夢見る部屋
新宿のニュウマンというビルに、ピークアブーという美容室が入っている。ピークアブーは、美容師でその名を知らない人はいない超有名店だ。
店長は、今年40歳になる栗原貴史さん。彼は、アートディレクターとして海外で講義を開くなど、その活躍は日本にとどまらない。
僕は、彼に10年以上もの間、ずっと髪を切ってもらっていた。初めて会ったとき、彼はまだアシスタントで、22歳だった。
営業が終わったあと、当時彼が働いていた原宿店にお邪魔して、いつもカットしてもらっていた。そして、それが終わると彼のモトクロスバイクに乗せてもらい、一緒にシモキタに帰った。
僕は、彼のことを「くりぼー」と呼んでいた。僕が、そう名づけたわけではない。彼から、あだ名がくりぼーだと聞いて、僕もそう呼ぶようになった。
くりぼーのモトクロスバイクは、スリックタイヤをはかせたモタードと呼ばれるカスタムがほどこされていた。オフロード用のタイヤは街乗りには向いていない。雨のときなんかは水はけも悪いし、グリップが弱くてスリップしやすい。
僕も学生のころにオフロードタイプのバイクに乗っていたのだが、雨の日に思いきり転んだことがある。カーブを曲がろうと車体を左に傾けると、そのまま道路の上をスライドするように滑って、派手にこけてしまった。
僕は地面に打ち付けられ、バイクは体を離れて、横倒しのまま反対車線のガードレールまで勢いよく滑っていった。幸い、ケガはすり傷程度だった。
横たわったままピクリともしないバイクを、ずぶ濡れになりながら呆然と見つめた。ただの鉄の塊と化したバイクを、雨に打たれながらひとりで起こす作業は、なんとも情けなかった。
そんな経験をしていたから、くりぼーのバイクがオフロード仕様なのに街乗り用のタイヤをはいていたことがやたらと印象に残っている。荒れ地を走るためのバイクが、スマートなスリックタイヤをはいている姿は、ヴィジュアルとしてもギャップがあってかっこよかった。和服に革靴を合わせた坂本龍馬のようだ。
くりぼーは、僕がバイトしていたシモキタのKaeluというバーによく飲みに来てくれていたお客さんだった。僕が26歳のときの話。
Kaeluは、鈴なり横丁の一番端にあった。店の隣に建物はなく、隣はちょっとした資材置き場になっていた。街灯もないので、夜になるとKaeluの灯りを最後に店の先は真っ暗になった。
シモキタの果てにたたずむバー。カウンターだけの小さな店。働いているのは僕ひとり。
ちっちゃな窓が一つあったのだが、細工がほどこされた鉄格子がついていて、外からのぞいても中の雰囲気はなんとなくしかわからなかった。
ふらっと入るにはハードルの高い店だ。そこに、くりぼーはひとりで飲みに来た。
最初にどんな会話をしたのかは覚えていない。でも、店ではパンクからテクノまで、僕の好きな曲をひと晩中かけていたので、音楽の話はよくしていた。
彼は、僕がかけたジャック・ジョンソン、Gラブ、スティングなどの曲がお気に入りだった。彼が店に来ると、僕もそれらの曲をいつもかけるようにした。
短髪のくるんとしたパーマとあごひげ。それが彼のトレードマークだった。
シンプルなファッションなのにサイズ感が絶妙ですごくおしゃれに見えた。いかにも女性にモテそうな感じだ。
なんでこんなに仲よくなったんだろう。長い間バーでバイトしたが、彼ほど仲よくなった人はほかにいない。
家も歩いて5分かからないほど近所だった。美容師仲間とルームシェアしているという部屋にも遊びに行った。
部屋は狭かったが、きちんと振り分けになっていて、二人で暮らすには理想的な物件だった。でも、二人とも物が多く、ベッド以外に足の踏み場はなかった。
「これ、寝るだけの部屋やん」
僕が言うと、彼は
「本当に寝るだけの部屋です」
と笑いながら答えた。
男の二人暮らしってこんな感じだよな、と思った。が、僕には、この足の踏み場もない寝るだけの部屋がとてもかっこよく見えた。
未来しか見ていない。ここから始まるストーリー。夢見る部屋。
クローゼットに入りきらず、カーテンレールと壁にかけられた服。床に置かれたレコード。埋もれた間接照明。いまは、ただ物を置く台になってしまった机。それらすべてが、「もっと大きな部屋に住めるようになってくれよ。俺たち、このままで終わりたくないぜ。頑張ってくれよ」と、彼を応援しているように思えた。
くりぼーは、高校時代、応援部の団長をしていたというだけあって、ガッツがあった。最初、ピークアブーの就職試験には落ちたらしい。でも、どうしてもあきらめきれず、思いを手紙にしたためて送ったら、なんと入社させてもらえることになったという。そんな漫画やドラマみたいな話って現実にあんの!?
「今日は休憩取れなくて朝から何も食べてないんですよ」
そうこぼす日はざらだった。でも、彼はいつも笑っていた。
グラスをつかむ手は荒れて乾燥し、たばこを挟む指先はカラー剤で変色していた。睡眠不足が続いているのか、目の下には大きなくまが居座っていた。
まっすぐ家に帰って少しでも睡眠にあてればいいのに、毎晩のように仕事終わりにKaeluに来ては、僕とくだらない話をしながら飲んでいた。日曜の夜なんかは、翌日が美容室の定休日ということで、先輩や後輩を連れてきて朝まで元気に騒いでいた。
あのころは、シモキタの街全体が異様な盛り上がりかたをしていた。陽が落ちると、役者やバンドマンや芸人が妖怪のようにどこかしらからぞろぞろと現れ、居酒屋やバー、闇市の酒場や路上で、毎晩騒いでいた。そこに、大学生やフリーター、地方から遊びに来た若者もくわわるのだから、もうわけがわからなかった。街ごと酔っ払っていた。
「これ何ていう人ですか?」
「ジャック・ジョンソン。ハワイのサーファーの人」
「ちゃんとマンションの敷地の中の駐輪場に停めてたのに、自転車盗まれたんですよ」
「あのKONAの自転車? そんなことあんの!?」
「うちの彼女が、この前一緒に飲んだって言ってましたよ」
「え?」
「最近、女の子何人かと飲んだでしょ? そのひとりが僕の彼女です」
「ちょっと待ってやあ」
「あけましておめでとう。今年もよろしく。シモキタにいんの?」
「あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。いま実家です。島田までバイクで帰りました。初日の出の写真、撮ったんで送ります」
「住んでるマンション、シモキタの再開発で取り壊されることになったんで、引っ越します」
「マジで? どこに住むん?」
「弟も美容師してて、池尻大橋に住んでるんで、そこに行きます」
「弟も美容師してんの!?」
「くりぼー、起きて。もう7時やで。ぶーふーうーももう閉まるし。行こう」
ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。
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