ピストジャムが綴る「世界で2番目にクールな街」の魅力
「シモキタブラボー!」いいひんのかい

シモキタブラボー!

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

いいひんのかい

ひとりで「ろくでもない夜」に飲みに来た。24時、客はカウンターに男性が二人。コロナ禍前に行ったきりなので、2年ぶりか。いや、もしかしたら3年経っているかも。

ろくでもない夜は、ろく夜の愛称で親しまれているライブハウス。名づけ親は、キングコング西野さん。

オープンして間もないころに、COWCOW善しさんに連れて行ってもらった。店主の原口さんは気さくなかたで、初対面の僕にも

「お笑いライブで使っていいですよ」

と言ってくださり、僕も何度かライブをさせていただいた。

先日、原口さんから連絡をもらったので、ふらっと来てみたが、今夜は原口さんはいないみたいだ。カウンターの中には、初めて見る金髪の女性店員と知った顔の男性店員。

「お前、誰だあ?」

ずいぶん酔っ払っている。男性店員は、友人のバンドマン「ロマンチスト」のコータさん。

コータさんとは、前に何度か話したことがあった。しかし、数年ぶりだから忘れられたんだろうか。それとも、ただ酔いすぎているだけか。それにしても、「お前、誰だあ?」って。思わず吹き出してしまう。

「お前、見たことあるぞお」

あ、マスクしているからか。そうか、そうか。

マスクをずらして、口もとを見せる。

「……」

「誰だよお」

わからへんのんかい。彼はかろうじて立っているが、いまにも倒れてしまいそうな感じだ。

「僕、コヤマンとミツの友だちで……」

そこまで口にすると、彼はにたあっと笑って

「じゃあ、お前は悪い奴だあ」

なんでやねん。誰が悪い奴やねん。また笑ってしまう。

 

コータさんと初めて会ったのは、10年くらい前。夜中、シモキタをひとりでぶらついていると、路上で酒盛りしているグループがいた。3、4人が円になって、道路の上につまみを並べて、楽しそうに飲んでいた。

ずいぶんゴキゲンな人たちだなと思いながら、静かにそのとなりをとおりすぎようとすると、突然そのグループのひとりから

「うわあ、久しぶり! こんなとこで何してるんすか?」

と、声をかけられた。声の主は、友人のバンドマンTHE DROP OUTSのコヤマンだった。

「こんなとこで何してるんすか?」は、こちらのセリフだ。

「いや、俺シモキタに住んでるから……」

そこまで答えて、だからといって深夜に徘徊する理由にはならないかと思い、続きの言葉は飲み込んだ。

「一緒に飲みましょうよ」

暗がりから立ち上がったコヤマンの目は、街灯の光を反射して、いつもより輝いて見えた。彼のそのあけすけな性格が、僕にはまぶしく、うらやましかった。

コヤマンとは、シモキタのベースメントバーというライブハウスで知り合った。ベースメントバーの店長から、

「お笑いライブとバンドのライブを一緒にしたイベントやりたいから、出てよ」

と、オファーされて出たときに、THE DROP OUTSもそのイベントに出演していた。それがきっかけでTHE DROP OUTSのメンバーのかたがたと仲よくなり、僕は彼らのライブに足しげく通うようになった。

「あ。こいつ、ミツとバンドやってたんですよ」

コヤマンが、となりであぐらをかいて飲んでいる仲間を紹介する。それがコータさんだった。

ミツは、僕のバイト仲間だった。20年ほど前、カクヤスという酒屋でバイトしていたとき、僕が下北沢店で、彼は代々木上原店で働いていた。

代々木上原店には、僕の紹介で入った高校ズ秋月もバイトしていたので、代々木上原店からヘルプの要請があると、僕は進んでヘルプに行っていた。それで、ミツと知り合った。

彼は未来泥棒というバンドをやっていて、THE DROP OUTSとも仲がいいという。それぞれ別で知り合ったのに、つながっていることに驚いた。

コータさんは、その未来泥棒のギタリストだった。

「はじめまして。僕、吉本で芸人やってて……」

挨拶すると、

「芸人なの? 近藤夢さん知ってる? 村越さん!」

と興奮気味にコータさんが言う。

「村越」とは、近藤夢さんの本名だ。そして、知ってるも何も、僕は夢さんが主催する「近藤商店」というお笑いライブに毎月出演させてもらっている。

「夢さん、わかります。僕、夢さんが主催するライブに毎月出させてもらってて、めっちゃお世話になってます」

と答えると、

「そおなんだあ! 村越さん頑張ってるんだあ。会いてえなあ」

と、急に空を見上げてなつかしみだした。

聞くと、コータさんと夢さんは昔シモキタの「よってこや」というラーメン屋で一緒にバイトしていたらしい。夢さんが、まだ芸人になる前の話。

「あのときさあ、村越さん『このバイトやめたら、たけし軍団入るんだ』って言ってたんだよ。あの人、金ないのにパチンコばっか行っててさ。遅刻もするしさ。でも、おもしろかったんだよ。一番仲よかったんだよなあ。で、そのあと本当にたけし軍団入ってさあ」

