緊張すんなや。かましちゃろうや!
森がシモキタに越してきた。チキンソテーを頬張りながら秋月が話す。
駅前の「ぶーふーうー」。たばこのにおいが壁やテーブルに染みついた半地下の喫茶店。
昼間なのに、店内は薄暗い。けっしておしゃれではないし、お世辞にもきれいな店とは言えない。でも、僕と秋月は、ほとんど毎日のようにこの店に通っていた。
それは、ここのチキンソテーが絶品だったからだ。適度なこげ目がついた大きなチキンに、ごはんがすすむ甘辛いソースがたっぷりとかかっていた。皿には、チキンのほかにサウザンドレッシングがかかったレタスとトマトも。しかも、値段は500円。ごはんも大盛り無料だった。
僕も秋月も、
「このタレうますぎる」
と言って、毎回皿に残ったソースを最後ごはんにかけて食べていた。
ぶーふーうーのランチは、プラス100円でアイスコーヒーが飲める。ひとりなら絶対に頼まないが、秋月と一緒のときはアイスコーヒーを頼む。
「どんな部屋に住んでんの?」
たばこをくわえて火をつける。いつも吸っているラッキーストライクが、なぜか格段においしく感じられる。
何十本かに一本、この一服うますぎる、と感じることがある。これがあるから、たばこはやめられない。
秋月も、大きく開いた口の中で、濃い白い煙を転がしている。ずいぶんうまそうに吸うなあ。感心する。
森の新居は、フローリングでロフトもあって風呂もついているという。
「やっぱり森は、そういうタイプかあ」
僕がつぶやくと、秋月も
「あいつは、そういう奴なんすよ」
と、合わせる。
異常な会話。森は何も悪くない。
シモキタでひとり暮らしをするために、普通に物件を選んだだけの森。風呂なしに住んでいる僕と秋月が変わっているだけだ。
この会話に関しては、秋月も悪くない。秋月は森の相方だし、二人は高校の同級生だ。
秋月は、たった1年だけ先輩の僕のくだらない会話に合わせてくれただけで、悪いのは僕だ。無論、僕も森のことを嫌いなわけではない。むしろ、大好きだ。
ただ、僕と秋月の会話は、いつもこんな調子で進んでいく。二人だけのノリというか、つねにおたがいなんとなくおもしろい会話をしたいと思って話している。
要するに、じゃれているだけで他意はない。秋月とは、こんな感じで話しているのが楽しかった。
「じゃあ、何か森に引っ越し祝いしたらなあかんなあ」
「そうですね」
「家の場所わかんの?」
「わかります」
「森って、いま家にいんの?」
「いまは、たぶんバイト行ってますね」
「そっかあ、ほんだら部屋の前に何か置いといたるか」
「そうですね、きっと喜ぶと思います」
「何がいいかなあ」
「工事現場に置いてる、あの赤いコーンとかいんじゃないですか?」
「あれいいよな。あれ部屋の前にあったら、ほかの人が入ってくる心配ないしな」
「そうしましょう」
「いや、でも既製品より、何か手作りのもののほうが喜んでくれるんちゃうかなあ」
「手作り?」
「たとえば、森の似顔絵とか」
「いいですね。世田谷では、昔から引っ越してきた人に似顔絵送る文化があるらしいですからね」
「そう、それ有名やんな。でも、普通に似顔絵描いて渡すだけじゃおもしろくないよな」
「確かに、それだけじゃ印象に残らないかもですね」
「いいこと考えた。森って、音楽好きやん?」
「好きですね」
「森の似顔絵描いて、そこにバンドメンバー募集! って書こう。それを森の部屋のドアに貼って、バンドメンバー集めてあげたら、喜ぶんちゃう?」
「うわあ、それ絶対喜びますよ」
完成した森の引っ越し祝い。大きめの紙に、森の似顔絵と「引っ越してきた森です!」「バンドメンバー募集してます!」の文字。そして、実際にライブハウスなどに貼られているバンドメンバー募集のチラシのように、紙の下部分は、はさみで切れ込みを入れて、すだれ状に。
すだれの部分には、一枚一枚電話番号を。さらに、連絡先を書いたすだれが一枚もちぎられていなかったら、興味ある人もちぎりづらいだろうと考えて、いくつかわざとすでにちぎった状態にする手の込みよう。
あと、森は、ふだんめがねをかけているので気づかなかったが、似顔絵を描いてわかったことがある。彼は、朝青龍にそっくりだった。
秋月の案内で、森の家に向かう。森が住むマンションは、古さは感じるものの立派な建物だった。
持参したテープで、部屋のドアに丹精込めてつくった引っ越し祝いを貼る。これはひどい。僕も秋月も、笑いをこらえきれない。
もし、僕がこの隣の部屋の住人だったら怖すぎる。どう考えても変な人が引っ越してきた。部屋のドアに、バンドメンバー募集の貼り紙をしているなんて。
マンションの中でバンド組もうとしてんの? とか、そもそも似顔絵いる? とか。もし知らない人が見たらツッコミどころ満載の仕上がりになっていた。
後日、森に会うと
「ちょっとお! 勘弁してくださいよお! 大家から、次やったら出ていってもらいますからね、って言われましたよ。マジで、もうこんないたずら絶対やめてくださいね」
と、言うので
「絶対やめてくださいね、って。それ、フリ?」
