ハズレにハグレ
古着屋で500円の服ばかり買っていた。彼女に
「この服、なんで買ったの?」
と訊かれて、
「500円やったから」
と答えたら、引かれた。
24歳のときの話なので、もう20年前。当時、僕にとって新品の服を買うことは贅沢なことだった。そもそも、発想になかったと言ってもいい。
まわりから
「ユニクロって知ってる?」
と言われたこともある。もちろん知っている。
持っている服で一番高い服。それがユニクロだった。僕からしたらブランド品だ。
店員に値下げの交渉をせずに服を買ったのは、ユニクロが初めてだった。それが19歳のとき。淡い紫色のフリースを買った。
それまで古着屋でしか服を買ったことがなかった。しかも、買うときはかならず値切っていた。
初めて服を買ったのは中学3年のとき。大阪のアメリカ村の古着屋だった。
ネルシャツを2枚買った。なぜ2枚買ったのかというと、どっちのシャツを買おうか手に取って悩んでいたら
「二つ買うんやったら2500円にするで」
と店員が言ってきたからだ。1枚1500円のネルシャツが、2枚で2500円に!
うれしかった。中学生にとって500円はでかい。いや、嘘。いまでも500円は大きい。500円あれば一食浮く。そのときは、浮いたお金で戦利品のようにたこ焼きを買って、三角公園で食べた。この経験が僕にもたらした影響は、かなり大きかった。
店員のひとことで、一瞬で500円も安くなるんや。あの値札なんやってん。でも、そらそうか。古着の値段なんて店員がつけてんねんから、あってないようなもんか。
それからというもの、中学生のくせに
「これとこれ買うし、ちょっと負けてや」
とか
「2000円しかないねん。ちょっと負けてや」
と、どこの古着屋に行っても毎回交渉するようになった。
せこいというか、がめついというか。恥知らずというか、たくましいというか。とにかく生意気な中学生だった。
でも、本音を言うと、店員とのそういうやりとり自体が楽しかった。アメリカ村の古着屋の店員は、憧れの存在だった。自分のようないなか者の中学生からすると、アメリカ村で働いているというだけでかっこよかったし、みなおしゃれで、自由に人生を謳歌している感じがして、うらやましかった。
自分のまわりにはいないタイプの大人たち。少し話せただけでも興奮した。
「ほんだら消費税だけ負けたるわ」
「いや、この店もともと消費税ないやん」
「あ、前にも来たことあった?」
「ある」
「しゃあないなあ。500円だけやで」
「ありがとう」
これだけで帰りの電車は幸せだった。達成感と満足感に包まれていた。服が入った紙袋を大事に抱えて、かえるの鳴き声が響く田んぼだらけの地元に帰った。
高校になると、毎週末アメリカ村に通うようになった。古着屋を巡り、レコード屋で新譜をチェックして、「ニューライト」という食堂のような洋食屋でセイロンライスを頬張った。
セイロンライスとは、混ぜカレーのことだ。安くて、うまい。僕が通っていたころは450円だった。いまは値上がりして550円になっているが、それでも安い。
アメリカ村は、僕のルーツだ。古着屋、レコード屋、ライブハウス、クラブ、バーがひしめく街。僕からしたらディズニーランドだった。
「カジカジ」という、関西圏でだけ販売されているファッション誌があった。それは僕のバイブルで、東京に来てからも実家に帰るたびに買った。都内の本屋で扱っている書店を見つけては購入していた。
カジカジには、アメリカ村の古着屋が多数掲載されていた。巻末には「街の目」というスナップ写真のコーナーがあり、アメリカ村を闊歩するおしゃれの達人たちが載っていた。いつか自分も、ここに載れるようなおしゃれさんになりたいなと夢見た。
シモキタに住み始めた理由。それは、シモキタがアメリカ村に似ていると思ったからだ。アメリカ村で遊んだ経験がなかったら、きっとシモキタには住んでいなかった。
500円の服を買うようになったきっかけは、東京の古着屋では誰も値切ったりなんかしないんだと気がついたからだ。初めて東京の古着屋に行ったとき、いままでの感じで値下げの交渉をした。すると、あからさまに嫌がられた。渋谷でも原宿でも、どこの古着屋でもそうだった。
「は? 何言ってんの?」
そんな感じだ。
文化が違うんだから仕方ない。そう観念した。
値下げできないなら、最初から安いものを狙うしかない。安くても、おしゃれでかわいいものはきっとあるはずだ。そう考えるようになって古着屋に行くと、500円くらいの服でも結構いいものがあることがわかった。そうして僕は、500円の服専門家になった。
シモキタのほとんどの古着屋をまわった結果、「シカゴ」が一番いいなと思った。シカゴは、別になんでもかんでも安いわけではない。ピンからキリまである。しかし、品ぞろえが多いため、必然的に安いものもたくさん売られていた。
