「もしも、家族や親戚を吉本芸人で構成するとしたら誰にしますか?」。父、母、長男、長女、次男、次女、親戚のおじさん・おばさん、家庭教師……。いま人気の芸人たちに、自分の理想のファミリーを吉本芸人のなかから選んでもらう新企画。選んだ理由やエピソードを紐解くことで、芸人たちとの関係や、知られざる一面を引き出していきます。第5回目は、ピンでも「おいでやすこが」でも大活躍中、おいでやす小田の登場です。
やすよさんはやたらとモノを買ってくれる
【父親】ザ・ぼんち ぼんちおさむ
(連載②の銀シャリ・鰻和弘編を見て)うーむ、カブってるなあ。「お父さん」は村上ショージ師匠と悩んでいたんですが、ここはやっぱり、ぼんちおさむ師匠ですね。
おさむ師匠にはずっとお世話になっていて、大阪時代、なんべんも家に行かせてもらいました。おさむ師匠はほんまにフランクな方で、人が大好きで。近所の公園におった誰かわからへん後輩を拾って帰ってきたりもしてたんです。僕は番組で一緒になってからよくしていただいて、毎年、おさむ師匠の家の新年会に行ってました。30〜40人も集まって、芸人だけじゃなくミュージシャンの方とかもいて。
本当に特別、面倒見がいい方だと思います。M-1(準優勝)のときはLINEももらいましたし、会うたびに「よかったなあ」と言ってくれますし。ずっと(自分の)奥さんも一緒におさむ師匠の家に連れて行っていたんで、家族ぐるみでのおつきあいなんです。奥さんとも仲良くしてもらえるというのも、「お父さん」ぽいかなって。
【母親】海原やすよ ともこ
僕、大阪時代に、なんばグランド花月でショージ師匠のスペシャルコント枠というのにずっと出演させてもらってたんです。そのころ、やすともさんと一緒になると、やたらと褒めてくださって。僕は、いまもやってるような感じで、ワーッと大声でツッコミする役割やったんですけど、「迫力あるなあ」とか「そのツッコミがいいな、なかなかおらへんよ」と言ってくれて。いまも、ともこさんが「やすよは昔からずっと(小田がいいと)言うてた」と口癖のように言ってくれるんですけど、僕からしたら「私たち前から言ってたもんな」でいいのに、ヘンに義理堅いのか、おふたりの中でルールがあるのか……。
あと、やすともさんの番組(テレビ大阪『やすとものどこいこ!?』)に呼んでもらうたび、やすよさんが、やたらとモノを買ってくれます。「小田くんがおったら、“当たり回”やから」と言ってくれて。服を見立ててくれたりもするんです。そういうところも、「お母さん」ぽいでしょ。流行に敏感なところ含めて、家族におってくれたらいいですよねえ。
”妹”ゆりやんには「2時間話を聞かされた」
【長男】ケンドーコバヤシ
僕は実際、3人兄弟で、兄、姉がいる次男なんですが、「お兄ちゃん」と言われて思いつくのは、ケンドーコバヤシさん。とりたてて仲がいいというわけじゃないんですが、やたら接しやすい。あの無骨な雰囲気で、一見、近寄り難そうじゃないですか。でも初めて会ったときから親近感があって、僕にしては珍しいくらい話した相手なんです。僕のお兄ちゃんというより、ほんまにみんなのお兄ちゃんの象徴みたいな存在ですね。陽気にワーッと話すわけじゃないけど、やさしさがにじみ出ていて、安心感がある。
ふだんも、なんてことない話しかしないんです。引っ越しの相談をしたり、R-1の話をしたり、ほんまに他愛ないこと。……なんかね、地元の先輩みたいな感覚なんです、芸人の先輩っぽくないんですよ。たぶんご本人が、芸人のルールや吉本のルールを何とも思ってないと思うんです。だから礼儀にも別にうるさくなくて、リラックスできる感じがありますね。
【次男】アイロンヘッド・辻井亮平
「弟」と言われてパッと思いつくのは、アイロンヘッドの辻井かな。実年齢の差では「弟」だけど、兄貴肌だから「兄貴」でもいいかな。僕を「三男」にして、辻井を「次男」にしましょうか。
辻井とも、そんなにめちゃくちゃ仲がいいわけじゃないんですけど、ずっと一方的にあこがれてる。僕、辻井になりたいんです。羨ましくてしょうがない人ですね。辻井は、現代のスーパーヒーローなんですよ。いつも人のことしか考えていないヤツ。育ってきた環境なんでしょうかね、優しいという言葉では計り知れないようなイメージ。世界がどんなふうになっても、こいつは自分を犠牲にするやろうなと思いますよ。とにかく、いつも親切な男なんですよ。
本人に対して、それをちゃんと伝えたことはないですけど、「ぜったい売れると思ってる」とか「辻井はスーパーヒーローや」くらいは言ったことがあります。世に出るべくして出る人やろうな、とは思っているので。
【三男】自分
【四男】アキナ(山名文和、秋山賢太)
アキナはどこかに入れておきたいですねえ。「弟」ですかね。大阪時代、いちばん世話になったコンビですね。いま東京のテレビでやっているようなことを、早い段階でアキナの番組は、やらせてくれてたんです。僕の礎というか。だから、年下だけどめっちゃ世話になったなって感じです。いまでも大阪行ったときとかは誘うんです。ついこないだも秋山と飲みに行きました。山名はぜんぜん来ないですけど(笑)。山名は10回誘ったら7回は断ります。しかも特に理由を言わないんですよ。用事があるわけじゃないのに断ってくる。でもそれだけ僕に気を使ってないってことやから、それもうれしいんですけどね。
【妹】ゆりやんレトリィバァ
