上方お笑い界の若き精鋭が一堂に会する『第51回NHK上方漫才コンテスト』が9月23日(木)に放送され、ビスケットブラザーズ(きん、原田泰雅)が見事、優勝を飾りました! 今回はこのビッグニュースを受けて、興奮冷めやらぬ2人に独占インタビュー。30問30答形式で、優勝が決まった瞬間の心境や決勝のウラ話、さらには意外なプロフィールや将来の目標など、気になるあれこれにズバリ斬り込みました。
「“来てくれた”感じ」
Q1:優勝が決定した瞬間の気持ちは?
きん うれしいというのはもちろんあったんですけど、つかみ取ったというより“来てくれた”という感じがしました。
原田 大きい「?」が出たあとに、大きい「!」が出ました。
Q2:勝因は何だったと思いますか?
きん 審査員にヒャダインさんがいらっしゃったんですけど、1本目のネタ中に笑ってくださってるのが見えて、めっちゃ安心しましたね。
原田 いろんなジャンルの方たちが審査員をされてたんで、もしかしたらそのうち何人かはハマってくれたのかなと。
Q3:誰に1番に優勝報告をしましたか?
きん おばあちゃんに連絡しました。まだ放送されてなくて(8月30日に本選)、しかも(故郷の)香川県では放送がないっていう、それを理解してもらうのにすごい時間かかって……いいことがあったということだけ伝わりました(笑)。
原田 母親に連絡しようと思って携帯を見たら「おめでとう」ってメッセージが来てて、放送まだやから「あれ?」ってなって。電話してみたら(会場観覧の)抽選に当たって見に来てたんです。母親は「よかったねえ」みたいな感じで泣いてて……ちょっと恥ずかしくて電話を切ってしまいました(笑)。
きん お母さん、うれしくて泣いてたのに……。
原田 話、長なりそうと思って。
Q4:今回の大会に特別な思い入れはありましたか?
きん (出場資格が)芸歴10年目までの大会なので、僕らは今年がラストイヤーやったんです。しかも、いくつかある賞レースでこの大会が時期的に最後だったので、「これでいよいよ10年目までの賞レースも終わりか」という思いはありました。最後に優勝できてうれしかったです。
Q5:優勝する自信はありましたか?
原田 0%でした。これまで僕ら、「優勝したろう!」という気持ちが強かったとき、結果がよかったことあんまりなくて。逆に、去年の『ytv漫才新人賞決定戦』ではトップバッターだったし、「誰かがおもろいと思ってくれたらいいな」という感覚で行ったら優勝できた。今回もそれに近い感じでした。
Q6:“漫才”と名のつくコンテストで、あえてコントで勝負した理由は?
きん 1本目にやったのが、半ばおもしろ半分やけど、最終決戦にさえ行けたらめっちゃみんなの記憶に残るやろうなっていうネタやったんで、漫才じゃないっていうのは特に意識してなかったんですけど。
原田 (そのネタが)「何してんねん」っていう感じがいちばん強いかなと。自分が視聴者やったら「何やこいつら」って、いちばんなるネタを選びました。
きん 漫才やるコンビが多いっていうのもあって、いい意味で浮くかなと。それが当たったのかはわからないですけど(笑)。
Q7:本選で披露したネタは、いつごろ作ったものだったんですか?
きん 1本目はものすごく最近のネタで、今年の4月にできたやつ。2本目は5年前ぐらいのネタです。
原田 今年の単独ライブで、賞レースのためのネタをちょっと作ったんです。そのなかから「これで通ったらおもろいな」と思って選んだのが1本目。2本目は、いままでのNHKの予選で落ちたもののなかから、いちばん手応えがあったやつを。僕ら、ブリーフになったり、変な格好するネタが多すぎて、NHKでやれそうなのが1本しかなかったんです(笑)。
きん 自ずと絞られました(笑)。
「ニッポンの社長・辻さんはお父さんみたいな存在」
Q8:本選は爛々、ニッポンの社長、カベポスター、丸亀じゃんご、エンペラー、ビスケットブラザーズ、チェリー大作戦、からし蓮根(出場順)というメンバーで戦いましたが、特にライバル視していたコンビは?
原田 どのコンビが、というのは特になかったんですけど……。
きん ネタ順的に僕らの前まではずっと漫才が続いてて。で、僕らのすぐ後のチェリー大作戦もコントをやったんですけど、コントはその2組だけやったんで、負けたら悔しいなという気持ちはありました。
Q9:最終決戦で対決したニッポンの社長(辻、ケツ)も吉本所属ですが、関係性は?
きん 辻さんは先輩で、ケツは同期なんですけど、辻さんは僕らが1年目でほんとに誰からも注目されてなかったときに「めっちゃおもしろい」って言ってくれたんです。そっからもう僕らは懐いて懐いて……。
原田 だから、もう10年来のお付き合いですね。同期以外でいっちゃん最初に「おもしろい」って言ってくれた方なんで、お父さんみたいな存在です。
Q10:決勝に向けてゲン担ぎや願掛けはしましたか?
