ピストジャムが綴る「世界で2番目にクールな街」の魅力
「シモキタブラボー!」絶叫の主の名は

シモキタブラボー!

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

絶叫の主の名は

「おあたあっ! おあたたたたたたたたたたたたっ! おあたああっ!」。夜の下北沢に響き渡る絶叫。

「ひ…退かぬ! 媚びぬ省みぬうっ! 帝王に逃走はないのだあああっ! グワッ!」。いつもに増して、声が大きい気がする。

「とどめだケンシロオオウ! ブアアアッ! カッ! ぬあああ! グオッ! ドコオオオオッ!」

過剰な感情表現。効果音にまで感情が入っている。相変わらず、すごい。

今夜は、結構見物人が集まっている。ふだんより声が大きく感じられたのは、そのせいか。いや、逆か。声が出ているから人が集まってきたのか。

缶コーヒーを飲みながら、南口にできた人だかりを遠巻きに眺める。どちらにせよ、今夜の彼は調子がよさそうだ。

絶叫の主の名は、東方力丸。彼は、ある夜、突然シモキタに現れた。

初めて見たときは衝撃だった。南口の高架下に、漫画本が50冊ほど並べられていた。ビニールシートなども敷いていない。アスファルトに直で漫画本が置かれていた。そして、その横にはアスファルトの上で正座して、大声で漫画を読む男。それが彼だった。

胸もとまで伸びたボッサボサの髪に、ぼうぼうのひげ。白いタオルをねじりはちまきのように頭にぎゅっと巻き、黒ぶちめがねをかけていた。

アスファルトの上に正座って。ただものではない。ヒンドゥー教の行者、サドゥーのようだ。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

でも、怖そうな雰囲気の人ではない。漫画本もきれいに整頓されて置かれているし、正座する姿もしゃんとしている。なんとなく、育ちがよさそうというか、真面目そうな感じがにじみ出ている。

そう思うと、ちょっとめがねがゆがんでいるのも微笑ましく目に映った。『キテレツ大百科』の勉三さんを、三年くらい洞穴に閉じ込めたら、きっとこんな感じになるんだろうな。

漫画本は、どれだけ読み込んだらこんなにボロボロになるんだというほど、どれもくたびれていた。読み癖がついて、元のサイズの倍くらいにふくらんでいるものもあった。

最初、古本を路上販売しているのかなと思った。しかし、その本のくたびれ具合を見て、これらが売りものではないことはひと目でわかった。

でも、そうなると、彼がそこで漫画を音読しているのがわからない。何のために漫画をわざわざ声に出して読んでいるんだ。

「これ、何してるんですか?」。気になって訊きに行った。近づくと、ゆがんでいると思った彼のめがねは、柄の部分が折れていて、白いビニールテープでぐるぐるに補強されていた。

「リクエストいただいた漫画を読ませていただいています」。彼は、背筋を正し、凛とした表情で答えた。

意味がわからなかった。言っている言葉の意味はわかる。紙芝居の漫画版ということなんだろう。でも、僕はそもそも漫画を他人に読んでもらった経験がないし、読んでもらいたいと思ったこともない。

この人は、いったい何を目的にこんなことをしているんだろう。これを生業にして食べているんだろうか。

百歩譲って、自分が描いた漫画を読んでいるのだったら、まだわかる。宣伝にもなるし、本も売れるかもしれない。でも、この人は違う。

声優志望とか? わからない。気になる。いったいどんな感じで読んでくれるんだろう。急に興味がわいてきた。

「いくらなんですか?」。訊くと、100円という。高いとも安いとも思わなかった。超妥当。

「じゃ、お願いします」。僕は、100円玉を渡した。

「好きな漫画を選んでください」。『北斗の拳』『魁‼︎ 男塾』『ドラゴンボール』。このラインナップ、おそらく彼は同世代だ。

ほかにも、ヤンキー漫画やスポーツ漫画、『ベルサイユのばら』『ガラスの仮面』『ちびまる子ちゃん』なども。意外に守備範囲が広い。見たこともないマニアックな漫画もちらほら。

