ピストジャムが綴る「世界で2番目にクールな街」の魅力
「シモキタブラボー!」え? 人間?

シモキタブラボー!

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

え? 人間?

「Dです」

突き出された拳。

あ。これ、なんか手でやる挨拶だ。映画で観たことある。

たぶん、こちらも拳をつくって、その拳にまずタッチすればいいんだろう。でも、その先がわからない。おそらく、タッチしたらアルプス一万尺みたいなやつが始まるはず。だけど、やりかたがわからない。

ん? そもそも最初のタッチする拳は、右手でやるのが正しいのか? それとも左手? もし、どっちかの手には「喧嘩上等」とか変な意味があったらどうしよう。間違えられない。

戸惑っている僕を見て、青柳がフォローする。

「ラッパーなんですよ」

「え?」

「俺、D-BLACKって名前なんで、Dって呼ばれてます」

確かに、見るからにB-BOYだ。キャップに、パーマに、ひげ。服はオーバーサイズのパーカーに、太いパンツ。そしてバッシュ。年齢は20代前半だろう。目は、くりくりっとしていて、大きくてかわいい。

青柳が気を遣って声をかけてくれたのはありがたかったが、結局突き出された拳にどう対処すればいいのかはわからずじまいだ。僕は、どさくさに紛れた感じで

「あ、そうなんすね。はじめまして」

と答えながら、ホームランを打った選手をベンチで迎える原監督のように、突き出された拳に両拳でグータッチした。

Dさんは、小さく

「イェ」

とつぶやき、バーカウンターの僕と一つ席を空けたところに座った。アルプス一万尺は始まらなかった。

2010年。ヴィレッジヴァンガードの真横にあるassoというバー。そこで青柳はバイトしていた。青柳は、吉本の後輩でギチというコンビで活動していた。

その店には、近所の飲み屋の店員がよく飲みに来ていた。青柳の人柄のよさだろう。Dと名乗る彼もそんなひとりだった。近くの店で働いているらしい。

シモキタにラッパーか。数年前からシモキタに、「下北」という文字をもじったDOWN NORTH CAMPというヒップホップクルーがいることは知っていた。最近、深夜に駅前で音楽を流してサイファーするラッパーたちを見かける機会も増えた。

これは、いままでシモキタで見ることのなかった光景だった。深夜の駅前で弾き語りをするミュージシャンはよくいた。しかし、ラップはいなかった。

全国的な日本語ラップの浸透。その波は、ついにバンドマンの聖地・下北沢にも押し寄せてきた。

ついに? いや、ついにじゃない。

かつてシモキタには、zooという伝説的なクラブがあった。1988年から1994年の話。

東京でいい音楽が聴けるハコと言えば、zoo と言われていたという。ファットボーイ・スリムとして活動する前のノーマン・クックがDJしたとか、プライマル・スクリームのボビー・ギレスピーが何度も遊びに来ていたとか、まだ渋谷系という言葉ができる前にフリッパーズ・ギターやTOKYO NO.1 SOUL SETが頻繁にライブをしていたとか。

そんななか、ジャパニーズ・ヒップホップの黎明期を語るうえで欠かすことのできないスラムダンク・ディスコというイベントもzooでおこなわれていたという。ECD、YOU THE ROCK★、マイクロフォンペイジャー、ライムスター、メローイエロー、ソウルスクリーム、キミドリ、ランプアイ。出演者は、日本語ラップ好きなら誰でも知っているレジェンドばかりだ。

このイベントは、タイトルを変えながら3年にわたり続いたらしい。シモキタは、ひと昔前はB-BOYの聖地でもあったのだ。

これは余談だが、zooがあったころ、ECHOESの辻仁成さんもシモキタに住んでいたという。辻さんは、その時期にシモキタの駅前の人々をスケッチして『ZOO』という曲をつくったらしい。