ほかの店だと、ネルシャツが並んでいるとしたら、値段の幅はだいたい2000円くらいだった。安いのが1900円で、高いのが3900円みたいな感じだ。
シカゴは、その幅が広かった。そういった商品の中に、数枚500円くらいのものがまじっていたりした。あと、見切り品のワゴンセールのように、たまにオール500円のラックが店先に出たりもしていた。
「なんで買ったの?」
と言われた服は、そのラックにあったウィンドブレーカーだった。黒地に白の切り返しが、胸もとに大きくななめに入っていた。切り返しの部分は、鳥のかたちを模していたので、アシンメトリーなデザインだった。着心地もよかったし、使い勝手がよかったので重宝していた。
でも、
「なんで買ったの?」
なんて言われるってことは、相当ダサかったんだろう。奇抜なデザインとか、サイズ感とか、よれよれ具合とか。たぶん全部が。
「街の目」に出ていた手練たちのファッションは、みな抜け感があって、とてもしゃれていた。ちょっとダサいくらいの感じが、気を張っていなくてかっこよかった。その感じをまねたつもりなのに、僕がやると、ただ普通にダサい人になっていたようだ。
それ以来、古着を買わなくなった。シモキタに住んでいるのに、古着屋に入ることすらなくなった。
古着屋で買った服は全部捨てた。お気に入りだったパンテラのド派手なバンドTも、だるだるのエメラルドグリーンのトレーナーも、ぶっといベルボトムの黄色いコーデュロイパンツも、ワッペンでカスタムしすぎて、地のデニム部分がほとんど見えなくなったオーバーオールも、小さな龍の刺繍が胸に入った赤い人民服も。
どの服も、1枚1枚、1着1着、どこで買ったかとか、誰々と一緒だったとか、店員とどんな話をしたとか、あの日は雨だったなとか、思い出がつまっていた。並べた服を眺めていると、アルバムを見返しているような気分になった。
でも、すべて処分した。残ったのは、ユニクロの無地のTシャツとフリースとジーパン。あとは、両国国技館に相撲を観に行ったときに、ひと目ぼれして買った白いTシャツ1枚だけだった。
そのTシャツには、うわ手投げをする力士のイラストが、水墨画のように勢いよく筆で描かれていた。ただ、このTシャツの生地は、乳首が透けるほどぺらぺらだった。いや、しっかり透けていた。なので、これを機に1軍からは退いてもらい、寝まきにすることにした。
そう、このTシャツは1軍だった。信じられないだろう。これを着て、何度遊びに行ったことか。乳首が透けているのに。嬉々として。
ウソみたいだろ。透けてるんだぜ、乳首。
ダサいうえに乳首まで透けているなんて。セクハラで訴えられていてもおかしくないレベルだ。
「街の目」では、抜け感は出していたが、透け感は誰も出していなかった。いままでカジカジの何を見てきたんだ。だいたい相撲のTシャツってなんやねん。
でも、この思いきった断捨離のおかげで、みごとイメチェンに成功した。それから、シンプルな無地の服ばかりを着るようになった。そうすると、古着屋だけでなく服屋にすらいっさい行かなくなった。
服は、ことごとくネットで買うようになった。最初は、送料がかかるのが気になった。しかし、店に買い行くまでの交通費を考えれば大差ないかと思うようになり、いつの間にかネットでしか購入しなくなった。
そこから、服の思い出がない。何一つ。服に対して、思い入れもなくなった。
ネットショッピングは、便利で楽だ。でも、そこにはストーリーやドラマはない。古着屋で買った服には、それがどんなにダサい服だったとしても、記憶に残る映像や空気が染み込んでいた。
20年ぶりに古着屋に入った。シモキタのはずれにある「HAg-Le」という店。店長はチビドッグさん。
彼は、10年ほど前にくりぼーから紹介された。連絡先を交換したわけではなかったので、それから個人的に会ったりすることはなかった。古着も着なくなっていたので、店に行く機会もなかった。でも、この10年間ずっと彼のことを忘れることはなかった。なぜなら、定期的につねに見かけていたからだ。
初めて会ったとき、おしゃれで華奢な人だなと思った。ストリート系のファッションにワーク系の男っぽいファッションをミックスしていて、ポップなのに無骨という独特な雰囲気を醸し出していた。それこそ「街の目」の人。おしゃれなのに、肩の力が抜けていて嫌味がなかった。ファッションとライフスタイルが一体になっている感じ。
首もとや腕からちらちらとのぞくタトゥーもかっこよかった。ひげもたっぷりたくわえていて、一見いかつい雰囲気なのに、話すと、とても物腰がやわらかくて驚いた。その一度しか話していないのに、すごく印象に残った。