話が止まらない。僕は、自分の魂が小刻みに震えているのを感じた。この場所だけ、いま天からスポットライトが照らされている。強烈な光が頭の上から降りそそぎ、体をとおり抜けて心臓のあたりまで届いている気がした。

みな別々のタイミングで知り合ったにもかかわらず、僕もコヤマンもミツもコータさんも夢さんも全員つながっていた。それぞれの人生が、ある瞬間シモキタで交錯し、かかわり合っていた。

この瞬間も、僕が夜ふけにほっつき歩いていなければ訪れることはなかった。縁は異なものというが、まさかここまでとは。

コータさんは、よろよろとカウンターの端まで移動し、窓のへりにゆっくりと腰をおろした。目をつむり、腕を組み、もういまにも寝てしまいそう。

きっと今日おこなわれたライブが盛り上がりすぎて、飲みすぎちゃったんだろうな。かわいい。

原口さんに会おうと思って来たんやけどなあ。いいひんのかい。

一瞬帰ろうかなと思ったが、せっかく来たので一杯飲んで帰ることにした。

「すいません。ビールください」

飲みながら、スマホでニュースをチェックする。でも、飲みに来たのにスマホを見ているだけとは味気ないなと思い、カウンターの上にスマホを伏せる。でも、ほかにやることがあるわけではない。暇だから飲みに来たのに、飲みに来ても暇になってしまった。

ちょっと来るタイミング間違えたかな。まさに、ろくでもない夜だ。でも、こんな夜もシモキタらしくていい。

飲み終わるまで、しりとりでもしようかな。ひとりで。

どうせならシモキタしばりでやるか。シモキタに関する言葉だけで続けるシモキタしりとり。

じゃスタートは、シモキタの「た」から。

「た」。タウンホール。

北沢タウンホール。正式名称は、北沢区民会館。音楽や演劇、お笑い、格闘技などができるホールがあって、1階はバス乗り場になっている。12階建てで、5階の屋上庭園が秘密のスポット。芝生もあるし、開放感があって気持ちいい。

「る」。ル・モンド。

ステーキ屋。新宿にある1号店は、食べログのステーキ百名店に選ばれている。シモキタは2号店。いつか行ってみたい。そんなに高くないらしい。

「ど」。ドラマ。

古本屋。Kaeluというバーでバイトしているときに、本当にお金がなくなって、泣く泣く大量の漫画を売りに行った。自分の部屋にあった漫画が、商品として並べられているのを見たときは、なんとも言えない気持ちになった。

「ま」。マジスパ。

マジックスパイスという北海道から来たスープカレー屋。辛さが選べる。一番辛い「虚空」を食べた人だけが注文を許される「アクエリアス」というメニューがある。高校ズ秋月は、アクエリアスまで完食した。僕はまだ「虚空」の一つ下の「天空」までしか食べたことがない。

「ぱ」。パラッツォ。

もうない店。南口を出て、すぐのところにあった赤い店。カフェバーで、店内にはジュークボックスがあり、MTVが流れていた。店名を知らず、ずっと「駅前の赤い店」と呼んでいた。ほとんど行く機会はなかったが、駅からの道順などを説明するときに「駅前の赤い店」というフレーズを多用していた。リニューアルのタイミングで外壁がターコイズブルーになり、「駅前の、前は赤かった店」という、知らない人からしたらまったく意味不明な説明をしたこともあった。

「お」。大阪屋。

こちらも、もういまはない老舗のたこ焼き屋。見た目はぼろぼろだけど、いつも行列ができていた。マヨネーズを、パックの隅にたっぷりと入れてくれるのが好きだった。

店主は、すきがあったらいつもボケてきた。

「この店、めちゃくちゃ年季入ってますね。いつからやってるんですか?」

「15時半から」

店主との、そんなちょっとしたやりとりも楽しみの一つだった。

「や」。屋根裏。

ミスチルやスピッツ、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTも出演した伝説的なライブハウス。閉店後、原口さんを始めとする元屋根裏スタッフが集い、その跡地にろく夜をオープンした。

