『マツコ会議』に夫婦共演! インドネシアで活躍する日本人・加藤ひろあきの「成功の法則」

今年1月にバラエティ番組『マツコ会議』(日本テレビ系)で、現地での超人気ぶりが紹介されたインドネシア在住のミュージシャン・加藤ひろあき(38)。妻も現地の人気ミュージシャンで、夫婦そろって活躍しています。8年前に移住した彼は、ここに至るまでいったいどんな人生を歩んできたのでしょうか。現地での芸能活動や妻との出会い、そして気になる結婚のことなど、芸人ライターとして活動する吉本新喜劇の吉岡友見がじっくり聞きました!

出典: FANY マガジン

現地でマルチに活躍

やりたいことに正直に――ずっとそんなふうに生きていきたいけれど、大人になるとどんどん難しくなってくる。

でも、それを実現している人もいます。よしもとクレアティブインドネシアに所属する加藤ひろあきさんは、インドネシアに在住し、現地でミュージシャン、テレビタレント、翻訳家などさまざまな活動をしています。2013年にはCOWCOWの「あたりまえ体操」をインドネシア語に翻訳して話題になり、今年1月の『マツコ会議』(日本テレビ系)で、海外で活躍する日本人として紹介もされました。

そして、つい先日の4月23日(金)には、日本とインドネシアの友好関係や理解促進などに貢献したことが評価され、なんと、駐インドネシア大使から「在外公館長表彰」が!

プライベートでは、2019年にインドネシアの人気ミュージシャンと結婚するなど、海外で“やりたいことに正直に”、そしてパワフルに生きる加藤さんにインタビューをしてきました!

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「あたりまえ体操」翻訳で大ヒット

――『マツコ会議』に出演して反響はどうでしたか?

反響は大きかったですね。インドネシアでは「バティック(インドネシアの伝統的な染め物)を着てテレビに出た日本人」として、いろんなメディアに取り上げられて。日本に住むインドネシアの人たちからも、たくさんの反響がありました。

――そもそもインドネシアという国を選んだきっかけは?

もともと、東京外国語大学でインドネシア語を専攻していたんです。インドネシア語を選んだ理由は、ほかの言語に比べて入試の倍率が低かったからなんですが(笑)。大学卒業後に1年間、インドネシアに留学して、日本に戻って大学院でもインドネシア語を勉強しました。日本では非常勤講師でインドネシア語を教える機会にも恵まれましたが、本当にやりたいと思っていた音楽や舞台などの芸術活動は鳴かず飛ばずで……。

それで、8年前の30歳のときに思い切ってインドネシアに移住することにしました。こっちのほうが自分の持ってるものを活かす可能性があるんじゃないかと。いきなり移住って無謀ですよね(笑)。ちょうどCOWCOWさんの「あたりまえ体操」のインドネシア語版を翻訳してヒットした直後だったので、気持ちが大きくなっていたのかもしれません(笑)。

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――「あたりまえ体操」の笑いは、インドネシアでも伝わるんですか?

ですよね。ああいう目の付けどころのお笑いって、僕も日本独特だと思っていて。だけど、インドネシアの人からも「右足出して 左足出して 歩ける」なんてことをお笑いに変換できるのはすごい!って言われました。あと、COWCOWさんもいつも言ってくださっているのですが、インドネシア人に伝わりやすく、インドネシア人が日常的によく使う言葉に翻訳できたのが、うまくハマったんだと思います。

具体的には、「あたりまえ」の部分に「イヤイヤラ=そりゃそうだろ」という言葉を当てはめたんです。インドネシア人のきわめて日常的な言葉なんですが、これがうまく当たって、みんなが面白がって口にしてくれるようになったんです。「イヤイヤラ」を思いついたときは、これイケる! と正直思いましたよ(笑)。

歌詞などのクリエイティブなものを翻訳するときは、インパクトを大切にして単語を当てはめていくことを意識してやってます。「あたりまえ体操」から学んだことです。

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ドラマのような出会いと結婚

――インドネシアでミュージシャンとして話題になった最初の曲は?

