真夜中のレスキュー
スーパーマリオブラザーズ3の、1面のマップ上を移動するときに流れる小気味いい音楽が部屋に響く。最近、携帯電話の着信音をこれに変えたばかりなので、思わず電話を取る手を止めて、少し聴いてしまう。
メールの着信音は、ファミリースタジアムという野球ゲームでホームランを打ったときに流れる音楽に設定した。どちらも聴くとなぜか気分が上がる。
小学生のころ、初めてファミコンというゲーム機を体験した。その強烈に楽しかった思い出が、いまでもそうさせるのだろうか。
「もしもし」
「おはようございます、秋月です」
「どうしたん?」
「いま何してます?」
「何にもしてない。そろそろ寝ようかなと思ってたとこ」
「すいません」
「別にいいけど」
「ちょっとお願いあるんすけど、よかったらいまからうち来てもらえないっすか?」
「どうしたん?」
「実は、ねずみが出て……」
「ねずみ?」
「いま押し入れにいるんすよ」
「え、それ最悪やん」
「ずっとカリカリ言ってて……」
「マジで?」
「マジです。助けてください」
「助けるって。どうしたらいいの?」
「捕まえてもらえません?」
「捕まえんの?」
「僕、こういうの本当に無理なんすよ」
「いや、俺もねずみなんか捕まえたことないし」
「お願いします」
「お願いしますって言われても。俺が行っても捕まえられるかどうかわからへんで」
「このままじゃ、寝れないです」
「気持ちはわかるけど」
「めっちゃ怖いんすよ」
「そらそうやと思うけど、俺が行っても捕まえられるかわからへんで」
「いま押し入れにいるんすよ」
「捕まえるための道具とかあんの?」
「え? なんですか?」
「全然俺の話聞いてないやん」
「聞いてます」
「捕まえるための道具とかあんの?」
「ないです」
「じゃ、どうやって捕まえんねん。無理やろ」
「大丈夫です。捕まえられます」
「なんで大丈夫やねん。俺、素手で捕まえんのとか嫌やで」
「いま押し入れにいるんすよ」
「それはわかったって」
「マジで助けてください」
「わかったわ。とりあえず、いまから行くわ」
電話を切り、秋月の家に向かって自転車をこぐ。彼は吉本の一年後輩で、僕の家のすぐ近くに住んでいた。
部屋は、僕と同じように風呂なし共同トイレの古い和室。彼はきれい好きで、部屋はいつもきちんと整頓されていた。ねずみが出たのは彼のせいではなく、建物自体がボロいせいだ。
路地沿いの1階の角部屋。窓から明かりがもれている。
近づくと、窓は開いていた。彼は僕を見つけると窓から身を乗り出し、室内犬が尻尾を振って主人を迎えるように笑顔で手を振った。
「ありがとうございます」
「全然いいけど」
靴を2足置いただけでぎゅうぎゅうになる小さなたたき。部屋に上がると、押し入れのまわりだけきれいに荷物がよけられていた。
「いつからなん?」
「何がっすか?」
「ねずみ」
「結構前からです。ずっと天井裏でドドドドドッて運動会やってたんすよ」
秋月に釣られて天井を見上げる。すると、天井に小さな割れ目のような穴があって、そこから延長コードがぶら下がっていた。
「何これ?」
「これ、天井裏に、超音波でねずみを追い払うやつセットしたんすよ」
「何それ?」
「コンセントに挿したら、ねずみの嫌がる超音波が出る機械があって、それネットで買ったんすよ。で、天井裏にセットするのが一番いいって書いてたんで、延長コードでそれつないで、無理やり天井こじ開けて、その機械セットしたんすよ」
「この穴、自分で開けたん!?」
「そうっす」
「天井に穴開けるって。ようやるなあ」
「で、もう安心して寝れると思って楽しみにしてたら、また普通に運動会やってんすよ」
「全然効いてないやん」
「そうなんすよ」
「そうか。きっと、この家のねずみ耳悪いんやな。かわいそうに」