と、返すと
「違うわ!」
と、笑いながら怒られた。
森とは、音楽の趣味が合った。バイトしていたバーKaeluに、森はよく飲みに来てくれた。
最近こんなバンドのライブを観に行ったとか、あのCD聴きましたか? とか。話題はいつも音楽だった。
誘い合わせたわけでもないのに、フェスの会場で森とばったり遭遇したこともあった。GARLICBOYSという、僕が高校生のころから大好きなバンドのライブを観に行ったとき、ドラムのRyoさんと話していたら、Ryoさんの口から森の名前が出てきて驚いたことも。どうやら森は、RyoさんがGARLICBOYSのほかにやっているSHADOWSというバンドのかたと仲がいいらしい。SHADOWSは、僕も何回もライブを観たし、CDも買ったし、ステッカーも自転車に貼っている。やるな、森。
好きな音楽が同じ仲間と話すのは、この上なく楽しい。知らない情報を知ることができたり、新しい曲を知るきっかけにもなったり。お酒が入っていたら、なおさらだ。
僕は、当時Kaeluで週6日働いていた。週1日はオーナーが店に立っていたのだが、オーナーから、誰かバイトしてくれる人がいないか探すように頼まれていた。
森は適任だと思った。社交性があって、真面目で、信頼できる。
森にバイトの打診をすると、
「俺でいいんですか?」
と、答えたのを覚えている。お笑いの仕事を振ってあげたわけでもないのに、森は喜んでくれた。
そうしてKaeluは、僕と森という駆け出しの芸人二人でまわす、世にも珍しいバーとなった。僕が24歳、森が21歳のころの話だ。
僕は、森のことを芸人として憧れていた。けっしてイケメンではないし、スタイルがいいわけではない。でも、彼には芸人としての華があった。
台本に書かれた普通のセリフも、なぜか彼が話すとおもしろく聞こえる。まねしようとしても、簡単にできるものではない。生まれ持った、天性の何かがそうさせている。
さらに、演技に入り込んでいるときの彼は、手がつけられなかった。彼が演じるコントの強烈なキャラクターは、ボケやツッコミという範疇を超えていた。
秋月演じる婦人警官が、駐車違反をした森に詰め寄るというネタがある。そのネタで森は、社会に対する不平不満を並べたてて、最後に
「全部腐っちまった! ……腐っちまったあ!!」
と、大声で叫ぶ。
何度見ても笑ってしまう。もしかしたら、森はその場面で笑わそうとしていないのかもしれない。でも、おかしい。
笑っている僕も、なぜいまこれをおかしいと思って笑っているのか理解できない。森にしかできない芸だ。
くわえて、彼はかわいげがある。憎めない。
テレビ出演を前にして緊張する秋月に、
「緊張すんなや。かましちゃろうや!」
と、勇んで声をかけて出たのに、自分がすっかりネタを飛ばしてしまったり、大きなライブの前に、
「ちょっと緊張してて……」
と、弱気になって僕に電話してきたり。
ある夜、森がKaeluで働いている日に飲みに行った。明け方まで飲み、気がつくと客は僕だけになっていた。
店の片づけをしながら森が言う。
「DJ KRUSHの『漸』ってアルバム聴きました?」
「聴いてない」
「めちゃくちゃいいですよ。そのアルバムに、THA BLUE HERBのBOSS THE MCがフューチャリングされてる曲があるんすけど、その曲マジでヤバいです」
「そうなんや。森が言うなら聴いてみたいな。かけてや」
「いま、ないんすよ。ここに持ってくればよかったなあ。部屋にあるんで、うち来てくださいよ」
「いまから? 森がいいなら行くけど」
「全然大丈夫です」
森の部屋に着く。ドアに貼ったバンドメンバー募集のポスターは、跡形もなくきれいにはがされていた。
部屋の中はものが少なく、家電以外にはCDと漫画が置いてあるだけだった。このコンビは、二人とも部屋がすごくきれいだ。
森がCDをセットする。
「この曲です」
コンポから音楽が流れる。もの悲しいオルゴールの音色と吹きすさぶ風の音。
ポエトリーリーディングのようにBOSS THE MCが
「誰か、そこにいませんか?」
と、語りかけると、悲しくも美しいアコースティックギターの旋律が静かに流れた。
リピートされるアルペジオに、打ち込みのドラムの音。そして、それらにからみつくような、感情を押し殺した低い声のラップ。
目を閉じて、曲の世界に入り込む。友人の死を歌った追悼の曲。
悲しい曲なのに、心地いい。こんな叙情的で繊細な曲を、森が好きだとは。
曲が終わり、
「めっちゃよかったわ」
と、つぶやくように森に声をかけた。
返事がない。見ると、森は大の字になって爆睡していた。
BOSS THE MCの
「誰か、そこにいませんか?」
という言葉が、行き場をなくして部屋の中を漂っているような気がした。
ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。
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