きん 大会前によしもと衹園花月(京都)の出番があったので、マネージャーと3人で八坂神社にお参りに行きました。願掛けというより、新しいマネージャーが付いてくれはったタイミングやったんで、「これから3人で前向きに行くぞ」という気持ちで。優勝できたのは、八坂さんパワーというか、もしかするとマネージャーパワーかもしれません(笑)。
Q11:決勝前日は、どう過ごしましたか?
きん 賞レース前という感じはあんまりしなかったですね。緊張するようなネタじゃなかったんで、落ち着いてました。
Q12:今回の優勝で、自分へのご褒美は?
原田 いまは外に飲みに行けないじゃないですか。けど、やっぱり打ち上げとかしたいんで、NHKさんの公共放送の権限で、1日だけどんちゃん騒ぎするの許してもらえないかなって。
きん 無理に決まってるやろ(笑)。
原田 もちろんダメなことはわかってるんで、我慢しつつそういう妄想を……(笑)。またみんなで飲みに行けるようになったら、お世話になった人や後輩たちにお礼をできたらいいなと思います。
Q13:『キングオブコント2021』では残念ながら準々決勝敗退となりましたが、そのときの心境と、来年への意気込みを聞かせてください。
原田 やることはやったので、結果がわかった瞬間というよりは、後からじわじわ悔しくなってきたというか。まわりから「準決勝2本仕上がってんの?」って聞かれて、「あ、落ちたんすよ」って言わなアカンのが……先輩たちも当たり前に残ってると思ってくださってたみたいで。
きん それぐらい評価していただいてるのがわかってうれしかったですけど、(準決勝に)行けなかったのはさみしかったですね。
原田 来年は絶対に行きます!
金髪&ピアスのきんと「一生かかわらないって思ってた」
Q14:どんな子どもでしたか?
きん 夏休みの宿題とか、いっさい出せなかった子でしたね。
原田 保育園ぐらいにかけて、すごく病弱でずっと入院してたんです。だから、あんまり社会を知らないまま小学生になったんで、奇想天外な子やったと思います。
Q15:芸人になろうと思ったきっかけは?
きん 小学3年生ぐらいで、クラスの“めっちゃ笑わすヤツ”みたいになって、その勘違いのまま吉本になだれ込みました。
原田 僕は役者になりたくて、そういう高校に行ったんです。でも、いざ入ってみたら、みんな役者の卵みたいな感じで置いていかれたのもあって、逃げてお笑いに……。
きん (笑)
Q16:影響を受けた人やネタは?
きん 野性爆弾(くっきー!、ロッシー)さんです。
原田 僕は『笑う犬の冒険』(フジテレビ系/1998~2003年)のテリー&ドリー。物心ついて最初に笑った記憶があるので、それですかね。
きん 僕もめっちゃ好きでした。
Q17:影響を受けたお笑い番組は?
きん 『笑う犬』は世代なんで、めっちゃ見てましたね。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)も相当好きでした。
原田 僕は、好きやったのは『爆笑問題のバク天!』(TBS系/2003~2006年)ですね。
Q18:コンビ結成の経緯は?
きん NSC(吉本総合芸能学院)大阪に入る前の面接で、なんかめっちゃ変わった人いるなって思ってて。みんながめっちゃ緊張してソワソワしてるなか、体育座りしてタピオカジュース飲んでたんです。当時はまだタピオカ流行ってなかったのに(笑)。「すごい余裕な人おるな」って印象に残ってて、クラス分けのときに「あの人や!」と。
原田 僕は岸和田出身なんですけど、ほんとにヤンキーとかがめっちゃイヤで。当時、きんちゃんは真っ金髪でピアスしてて、発言とか物腰はやわらかい感じやったんですけど、「一生こいつとはかかわらない」って思ってました。
きん 誘ったのは僕からで「一緒にやってもらえませんか」って言ったら、目の前まで来て「お疲れさまでした!」って言って帰っていったんですよ(笑)。
原田 家とかまで来られそう、荷物とかむちゃくちゃにされそうな見た目やなと思ってたんで、しっかり断ったうえで「ビビってないぞ」というのをね。
きん その後も何回かアタックしたんですけど、ずっと「ピン芸人やりたい」って言ってたんです。で、一緒に牛丼を食べに行って「組んでくれへんのやったら、ほか探すわ」って言ったら、急に僕が引いたもんやから「やってみてもいいけど。1回だけ」って(笑)。
原田 自分も今後、恋愛に活用しようと思うほどの引きのテクニックでした(笑)。
Q19:コンビ名の由来は?