彼は、黄色いガソリンタンクのYAMAHAのSR400というバイクに乗っていた。バイクもカスタムされていて渋かった。
バイクに乗っていることは知らなかった。自転車をこいでいるときに、偶然すれ違って気づいた。
「あ、チビドッグさん!」
声は届かなかった。
バイク乗ってるんや。どこに住んでるんやろ。近所なんかな。
数か月後。また自転車をこいでいるときに、彼のものと思われるバイクが、あるマンションの前に停められているのを発見した。
これ、チビドッグさんが乗ってたバイクに似てるな。もしかして、このマンションに住んでんのかな。
さらに数か月後。その日は午後から雨になるという予報だったので、珍しくバスで渋谷に向かうことにした。車内からぼんやりと外を眺めていたら、見覚えのあるマンションが。あ、あのバイクも停まってる。
次の瞬間、なんとそのマンションからチビドッグさんが出てきた。わお。
ビンゴ。やっぱりここに住んでるんや。
ストーカーみたいだなと思ったが、ご近所さんなんだからしょうがない。それからも、彼を見かける機会が減ることはなかった。
バイトでピザの配達をしていたことが大きい。毎日シモキタ中を走りまわっていたので、単純に出会う回数が多くなったんだろう。
彼は、見かけるたびにどんどん胸板が厚くなっていった。気がつけば、初めて会ったときのほっそりとした面影は完全になくなっていた。
ジムに通い始めたんかな。めっちゃごつくなってる。
家族で花見をしているところを目撃したことも。家族!?
え、チビドッグさん結婚したんや。いつ? 子供もいるやん。
一方的に見続けてきた。彼の生活と変化を。
次会ったら話しかけよう。僕のことなんか忘れているかもしれないけれど。
それは突然だった。恵比寿のリキッドルームというライブハウス。kamomekamomeの向さんに誘ってもらって行ったenvyとGEZANの2マンライブ。
ライブ後、2階のロビーに上がると、チビドッグさんが仲間と談笑していた。僕には気づいていない。まさかこんなところで!
この機会を逃すわけにはいかない。意を決して話しかけた。
「トイドッグさん!」
……思いきり名前を間違えた。口から出たのは、知り合いのメッセンジャーでフォトグラファーの「トイドッグ」さんの名前。
「すいません、間違えました。知り合いにトイドッグさんというかたがいてて。ちょっとごっちゃになってしまいました。本当にすいません。ごぶさたしてます、トイドッグさん。いや、違う。チビドッグさん」
ぶち壊し。せっかく再会を果たしたのに。
「僕、くりぼーの友人で吉本で芸人をしている……」
「ああ、覚えてますよ。くりちゃんの」
失礼極まりないことをしてしまったのに、トイドッグさんはやさしかった。違う。チビドッグさんはやさしかった。知り合いに「◯◯ドッグ」が二人もいるなんて!
そのあとも、数回チビドッグさんのことをトイドッグさんと呼び間違えてしまい、しまいにはチビドッグさんから
「そのトイドッグってめっちゃ気に入ったんで、それマジで使っていいですか?」
と言われる始末。
そののち、何度かHAg-Leにうかがった。しかし、タイミング悪く、別のかたが働いている日ばかりで、チビドッグさんには会えなかった。
そうこうしているうちに、コロナ禍に。外出を控えるようになり、HAg-Leに向かう足も遠のいた。
先日、久しぶりにHAg-Leを訪れた。恵比寿で再会してから2年半が経っていた。
レジに立つチビドッグさん。挨拶すると、すぐに気づいてくれた。レジの後ろの壁には、以前僕が名刺代わりに渡した自作ステッカーが。感激。貼ってくれてるんだ。
「服、見させてもらっていいですか?」
「もちろん、ぜひ」
20年ぶりの古着屋。興奮した。
端から順にくまなく見ていく。古着屋のにおい。こんなだった。
これいいな。でも、ちょっと自分には着こなす自信ないな。あ、これもいい。持っている服と頭の中でコーディネートしてみたり。この感覚、懐かしい。
おお! TOOLのTシャツ!
なんで? これだけ、まわりの古着とテイスト違うやん。
しかも10000daysのツアーT! このCD持ってる。てゆーか、昨日も聴いてたって!
「それ、よく気づいてくれましたね」
「これめちゃくちゃかっこいいですね」
「自分の趣味で、一つだけバンドTとか置いたりしてるんですよ」
「これ、ください!」
こういう出会いがたまらない。やっぱり古着屋での買いものって楽しい。
「1万1千円になります」
おおおおお! 僕は、このTシャツを買ったことを一生忘れることはないだろう。
ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。
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