「ら」。ラストチャンス。

茶沢通り沿いのバー。シモキタの駅から結構離れている。店名の由来は、三茶に向かうなら、ここが飲むラストチャンスだよ、という意味らしい。カクヤスでバイトしていたとき、毎日のように配達に行っていて、店主からその話を聞いた。

店のシャッターには、ポップで迫力がある、酒を飲む陽気な三人組の絵が描かれている。前をとおるたびに絶対見てしまう。バイトをやめたら一度行ってみようと思っていたが、チャンスを逃し続けていまだに行けていない。近々行ってみよう。

「す」。スワンプファミリーモンスター。

こちらもバー。カウンターの一番左端が僕の定位置。店の雰囲気とマスターの人柄が好きで、気がついたら通うようになっていた。長い店名なのに、口にすると語感が気持ちいいので、つい略さずスワンプファミリーモンスターと毎回フルで口にしてしまう。

すさまじい量のCDがあり、漫画から美術書まで本もたくさん置いてある。メニューは、レコードジャケットにデザインされていておしゃれ。

カウンターには、アールヌーボーのような、オレンジ色のガラスシェードのテーブルランプがあり、そのやさしい光に見とれてしまう。僕がいつも座る席の目の前には、最近東京タワーの大きなオブジェが置かれていて、それもオレンジ色の光を放っている。もしかしたら僕は、そのオレンジ色の光が持つ謎の力に引き寄せられて通っているのかもしれない。

最近、マスターはお子さんが産まれたらしい。おめでたい。

「あ」。アンドレア。

北口にある老舗のクレープ屋。クレープ屋に老舗という言葉を遣うのは違和感があるが、40年やっているらしいから老舗であることに間違いない。看板がないので、店名を知らない人が多い。あと、アイドルの写真もたくさん貼られている。メニューには、納豆キムチ野菜クレープという変わり種もある。クレープ屋には珍しく20時、21時まで開いている。

あ、また「あ」か。ひとりでやってんのに、自分に「あ」攻めしてしまった。

「あ」。阿波おどり。

下北沢一番街阿波おどり。シモキタのお祭りといえば、節分の天狗まつりとお盆の阿波おどり。

「り」。緑道。

北沢川緑道。暗渠化した北沢川の上に、人工の川がつくられている。そのせせらぎには小魚やザリガニや鴨が。どこからやって来ているのかわからないが、鷺もいる。川沿いには150本の桜が並び、春は毎年散歩しながら花見を楽しめる。

この緑道は、別名「文学の小路」と呼ばれていて、坂口安吾や萩原朔太郎、三好達治、斎藤茂吉などの顕彰碑が数多くある。近代日本文学の文士たちも、この緑道を散策してたんだと思うと感慨深い。

あと、散歩するたびに思うのが、この緑道沿いの一軒家に住んでいる人がうらやましすぎる。静かだし、自然もあるし、春は咲き乱れる桜を見放題だし。有名芸能人のお宅もいくつかあり、憧れる。

「う」。裏窓。

一番街商店街にあったダイニングバー。ミスチル御用達の店だと聞いていたので、いつか行こうと思っていたら、いつの間にか閉店していた。

「ど」。2回目やん。「ど」攻めもやってもうてるやん。なんかあったかなあ。

あ、あった。最近できてんな。

「ど」。ドンキ。

まさかシモキタにドン・キホーテができるとは。前は、エムエムランドというゲーセンがあった場所。シモキタにドンキができたらなあ。そうずっと願っていた。が、実際できると、とくに行く用がないことに気づく。いまだに一回も行ったことがない。

「き」。喜輪味(きわみ)。

一番街商店街にあったラーメン屋。マヨネーズラーメンというインパクトのあるメニューがあった。興味本意で食べてみたが、意外においしくてびっくりした。値段もめちゃくちゃ安く、300円だった。

「み」。珉亭。

老舗の街中華。オリオンリーグ剛くん、高校ズ秋月と、よく行った。通った回数は、優に100回は超えている。

赤いチャーハンが名物で、THE BLUE HEARTSの甲本ヒロトさんと俳優の松重豊さんがバイトしていたことでも有名。ちなみに、この二人は同い年で、ともに19歳のとき、同じ日に珉亭でバイトし始めたらしい。

2階の座敷が最高。靴を脱いで、畳の上にあぐらをかいて、壁にびっしりと飾られた何十枚もあるサイン色紙を眺めながら、たばこを吸って料理を待つ時間が至福のひとときだった。

