どんな気持ちであのツイートをしたんですか?

高木 自分の中では抱えきれなかったから、誰かと分かち合いたかっただけで(笑)。痛みを分け合えるんじゃないかなと思って、皆さんに見てもらいました。

池谷 そこから先輩方も笑ってくれて、ジョイマンを受け入れてもらえるようになった気がします。

高木 「イジっていいんだ」と思ってくれたのかもしれないです。1回ドーンと売れて落ちた一発屋って、イジりづらいじゃないですか。かわいそうだし、言いづらい。でも、そのサイン会で笑ってもらえるようになった。

――あれ以来、高木さんのツイッターにはたびたび大きな反響がありますね。

高木 仕事があまりなかったから、ツイッターが唯一のメディアだったんですよ。そこで日々あったことをポエムっぽく書いてみるのが楽しかった。ダサい日常が美しく見える感じが面白くて。「もしかして、カッコいいことやってるのかな?」と勘違いしてくれる方もいて、続けてこられました。

出典: FANY マガジン
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ザ・パンチのかっこよさ、ですよ。のすごさ、ムーディ勝山の哲学

――芸人になってから、劇場やテレビで共演した人など、身近な憧れの人はいますか?

高木 いっぱいいますねえ。

池谷 最初に身近でカッコいいなと思ったのは、ザ・パンチさんですね。先輩だけど同じ歳で、一緒になる機会が多かったんです。ネタでも平場でも、ライブでドカンドカン大爆笑をとっていくんですよ。しかも、努力をあまり見せないんです。楽屋で楽しくおしゃべりして、そのまま舞台に出てアドリブを入れながら漫才して。(ノーパンチ)松尾さんのツッコミとかすべてが完璧で、僕らがやりたかった関東の漫才という感じでした。

高木 そうそう。

池谷 あとは一発屋関係でいうと、ですよ。さん。2011〜12年ころ、僕らはぜんぜん仕事がなくて、ですよ。さんは再びテレビに少しずつ出ていた時期に、「俺は『あ~いとぅいまて~ん』を死ぬまでやる、これしかないんだ」と言っていて。ですよ。さん、2022年のいまも「あ~いとぅいまて~ん」の手の角度、動きで100点出してないんですよ。ずーっと練習してるんです。

高木 ぜんぜん100点が出ないんですって。

池谷 それってプロフェッショナルじゃないですか。カッコいいですよね。だから僕らもこのネタを一生やり続けようと思えるようになったんですよ。

出典: FANY マガジン
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高木 僕はムーディ勝山さんかな。僕らが自分たちを一発屋と認められずにいたときに、ムーディさんに「高木もだんだん哀愁が出てきたな」って言われたんです。で、ムーディさん主催の「一発屋オールスターズ」というユニットに声をかけてくれて。そこでやっと胸張って「一発屋です」と言えるようになりました。ムーディさんは「もう1回売れたら、逆にテレビ出ない」って言ってましたね。

池谷 何それ、とんち?

高木 意味がわからなかったですけど、本当にテレビ出ないか、これからも見守りたいですね。

池谷 ちょっと俺ら、その哲学にはまだ追いつけてないな。

これからもずっとこのネタをやっていく

――最初にブレイクしたときは「その先を考えていなかった」と話していましたが、おふたりは今後をどう考えていますか?

池谷 僕は舞台がある限り、死ぬまでこのラップコントをやりたいんですよ。おじいちゃんのジョイマンはどうなるかなと思う。そのときに一発屋オールスターズ全員でライブをしたいですね。レイザーラモンHGさんの「フォー!」とか、もう手が上がらないでしょうね。天津・木村(卓寛)さんのエロ詩吟も味わいが増していると思いますし、レギュラーさんなんか本当に気絶してるかもしれない。

高木 木村さんは、いま岩手に行って(移住して)、エロぜんぶ封印してるらしいよ。

出典: FANY マガジン
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池谷 じゃあ、ただただ、うまい詩吟か(笑)。

高木 僕も、ネタはやり続けて行きたいなと思います。ツイッターでもラップをつぶやいていますけど、まだまだと思うんですよ。この前、1文字でラップしたらどうなるんだろうと思って、「わ~ 輪」とつぶやいたんですよ。それは新しいラップの扉こじあけたかなと思うんですけど。

池谷 こじあけたんだ。

高木 だからいま、ラップの限界に挑戦してる。このネタでどこまで行けるんだろうというのを、いまやっと楽しめてる感じがします。

池谷 僕も「なんだこいつ~」の限界やってて。

高木 「なんだこいつ〜」の限界って何?

池谷 「なんだこいつ~」しか言わないネタをやったんですけど。

高木 僕がどんなラップをやっても、「なんだこいつ~」しか言わないんです。

池谷 テレビでそのネタやったとき、エゴサーチしたら「あいつ下手くそじゃない?」と言われていて、グサグサ来たんですけど。

高木 あれはプロにしかわからない領域かもしれないね(笑)。僕も笑っちゃいますもん。

――15年以上同じネタをやって、いま新しい扉を開いているのはすごいですね。

高木 みんないろいろ手を変え品を変えやりますけど、同じネタをやればいいのにと思います。

池谷 『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)に出たときに「ジョイマンはトリオ」と言われたのがしっくりきたんです。僕らがボケとツッコミをしっかりやるのは違うんだろうなって。

高木 2人では成立させられないから、その場にいる芸人さんなりお客さんなりがツッコんで成立する。

池谷 それで気が楽になりました。これからもこのネタを続けていこうと思います。

出典: FANY マガジン
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書籍概要

『ここにいるよ ジョイマン・高木のツイート日記 』
著者:高木晋哉
発行:ヨシモトブックス 
価格:1,400円+税 
ページ数:256ページ 

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