きん もともとは「暴れ人(あばれびと)」っていうコンビ名やったんです。
原田 当時はカッコいいお笑いがしたくて、シュールな感じでやってたんですけど、NSCの授業で“コンビ名を変えよう”みたいなのがあって……。
きん 同期の芸人が、僕らを見て「ビスケットブラザーズ」ってふと言ってくれたんです。
原田 そしたら「暴れ人」とのギャップでバーっとウケて。それでも「暴れ人でええやん」と思ってたんですけど、1年目、2年目とまったくウケなくて、作家さんからダメ出しで「キミら、いっさい暴れてないし、太ってんで」って言われたのがきっかけで、ビスケットブラザーズに変えました。
Q20:いつもどこでネタ合わせをしていますか?
きん 最近は劇場でやることが多いですけど、もともとは川沿いでやってました。
原田 芸人がよくネタ合わせをやる川沿いがあるんです。
きん なんばhatch(大阪)のあるところ。向こう岸にも芸人がいてネタ合わせしてるんですけど、その芸人がザワつくぐらい大きい声でやってました。
バカでデブでもコントでメシ食う
Q21:「これはいいネタになる」と確信する瞬間は?
原田 やってて「なにしてんねん」「人になに見せてんねん」って思うネタで、お客さんが笑ってくれたときに、「これを仕上げよう」って思いますね。題材の時点で「これ変わってるな」っていうのが出たときに、それがウケたらいいなと。そこから仕上げていく感じです。
Q22:トレードマークの赤と青の衣装はどのようにして決めたのですか?
きん 僕の衣装を先に見に行って、「上これ(赤)にしようか」「上これやったら逆に下は青もありちゃう?」ってなって。
原田 「目立つんちゃう?」みたいな。
きん そこで僕のヤツだけ決まったんですよ。で、原田が後から決めに行ったときに「じゃあ、逆(上が青、下が赤)か……」ってなって。時差がありました(笑)。
原田 僕、ネタ以外のことを考えるのが得意じゃなくて……逆にしたら濃いかなと思って決めました(笑)。
Q23:仲のいい同期、先輩、後輩は?
きん NSC(大阪)33期なんですけど、同期はほんまにめっちゃ仲いいんですよ。マユリカとかkento fukayaとか……。
原田 今井らいぱちとか。
きん とにかく在阪の同期は全員仲いいですし、東京に行ったコロコロチキチキペッパーズとか男性ブランコも仲いいですね。
原田 逆に仲いいけど、なんとも思ってないのはZAZYです。
きん 同期とは思ってますよ。同期の絆だけがある感じです。
原田 絆だけでやってるというか。
きん 先輩だとニッポンの社長・辻さんとか、ロングコートダディさんとか。
原田 下は隣人、豪快キャプテン、ダブルヒガシ、きんめ鯛、蛙亭……いろいろいますね。
Q24:ライバルは?
きん “サーカス全般”とだけ言っておきます。
原田 あとは「クレヨンしんちゃん」に出てくるいろんなキャラクターです。
Q25:相方の性格を3つの単語で表現してみてください。
きん 「野性・野性・やさしい」。野性が強いです。
原田 「ケンカ・ケンカ・やさしい」ですね。
きん それヤバいヤツやん。僕ケンカしないですよ!(笑)
Q26:相方のいいところと直してほしいところは?
きん いいところは、すごいパフォーマーなんですよ。2人でメシ食ってても、顔芸で笑かしてきたりするんで。「そんな飲んでたら死ぬよ」っていうぐらい飲んでるから、お酒はちょっと控えてほしいです。
原田 髪形がカッコいいです。直してほしいところは、もうちょっとかわいい格好もしてほしいなと。ピエロが着てるようなつなぎとか着てほしいです。
Q27:コンビの思い出の場所は?
原田 (大阪・難波にある)ヤマダ電機です。チャリンコでどこかに向かってる途中やったと思うんですけど、「ちょっといい?」って言われて「なんやなんや」と。それがちょうど、ヤマダ電機の1階にある植木のところで。きんちゃんの母親が亡くなったときで、そこで初めて長くしゃべった。そのときからコンビになれたかなという気がします。
Q28:コンビ最大のピンチは?
きん 僕は香川出身なんですけど、地元ではあんまりブサイクってイジられてきてなくて。普通やと思ってたのに、大阪来たらめっちゃイジられるんですよ。そこで「オレ、ブサイクなんや」って気づいて……そしたら相方も最初は痩せてたのに太ってきて、キモキャラみたいになってきて、「どうすんねん……」とピンチに陥りました。
Q29:芸人をやっていなかったらどうしていたと思いますか?
きん おばあちゃんが農家でトマトとか作ってるんで、僕も作ってたかもしれないです。
原田 果物屋さんかな。むかし占いやってる子に「果物屋さんやりたいねんけど」って占ってもらったら、「めっちゃいいと思う」って言われました。
Q30:将来の夢は?
原田 バカでデブでもコントだけでメシ食えるぞっていうのができたら快挙かなと思ってます。
きん 1万人とか呼べるライブができたらすごいなと思いますね。アイドルのようにたくさん動員して。
原田 会場を押さえて借金まみれになるんでよかったら、すぐにでもできるかもしれません(笑)。