アンビリバボー
5年ほど前に、突然シモキタにケバブ屋ができた。六本木や渋谷、新宿でよく見かける、あの赤い店だ。
ケバブは違うやろ。反射的に思った。
けっして嫌いなわけではない。ただ、ケバブはにぎやかな夜の繁華街で売られているイメージだったので、シモキタの街には合わないだろと思ったのだ。
クラブに遊びに行く若者や外国人が食べるもの、それがケバブ。これから踊るぞ、でもちょっと小腹が空いているからケバブ。踊り疲れて、おなかがすいたからケバブ。
それら以外のタイミングで、いつ「ケバブ食べよう」となるのか。僕には想像がつかない。
実際、六本木や渋谷のクラブの近くにはケバブ屋が多い。ケバブを売るキッチンカーも頻繁に目にする。
シモキタには、いまクラブはない。ライブハウスはあるが、ライブを見に行く人たちにケバブの需要があるかといったら、「別に」だろう。
昼間は、古着やレコードを買いに訪れる人が多い。でも、はたしてその人たちが、ケバブを食べるだろうか。
クレープやたこ焼きを食べながら歩く人たちは見たことがある。パンケーキを食べられるカフェも、タピオカ屋もある。そんななか、ケバブ、選ぶ?
ちなみに、僕はケバブを食べたことがない。いままで食べたことがないので、食べたいと思ったこともない。
理由は、実家でケバブが出てこなかったからだ。母親の料理のレパートリーに、ケバブは入っていなかった。もし実家でケバブが出ていたら、僕も街で買って食べていたかもしれない。
実家で出てこなかった料理なんて、もちろんほかにいくらでもある。アヒージョ、トムヤムクン、サムゲタン、ジャンバラヤ。しかし、それらのものはたいがいレストランで注文できる。
スペインバルに行って、アヒージョが気になったら頼める。タイ料理屋に行って、トムヤムクンが気になったら頼める。
僕はそうして、実家で食べたことのない料理を次々に食べてきた。でも、ケバブはケバブ屋でケバブ一択でしか売っていない。そうなると、知らない食べものだから、わざわざ買って食べようとは思わない。
もし、サルティンボッカしか売っていないサルティンボッカ屋があったとしよう。サルティンボッカを食べたことがない人たちからしたら、「サルティンボッカって何?」「なんか変わった食べもの売ってる店だな」で、ほとんど終わるはずだ。
「サルティンボッカって聞いたことあるな。食べてみようかな」と思えるシチュエーションは、イタリアンレストランでメニューを開いて、サルティンボッカの名前を見つけたときだ。道端でサルティンボッカ屋を見つけたとしても、食べたことない人がそれだけを食べてみようかなとは、なかなかならない。
ケバブがトルコ料理だと知ってはいるが、トルコ料理のレストランがそもそもまずない。なので、僕は本当にケバブを食べる機会がいままで一度もなかった。
ケバブを知らなくても、これまで何ごともなく生きてこられた。だから、僕はこれからもケバブを食べることはないだろう。
シモキタにできたケバブ屋は、前はラーメン屋があった場所だった。ここは、なぜか入れ替わりが激しい。
シモキタには、そんな場所がピンポイントでいくつかある。全然店が安定しない、魔の立地だ。
前のラーメン屋は、9か月で閉店した。その前もラーメン屋だったのだが、その店は8か月しか持たなかった。
このケバブ屋も、きっと同じ運命をたどるだろう。ご愁傷様。僕は、そう信じて疑わなかった。
それから1年が経った。ケバブ屋はつぶれていなかった。
むしろ儲かっているのか、外観もリニューアルされ、きれいになっていた。おかしい。
行列ができる人気店になったというわけでもない。ケバブを食べながらシモキタを歩いている人も見かけない。なんでつぶれていないんだ?
もしかして、しっかり固定のリピーターを獲得し、着実に売り上げを伸ばしているのだろうか。……ケバブって、おいしいのか?
そんなことを思いながらすごしていたある日。行きつけの美容室で髪を切ってもらっていると、仲のいいアシスタントの男性に
「好きな食べもの何ですか?」
と尋ねられた。
僕は、即座に
「カレー」
と答えた。
彼もシモキタに住んでいたので、
「どこがおすすめですか?」
と続けて訊いてきた。
僕は、あそこのカレーもおいしいし、あっちのカレーもおいしいし……と、ああだこうだ話した。ひとしきり話し終え、今度は僕から
「好きな食べものは?」
と尋ねた。すると、彼は
「ケバブです」
と言った。
「ケバブ!?」
驚きすぎて声が裏返った。
「1位? 好きな食べものの1位、ケバブなん!?」
また裏返った。
「はい。シモキタにケバブ屋できたじゃないですか。ほとんど毎日買って帰ってます」
「えーっ!!」
驚愕。アンビリバボー。信じられない。こんな人いるんや。
好きな食べもの訊かれて、1個目にケバブ浮かぶ!?
「飲んだあととか、絶対ケバブでシメますよ」
「ケバブでシメんの!?」
もうやめて。見えへん角度からのパンチ、対応できひん。
ケバブでシメる文化があるんや。でも、それはクラブの近くにケバブ屋ありの理論と同じか。
ケバブ好きな人ってちゃんといるんや。1位じゃなかったとしても、きっとこんな人がたくさんいるから、あのケバブ屋つぶれてないんや。
店中に響き渡った僕の叫び声のせいで、店長さんが何ごとかとのぞきに来た。
「すいません」
謝りながら、今日絶対ケバブ買って帰ろうと心に決めた。
「テイクアウトで、ビーフケバブラップ、オリジナルソースで」
初めて食べるケバブ。うま。
肉もキャベツもすごいボリュームやねんけど。次はチキン食べてみたいな。ソースも今度はチリにしてみよ。いや、ガーリックもうまそうやな。食べかたも今回はケバブラップにしたけど、ケバブサンドとの違いも知りたいから、次はケバブサンドか。いや、でもケバブ丼も気になるな。ケバブ丼なんか絶対おいしいやん。ドネルケバブうま。なんでいままで誰もケバブおいしいって勧めてきいひんかってんやろ。危うくケバブ知らんと人生終えるとこやったやわ。危ないとこやで。てゆーか、南口だけじゃなくて、北口にもケバブ屋できたらいいのにな。下北沢ケバブフェスティバルとかやってくれへんかなあ。
ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。
HPはこちら