僕のおすすめは、肉うまに定食。秋月は、生姜焼き定食。剛くんは、ラーチャンという半ラーメンと半チャーハンのサービスセットをいつも食べていた。

「い」。イカ祭り。

東日本大震災の復興応援イベント。珉亭の前のあずま通り商店街が歩行者天国になり、宮城県女川漁港から直送したイカを、イカ焼きやイカ焼きそばにして販売していた。2012年から2019年まで、毎年おこなわれていたが、最近はコロナの影響かやっていない。

「り」。また、「り」やん。「り」むずいわ。

あ。でも、あった、あった。

「り」。陸橋。

シモキタエキウエとテフラウンジができたのでなくなってしまったが、それまで駅の近くには二つの陸橋があった。僕が好きだったのは、いまテフラウンジがあるところにあった陸橋。

なんの変哲もない、どこにでもある普通の陸橋。だが、こちらの陸橋は使う人がほとんどいなくて、真ん中でぼーっと線路や景色を眺めていても平気だったから好きだった。見晴らしがよくて、昼でも夜でも気持ちのいい場所だった。

17年前、そこに友人のようちゃんと深夜に行った。僕が

「ここ好きやねん」

と言うと、ようちゃんも

「ここいいよね」

と言って、二人で線路沿いの景色を眺めた思い出がある。僕が26歳で、ようちゃんが28歳のとき。

ようちゃんとの出会いは、渋谷のクラブだった。当時、僕は学生時代の仲間と『アセカカ☆ナイト』というDJイベントをやっていた。最初はベースメントバーでイベントをしていたのだが、ベースメントバーの店長が独立して渋谷にクラブをつくるというので、イベントも一緒に渋谷に引っ越した。

20歳から毎月1回。4、5年やっていたと思う。彼は、最初そこに知り合いのDJの友人として遊びに来ていた。

ようちゃんは、サラリーマンで建築関係の会社に勤めていた。年上なのに、

「タメ口でいいよ」

と言ってくれて、気づけばめちゃくちゃ仲良くなっていた。

音楽やファッション、ストリートアートや自転車、バイクなど、僕の好きなものすべてに詳しい憧れの先輩だった。ピストバイクを教えてくれたのも彼だ。シモキタ近辺に住んでいたので、Kaeluにもよく飲みに来てくれた。僕も休みの日の夜には、彼の部屋に遊びに行っては朝まで音楽を聴いたり、くだらない話をしてすごしていた。仲間うちで、彼の誕生日にサプライズをしようということになり、僕が愛知県の彼の実家まで行って、家族のかたや母校にお邪魔してビデオメッセージを撮影して来たこともあった。

並んで陸橋の手すりの上に腕組みをする。夜風が気持ちいい。

ようちゃんは昨年サラリーマンをやめ、内装屋として独立した。しかし、まだ独立して間もないということもあり、安定して仕事があるわけじゃないからなかなかたいへんだと聞いていた。何か力になれることがあったら協力したいと思っていたが、何ができるわけでもないので、もどかしかった。

駅周辺は明かりが多いので、線路もはっきり見えている。でも、その先は住宅街なので明かりも少なく、線路は暗闇に向かって延びているように見えた。

ようちゃんが吸うKENTの煙がこちらに流れて来る。全然嫌じゃない。僕は、彼のたばこの煙まで好きになっていた。

軽く握った手を口もとに持っていき、親指の爪を下の歯にあて、少し噛む。彼が考えごとをしたり、集中しているときに、たまにする仕草だ。

「のーくんさあ」

彼は、僕のことを「のーくん」と呼ぶ。

「俺、車買おうと思ってるんだよね」

「マジで? 何買うの?」

「テラノ」

「日産の?」

「のーくん、よく知ってるねえ」

ようちゃんにほめられるとうれしい。少し照れて、顔を上げると、空には星が輝いていた。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

「すいません。もうお店閉めます」

女性店員が言う。

「あ。すいません、すぐ出ます」

コータさんは、まだ窓のへりに腰かけたまま、カウンターに座る男性二人と話していた。かなり眠そう。ろれつもまわっていない。

「ごちそうさまでした。また来ます」

心の中で、コータさんにおやすみなさいとつぶやいて、店を出る。

「う」。なんかあったかなあ。

自転車を押しながら、きょろきょろと店の看板を見ながら歩いて帰る。「う」、「う」、「う」、「う」、「う」。

あっ、あった! 

「う」。魚真! 

あ。「ん」ついてもうた。

また仕切り直し。シモキタしりとりは、はてしなく続く。


出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。

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