この一致は、単なる偶然だろうか。それとも、そのころのシモキタが発していた何かが引き起こしたシンクロニシティだろうか。いずれにしても、シモキタは音楽にまつわるエピソードにはこと欠かない。音楽を愛する人たちを引きつける、不思議な魅力を持った街だ。

「田我流のライブ観て、ラップ始めたんすよ」

彼は続けた。大きな瞳がきらきら輝いている。

もしかしたら、いつか彼もスラムダンク・ディスコのメンバーのように有名なラッパーになるかもしれない。そう思った。

2011年。下北沢カレー王座決定戦がおこなわれた。

このイベントは、翌年から始まる下北沢カレーフェスティバルの前身となる催しで、46maという店が優勝した。この店は、僕が長らくバイトしたKaeluというバーの系列店だった。Kaelu時代にオーナーがまかないでつくってくれたキーマカレーがめちゃくちゃおいしかったので、46maの優勝は納得の結果だった。

ちなみに、この下北沢カレー王座決定戦は、下北沢カレーフェスティバルと並行して4年に一回のペースで開催されている。最初が2011年、次が2015年、そして前回が2019年。

2019年には、新しい試みがなされた。下北沢カレー王座決定戦に出店する40店舗のうち、30店舗でカレーを食べた参加者には下北沢カレーアンバサダーの称号が授与されることになったのだ。もちろん、僕は下北沢カレーアンバサダーになった。

アンバサダー認定番号、2番。数時間差での2着だった。悔しすぎる。

悔しすぎたので、僕はこの年、千葉県柏市で開催されたかしわカレースタンプラリーにも参加し、全8店舗をまわり、かしわカレーマイスターにも認定された。続いて、神田カレーグランプリにも参戦し、20店舗まわって神田カレーマイスターの称号も手にした。

カレーの三冠王。悪くない。

ただカレーを食べまわっただけだけど。いままで誰にも認めてもらったりしたことがなかったから、うれしかった。本当にただカレーを食べまくっただけなんだけど。

下北沢カレーアンバサダーの認定証は、いまも額に入れて大切に飾っている。認定証を眺める。きたるべき2023年には、かならずや1番をゲットするぞと胸に秘めて。

2012年。第1回下北沢カレーフェスティバルが開催された。

このイベントの功績は計り知れない。音楽の街、演劇の街、古着の街として知られる下北沢を、カレーの街として世に広く知らしめた。

毎年10月に開かれ、今年で11回目を迎える。毎回、多くの人たちがシモキタを訪れる。イベントが始まると連日ニュースでも取り上げられ、その盛況ぶりを見た人たちが、またさらにシモキタにやってくる。

期間中は、まさにフェス。どこもかしこも、チラシを手にしてカレー屋を目指す人たちであふれ返る。

イベントを盛り上げるのは、メインマスコットキャラクターのカレーまん。マスコットキャラクターと聞くと、くまモンやふなっしーのようなゆるキャラをイメージする人がほとんどだろう。だが、カレーまんは違う。全身タイツを着た普通の人間だ。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

金色の全身タイツに大きな王冠をかぶり、サングラスをかけているだけ。初めてカレーフェスティバルのチラシで彼の姿を見たときは、

「なんやこいつ」

と思った。これはディスではない。素直な反応だ。だって、メインマスコットキャラクターに人間って! さすがシモキタだ。どうかしてる。

彼は、期間中スピーカーを腰からぶら下げて、シモキタの街をマイク片手に練り歩く。

「ルー♪ この季節がやってくルー♪ そう、カレーフェスティバルー♪ そこら中に僕がいルー♪ そしてみんなを盛り上げルー♪」

カレーまんは、カレーフェスティバルのテーマソングをつくり、ラップしながらイベントを盛り上げ……え!? ラップ!?

まさか。

「Dです」

彼は、シモキタでは知らない人がいないほどの有名人になっていた。

明日、7月7日から下北沢ミニカレーフェスティバルが開催される。ミニカレーに舌鼓を打ちながら、ぜひカレーまんのゴキゲンなラップも楽しんでほしい。8月7日までやっていルー!


出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。

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