「ふざけんのやめてもらっていいすか。僕、真剣なんで」
「ごめんごめん」
「で、この前、押し入れ開けたら、段ボールに入れてたカップ麺とか食べものが全部かじられて穴だらけになってたんすよ」
「それはめっちゃ気持ち悪いな」
「マジで気持ち悪いっすよ。思い出すだけで鳥肌立ちます」
「で、いま押し入れに、またいんの?」
「確実にいます。静かにしたら音聞こえます」
二人で黙る。音は聞こえない。
「もうおらんのんちゃう?」
秋月は黙って首を振り、否定する。僕は、押し入れを見つめながら、おもむろにポケットからたばこを取り出し、口にくわえた。そして、たばこに火をつけたその瞬間、思ってたより大きめのガリガリ!という音が。
「ふあああ」
腰が抜けたような声を秋月がこぼす。
「ガリガリって言ったやん。カリカリとちゃうやん。これ相当デカいやろ」
僕も思わずひるむ。たばこを挟んだ指先が震えている。
「ちょっと待って、これ吸ってからでいい?」
たばこを吸いながら、どうやって捕まえるか思案する。勝手に、ハムスターくらいのかわいいサイズなんだろうとたかをくくっていた。
しかし、さっきの音の感じからして、かなり大きい。渋谷のセンター街でたまに出くわすような、巨大ねずみのたぐいだと想像できた。
絶対に素手で捕まえるとか無理。気持ち悪すぎる。
秋月の話では、押し入れの右端に、『トムとジェリー』のアニメに出てくるようなねずみの通り穴があいているらしい。彼は、前にそれを見つけ、紙粘土でふさいだという。
紙粘土ってなんやねん。思わずツッコミそうになったが、僕ももうふざけている余裕はなくなっていた。
おそらく、その紙粘土のふたはもろくも突破され、再び巨大ねずみが押し入れに侵入してきたのだ。押し入れの戸が閉まっているから、まだ平静を保っていられる。が、もし戸が開いて、ねずみが飛び出してきたら……。考えるだけで、身の毛もよだつ。
だが、このまま放置するわけにはいかない。おとなしく通り穴から帰ってくれればいいのだが、それはいつになるかはわからない。
かといって、捕まえようと不用意に戸を開けると、巨大ねずみが飛び出してきて部屋中を駆けまわるという悲惨な事態になりかねない。どうしたものか。
気がつくと、2本目のたばこに火をつけていた。僕は、秋月に押し入れを取り囲むようにバリケードをつくろうと提案した。
結局、戸を開けないかぎりねずみを捕まえることはできない。もし、戸を開けてねずみが飛び出してきたとしても、バリケードがあれば、またねずみは押し入れに戻るはめになる。そうすれば、ねずみを押し入れの中に追いつめることができるし、捕まえることができるはずだと主張した。
秋月はうなずき、二人で部屋にある棚や漫画本などを駆使してバリケードを作成した。できばえはまずまず。
僕は、秋月の使い古した小さな毛布を手に持ち、意を決してバリケードの内側に立った。振り返ると、秋月は部屋の隅に置いた椅子の上に立ち、こちらを心配そうに見つめいていた。
バリケード突破される前提で椅子の上に立ってるやん。そう思ったが、口には出さなかった。
押し入れのふすまは引き違い戸になっていて、二枚ある。さっき音がした方向から推測して、右側にいると踏んだ。ふすまに手をかける。
「開けるで」
「はい」
ゆっくり、ゆっくり。そろっと。静かに、静かに。
暗い押し入れに部屋の明かりが差し込む。目をこらして、のぞき込む。
……いたあ! 押し入れの中に横倒しで置かれた小さな棚の真ん中に、まるまると太った立派なねずみが!
とっさに、その棚の真ん中に毛布をつめ込んだ。ねずみを棚の中にぐっと押し込むように。
「ゴミ袋持ってきて!」
「はい!」
毛布を押さえる手の先で、必死にねずみがもがいているのがわかる。うおおおお。キモチワリイイイ!