「妹」はもう、ゆりやんレトリィバァですね。ゆりやんってほんまにあのままなんです。ゆりやん以上に人懐っこい人をあんまり知らない。ほんまにレトリィバァみたい、犬みたいになついてくる。だから僕、最初はちょっと警戒してたくらいです。あまりにも面白いし、なのに謙虚すぎるし……。
あるとき、東京の仕事から大阪に一緒に帰ることがあって、2時間半、けっこう話したんですね。そしたら思ってることをかなりズバズバ言うんですよ。ある芸人の悪口を言いだして、そんときに「むちゃくちゃ信用できるな、こいつ」と思いました。そっから急にめちゃくちゃ仲良くなりました。
お互いしか知らんようなことまで話すようになって。恋愛相談とかもよくしてくるんですよ。最初はジャブ的な感じで小出しにしてたんですけど、僕がほんまに誰にも言わへんとわかってからは、会ったらすぐ「ぜったい言わないでくださいよ」から始まって、めっちゃ話してくる。電話かかってきて2時間、誰にも言われへん話を聞かされて、一方的に電話切られることもある。いろんなところで、言われへん“はけ口”にされてる(笑)。都合よく扱われてる感じです。
ずっと憧れの川島、大悟
【親戚のおじちゃん】千鳥・大悟
大悟さんも、もちろん大阪時代から知っていましたけど、ずっと活躍されていて、僕がずっと地下におって売れてなかったので、こうやってみなさんと一緒にお仕事できるようになったのはほんまに最近のこと。(自分は)劇場に所属できた時期がダントツに遅かったので、ぼくがbaseよしもと(吉本若手芸人の拠点となった劇場、2010年12月閉館)に入ったころには、上の麒麟さんや笑い飯さん、千鳥さんはとっくに卒業してました。
だから、「親戚のおじちゃん」ていうのが、“そこまで距離が近いわけじゃないけど好きだなと思う存在”という意味でいうと、大悟さんが思い浮かぶかな。ほんまに憧れの存在ですよね。豪快やし、いろんな話してくれそうやし、でも家族におったら何しでかすかわからん感じもあるし(笑)。あと、イメージですけど、甥っ子とか姪っ子にむちゃくちゃ小遣いくれそう。実際、後輩に使ってる金額は吉本の中でも1、2位を争うくらいじゃないですか? 僕ももちろん、飲みに連れていってもらったりして何回もお世話になりましたし。
【親戚のおばちゃん】なるみ
大阪時代、『なるみ・岡村の過ぎるTV』(朝日放送)でお世話になってました。まあ、いまもですけど、当時は求められるがままに「ワーッ!」と当たり散らすくらいの感じでやってたんですよ。あるとき、なるみさんがほんまに普通の質問をしてこられて、「うっさいわー!」と僕が返したら、なるみさんが「え?」って顔したんです。それがいまだに思い出すとおかしくて。怒ってるとか驚いてるの「え?」じゃないんですよね。ほんまに虚を突かれたような顔。それもなるみさんのやさしさというか、「お前どうしたん?」とでも言いたげな、心配も入っているような「え?」で、それが忘れられないです。
【家庭教師】麒麟・川島明
むかしから挨拶くらいはしていましたけど、1年前、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)の「おいでやす小田大好き芸人」に出てくださって、最近はよくテレビでご一緒させてもらってます。会ってめちゃくちゃ話すような間柄ではないですけど、いつも助けてもらっている感じです。先生っぽいですよね。なんか、ぜったい先生に向いてはるやろうなと思います。ほんまの優しさを持ってる方。ぜんぶ持ち上げといて、調子に乗って変なこと言うたら「それは知らん」という感じの引き際が絶妙ですし、そうやって引いてくれることが、ほんまの意味で芸人が助かることで。その采配が見事ですよね。イジり方の塩梅が、ちょっと突出している方ですね。
“相方”こがけんが入るのは…
――相方でもあるこがけんさんが、もしこの中に入るとしたら?
雰囲気的には「家庭教師」かなあ。それか「親戚のおじちゃん」でもいいかもしれないですね。
――小田さん自身は次男だったということですが、家族のなかではどういうポジションでしたか?
僕は、めっちゃ甘やかされて育ちました。兄貴が5つ上で姉貴が4つ上だったので、兄貴と姉貴はたまにケンカもしていましたけど、僕はまったくそれもなくて。
――歳の離れているお兄さんお姉さんからかわいがられて。
ずっとそんな感じでしたね。兄貴のやることをずっとマネしてたし、姉貴の影響でお笑いを見始めたし、音楽も聞き始めたし。ぜんぶ兄姉の影響を受けてきました。
――お兄さんやお姉さんの影響で音楽を知ったなら、同級生よりも進んでいたんじゃないですか?
それが、僕は音楽に目覚めること自体が遅くて。高校が、めっちゃ田舎の、山奥のところやったんですよ。街から通ってる子らは華やいだ生活をしてましたけど、僕ら田舎のほうから通ってる人は、ほんまに閉鎖的で。街なかで遊ぶのも怖いから、「懐かしの遊びをあえて」とかじゃなくて、本気で高校まで缶蹴りして遊んでましたから(笑)。すごく幼かったですね。
――そんな小田さんが選んだ“家族”を見てみると、大阪時代にお世話になった人ばかりですね。
やっぱり、そうなりますよね。みんな、いまの状況を喜んでくれているし。その中にちょこちょこ、憧れの人であるケンコバさんや川島さん、大悟さんが入ってくる。でもね、大阪の芸人に話を聞いたら、たぶん、やすともさんはどこかにぜったい入ってくると思いますよ(笑)。