僕は、『激烈バカ』という漫画を選んだ。この漫画は、『週刊少年マガジン』に連載されていたギャグ漫画で、小学生のころから高校生まで毎週欠かさず読んでいた。

小学生が大喜びするような下品でくだらないギャグから、意味のわからない不条理なギャグまで満載で、最高にバカバカしい作品だ。キャラクターも、足の爪を噛む癖がある社長令嬢や、毎回余計なひとことを言ってボコボコにされるヒーロー、根性焼きをする犬など。多種多様な、激烈なバカばかりが登場する。

僕が大好きだったギャグは、なんちゃって野郎(本名・何茶手八郎)の「カクカクカク」だ。めがねを上下させながら、笑顔で「なんちゃってー!」と叫び、高速で腰を振る意味不明なギャグ。

「カクカクカク」は、セリフではなく、腰を振る効果音として漫画のコマに描かれている。僕は、なぜかこの「カクカクカク」という言葉にハマり、テンションが上がると実際に「カクカクカクー!」と声に出し、遠吠えのように叫んでいた、時期がある。……高校生までの話だ。男子校だったし。『激バ』を知っている仲いい友達の前だけで。みな大なり小なり、そんな経験あるだろ。

彼は、『激バ』を手に取ると中腰になった。片膝をついて、僕に漫画がよく見えるように本を開き、読み始めた。

ギャグが出てくる前に、登場人物によって声色をきちんと使い分けて読んでいることにまず笑った。女性や年寄りのセリフを、ちゃんと演技しているのがおかしい。漫画のコマに描かれた細かい効果音まで、逃さず全部読むところも笑えた。

こらえきれずにこちらが笑うと、彼も調子が出てきたのか、どんどん声が大きくなった。声が大きくなると、おもしろさも倍増して余計に笑ってしまう。

もともとくだらないギャグ漫画なので、「うわー!」とか「ぎゃー!」とか「ブリブリブリブリ」みたいなセリフが多い。それを、目の前で大声でやられるんだからたまらない。

そして、ついに来た「カクカクカク」。彼もこのギャグが好きだったのか、「カクカクカクー!」と言いながら、自分のめがねを上下させるのかと思いきや、本自体を上下させて叫んでいた。

僕は、このころちょうどNSCに通っていたときだった。お笑いのネタを見ても、勉強として真剣に見てしまうので、ネタで笑えなくなっていた。そんな奴が、思いきり笑った。

漫画を他人に読んでもらうなんて、体験したことがないから、楽しめるかどうか不安だった。が、終わってから気づいた。これは、とっくの昔に経験していたことだった。子供のころに、母親に読んでもらった絵本の読み聞かせだ。

僕は、『じごくのそうべい』や『さんまいのおふだ』という、鬼や鬼婆が出てくる怖い絵本が好きだった。それは、ストーリーのおもしろさにくわえて、母親が「うわー!」とか「ぎゃー!」とか「ブリブリブリブリ」というセリフを、感情いっぱいに大きな声で叫びながら読んでくれるのが、たまらなくおもしろかったからだ。

まさか、こんなに笑えて、しかも母親のことまで思い出すとは。100円は、安すぎる。

僕は、それから彼のことを尊敬の眼差しで見るようになった。それは、彼がしているのは、芸だとわかったからだ。100円は安すぎて、逆に申し訳なくて、もう頼むことができなくなった。缶コーヒーより安いなんてあり得ない。

彼からは、芸人として学ぶところがたくさんあった。彼は、必ず立ち去るときに、ほうきとちりとりで周辺を丁寧に掃除してから帰った。テレビ番組に出演したり、ヴィレッジヴァンガードで彼の顔がプリントされたTシャツが販売されても、彼の態度や芸のスタイルが変わることはなかった。そして、なによりすごいのは、彼は15年以上に渡り南口で活動していた。僕が、芸人としてくじけそうになったときも、南口で彼の姿を見ると、「自分も頑張らないと」と励まされた。

2018年、下北沢の再開発で南口が閉鎖された。それと同時に、彼はシモキタから姿を消した。シモキタが失ったものは大きい。


出典: FANY マガジン
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ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。

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