「これでいいですか?」
秋月が、90リットルの大きなゴミ袋を持ってきた。
「完璧。これ、このまま棚ごと捨てていい?」
「大丈夫です」
「じゃ、俺このままねずみ押さえてるから、棚ごとゴミ袋に入れていってくれへん?」
「……」
「俺、無理やから。この体勢から動かれへんし。ちゃんとねずみ押さえとくから」
「わかりました」
棚の底を持ち上げ、棚ごとゴミ袋に入れていく。ねずみを押さえた状態のまま。ねずみは、まだ手の先で動いている。キッ、キッととぎれとぎれに鳴き声ももれている。キンモチワルウウウ!
小さな棚だったおかげで、棚はゴミ袋にすっぽりと収まった。そして、僕は勢いよく腕を抜き、ゴミ袋の口をすばやく結んだ。
「よっしゃあっ!」
声を上げたのもつかの間。ゴミ袋の中で、ねずみは死にもの狂いと言わんばかりに激しく動きまわった。二人とも、その姿を目にして再び震え上がる。
ゴミ袋の口をこれでもかというくらいぎゅっと握りしめ、腕いっぱい伸ばした。少しでもねずみと体の距離を取りたかった。押し入れに目を移すと、確かに右奥には、秋月の言っていたとおり大きな穴とぼろぼろに砕けた紙粘土が散乱していた。
「とりあえず、遠くに捨てに行こう」
僕らはあてもなく、家を飛び出した。巨大ねずみ入りのゴミ袋を片手に。
「めっちゃ動いてんねんけど。これ秋月が持ってや」
「無理です、無理です」
「俺もマジで気持ち悪いねんって」
「僕、人間以外の哺乳類苦手なんすよ」
「なんやねんそれ」
「でも、本当に捕まえられるとは思わなかったですね」
「いや、電話で『大丈夫です、捕まえられます』って言ってたやろ」
「うわああ! めっちゃ動いてるう」
「ちょっとお! これマジでキモいって。秋月、持ってやあ」
「無理です、無理です。人間以外の哺乳類苦手なんで」
「何回言うねん。これ、どこに捨てる?」
「考えてなかったんすか?」
「なんで俺がそこまで考えやなあかんねん。とりあえず、東北沢のほうまで行こか」
「いやあ、でも本当にあのままじゃ今日寝れないとこでした。マジでありがとうございました」
「ほんまやで。こんなこと頼む後輩いる!?」
「すいません。今度、ぶーふーうーのチキンソテーおごるんで」
「いらんわ。500円くらい自分で払うわ」
「いや、一回くらいおごらせてください」
「……」
「どうしたんすか?」
「なんか、急に音せんくなってんけど……」
「……。確かに」
「え、死んだ?」
「そんなすぐ死にます?」
ゴミ袋を上下に揺らす。反応がない。もしかして。
「ちょっと、あそこの自販機の前で見てみよう」
東北沢の踏切近くにある「だいます」という定食屋。その脇にある自動販売機の前へ。
自販機の明かりを頼りに、ゴミ袋をのぞく。生きものの気配は、ない。
「あ」
「穴あいてるやん」
ゴミ袋を持ち上げると、底に穴が。ねずみがあけたのか、入っていた棚の重みで穴があいたのか。どちらが原因かは不明だが、ゴミ袋の底には穴があいていた。
「逃げたな」
「さっきしゃべってる間に? 全然気づかなかったんすけど」
「まあ、でも、よかったな」
「そうすね」
「おもろかったし」
「ありがとうございました」
「あのねずみ、もしかして秋月の部屋に戻ったんちゃう?」
「いや、ねずみにそんな習性ないんすよ」
これは、いまから20年ほど前の夏の話。彼は、僕が芸人として最初にごはんをごちそうした後輩でもあった。いま思えば、僕は彼のおかげで初めて先輩になることができた気がする。
秋月は、相方の森とともにコンビで吉本を離れ、昨年からソニーに移籍し、高校ズとして活動を続けている。先日、電話すると最近はゴルフにハマっているという。もうねずみが出るような部屋には住んでいないんだなとひと安心したのと同時に、秋月はつくづく穴が好きな男だなあと思った。
ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。
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