最初はオリジナルではなく、インドネシアで大ヒットした曲を日本語に翻訳したものでした。みんなが知ってる曲が日本語になってる! と面白がられたのがきっかけですね。いきなりオリジナルで勝負しなかったことが、結果として成功でしたね。

――2019年にご結婚された奥さまもミュージシャンですよね?

はい。インドネシアで有名なMOCCA(モッカ)というバンドのボーカルです。僕なんかよりも、ぜんぜん有名です(笑)。もともと僕は彼女のファンで、ライブにも行ってました。それで、ダメもとでSNSを使ってコンタクトを取ったら返事がきたんです!! ファンでも結婚できるんです。0%じゃない(笑)。ただ、もちろん一筋縄ではいかず、そこから紆余曲折あって結婚しました。

――なんですか?その紆余曲折って。気になります!

初めて出会ったときは、向こうは活躍しているミュージシャンで、僕はふつうの大学院生だったんで、僕がビビってしまい……。そこでいったんお別れしたら、彼女はアメリカの人と結婚してアメリカに住むことになってしまったんです。その後、6年間連絡とっていなかったのですが、僕が2014年にインドネシアに移住することになったとき、なんと、彼女が離婚してインドネシアに戻ってきたんです。で、僕から再び連絡を取り、意気投合してまた付き合いだしたというわけです。

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――ドラマみたいですね!! プロポーズの言葉は??

いや、それがプロポーズは、ぜんぜんドラマチックじゃなくて……。というか、明確なプロポーズはしてないんですよ。国際結婚に必要な書類を揃えるのに時間がかかると聞いていたんで、準備を始めたら、思いのほか早く集まってしまい(笑)。その有効期限が1カ月だったんです。それで、1カ月以内に結婚しなきゃ!とバタバタと……。

だからプロポーズは、敢えて言うなら「書類集めようか」ですね(笑)。本当に申し訳ない!

いろいろ手続きが終わってから「結婚していただけますか」と一応、言いました。「順番が違うだろ!」とマジでツッコまれましたが(笑)。

――奥さまのいちばん好きなところは?

う~ん、そうですね。どんな瞬間、どんなシチュエーションでも「幸せだ」と思わせてくれるところでしょうか。いつも悠然と構えていて、あるものに感謝して幸せになる、みたいなマインドが好きですね。2020年はコロナで仕事もキャンセルになって、僕もいろいろと落ち込んだりしていたのですが、どっしり構える奥さんに救われました。

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移住していなかったらあきらめていた

――インドネシアに移住して、結婚もして、さまざまな変化があったと思うのですが、いままでの人生振り返ってみてどう感じますか?

日本で生活していた20代の10年間は、おカネには困らなかったので、それを捨ててインドネシアに渡るのは確かに勇気がいりました。けど、いちばんやりたい「音楽」が、ぜんぜんうまくいっていなかったから。インドネシアに来てからのほうが「やりたいこと」に真っ直ぐ進めて、よかったと思っています。こっちに来ていなかったら、音楽や芸能活動をあきらめていたと思っています。

――今後の展望などを教えてください。

2020年はコロナで仕事もなくなり、自分は誰からも必要とされていないのかも、とさえ思いました。それを乗り越えて2021年を迎えられました。インドネシアは親日の国であると一般的には言われるのですが、それは先人の築いてきてくれた信頼があってのこと。エンタメにかかわる僕たちが、それをもっともっと広げていきたいと思っています。

インドネシアと日本を繋ぐ人間でありたい。それぞれの良いところをそれぞれに伝えたい。そして、2021年は音楽をしっかりやっていきたい。2017年にインドネシアでデビューアルバムを出して4年経つので、今年は新作を出してミュージシャンとしての軸足をちゃんとしていきたいです。

出典: FANY マガジン

「やりたいことに正直」な加藤さんは、奥さまとの出逢いやプロポーズもあけすけに答えてくださいました! オンラインでのインタビューだったのですが、画面からも伝わる明るさ、人に対する誠実さが「運」や「タイミング」を引き寄せているのかもしれません。これからも、どんな活躍を見せてくれるのか楽しみです!

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