上方落語協会長の笑福亭仁智がいまさら聞けない“落語のいろは”を解説! 「上方落語と江戸落語の違いは…」

お笑いの通は「落語」に戻る——そう言われる落語ですが、いざ寄席に行こうと思っても、なにやら難しそうでなかなかとっつきにくいもの。そこで今回は、そんな落語の気になるあれこれを、上方落語協会会長の笑福亭仁智に聞いてみました。入門、修業時代のことや、落語の起源など、仁智の体験話も織り交ぜながら“落語のいろは”をお届けします!

出典: FANY マガジン
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プロの落語家になるには?

――まず最初に、仁智師匠は笑福亭仁鶴師匠のお弟子さんにあたりますが、どのような経緯で入門したんですか?

師匠(仁鶴)が「もうぼちぼち弟子を取るかな」と思ってはったときに、タイミングよく私がお願いに行きました。昭和46年、1971年のことになります。
まず師匠の家に電話をしたら、奥さんが出られて、「OBC(ラジオ大阪)で深夜のラジオ番組をやっているから、夕方ぐらいにラジオ局の入口で待っとってちょうだい」と言われたので、友だちについてきてもらってラジオ局に行ってね、師匠と奥さんにお話をしたんです。そうしたら、「落語を覚えておいで」と。
私は(高校の)落研(落語研究会)でもないですし、自分ではいくつか覚えていましたけど、ちゃんとは覚えていなかったし、人前でもやったことがなくて。それからひと月か、ふた月後ぐらいですかね。師匠のお宅へおじゃまして、「池田の猪買い」という師匠がよくやられるネタをダーッと喋りました。息もつかずにダーッと喋って、ハッと終わって(笑)。ほんだら、そのときに「まあまあ、来たらええがな」と言うてもらいまして。それが高校3年生の冬でした。

出典: FANY マガジン
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――修行生活はどのような日々を?

うちは、仕事先へついていって師匠の世話をするのが基本なんです。基本的に(笑福亭)松鶴一門は、朝10時に師匠の家に行って、夕方5時までおって、家の掃除とかいろいろして終わるというような生活です。自宅からの通いでね。それと同じような形で、うちの師匠も10時から17時までと。
その当時、師匠は特に忙しかったですから、仕事先へ夜までついていって、仕事が終わったら自分の家に帰るという、そういう毎日でした。師匠が仕事で東京に行かれていても、10時から17時まで家に行って。奥さんにお昼ご飯をいただいて、新聞読んで、奥さんと一緒にお茶飲んで、一緒にボーリングに行って、犬の散歩に行って、17時になったら「失礼します」と帰る日もあって。週1回そんな日があったからね、楽しかったです(笑)。

――入門と聞くと、師匠と寝食をともにするというようなイメージがありましたが。

よく内弟子で師匠の家で生活してなんて言われますけど、あれは大阪では(桂)米朝師匠のご一門なんです。修行時代の3年間、米朝師匠のお宅で弟子が寝泊りして、師匠の世話をしたり、家の掃除をしたり、犬の散歩、買い物、稽古というようなね。複数の弟子がおったら、1人が師匠の仕事場についていく。
松鶴師匠のところはそんなにお家が広くなかったというのもあって、通いでされたんやと思いますよ。その形をうちの師匠も取られてましたね。

――プロの落語家への道は、弟子入りから始まるんですね。

「上方落語の噺家です」と胸を張って仕事ができるようになるには、まず、この人だと思う師匠に入門して、修行期間はいろいろと師匠の世話をしながら、落語はもちろん、落語以外の基本的なことを覚えていきます。特にむかしは中学卒業後とか、若くして内弟子になった方もいたので、社会のことや基本的な教養、人間関係、言葉遣いとか、そういうことから教えてもらっていました。

出典: FANY マガジン
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――弟子の修行を終えると、どうなるんですか?

だいたい3年ぐらい修行して、「独り立ちしたらええよ」と師匠に許されたら、名前をもらって一人前の噺家としてやれます。せやから、師匠に弟子入りせんと噺家を名乗られへんのですね。
なかには趣味で落語をされている方もいますが、プロの噺家は、まず師匠に弟子入りして修行するというのが基本です。お客さんからしたらプロもアマチュアもあんまり変わらへんように見えておるかもわかりませんけど、プロの噺家から見たら、同じ落語でも、師匠について修行して、鍛えられた結果としての高座(寄席の舞台)と、好きで覚えて、自分で工夫してお客さんの前でやってはるのとでは、同じようにお客さんが笑っておられても、やっぱり違うんです。
落語は1700年ごろに始まって、いまで320年ちょっと経ちますが、伝統として続くには、やっぱり師匠から精神面や性根を教えていただいて、それをまた自分の弟子であったり、後輩に伝えるという。落語が脈々と続いているのは、やっぱりその徒弟制度にあると思いますね。

「滅びた」と言われた上方落語界

――京都・大阪を中心に演じられる上方落語の起源について教えてください。

1700年ごろに、京都の四条河原や大阪で、いわゆる「芸人」と言われた人たちが集まって、人を喜ばせて、お客さんからおカネをいただいていたのが起源です。
京都は露の五郎兵衛(つゆのごろべえ)という人で、大阪は米沢彦八とう方が、大阪・谷町九丁目の生國魂(いくたま)神社の境内で、当時、人気のあった歌舞伎役者のモノマネをして、そこにオチをつけて笑わせていたと。東京(江戸落語)は鹿野武左衛門(しかのぶざえもん )という人が始まりやと言われています。
大阪では、大正時代は寄席(演芸場)も落語が中心やったんですけど、昭和に入ってからだんだん漫才中心になってきましてね。吉本興業が、そういう方針で寄席小屋を経営されたんで。

出典: FANY マガジン
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それもあって大阪では、落語家が廃業して、漫才に転向したりした。ですから戦後は、それもあったし、戦争もあって、本当に噺家が少なくなって。高齢の師匠方が数人と、後に「四天王」と言われた松鶴、米朝、小文枝(当時)、春団治、そして初代の上方落語協会会長の林家染丸師と、以上の5人がまだまだまだ若手、これからやというような感じやったですね。それからすぐに高齢の方が他界されまして、新聞にも「上方落語は滅びた」なんていう見出しが出たり、本当に危機的な状況がずっと続きました。

――そういう時代もあったんですね。

そのなかで、上方落語の灯を絶やすまいと頑張ってこられたのが、さきほどの染丸師と四天王と言われた米朝、春団治、小文枝、松鶴。その方たちが昭和34年(1959年)に上方落語協会をこしらえて。
いまは上方の落語家は約270人いますが、当時は十何人しかいてなかった。それを最低でも50人にしようというようなことで、とりあえず弟子をたくさん育てようという方針で後進を育てて、いまに至ります。

なぜ上方落語に「真打制度」がないか

――上方落語と江戸落語の違いはなんですか?

東京と大阪の落語の違いは、あんまりご存知ないかもわかりませんけど、東京はお座敷芸から始まっています。江戸時代は武士、明治になってからは官僚などのお座敷に呼ばれて、近いところで落語をするので、ものすごく微妙な表現力というか、人間関係の情の部分を伝えたり、仕草でそう見えるようにすることが大事です。なのでもともと、きっちりした人情噺であったり、怪談であったり、講釈ネタ、一代記、人の物語が多かったんですよね。
一方、大阪は大道芸から始まっています。東京のお座敷のようにおカネをもらってやるのではなく、やった対価として、お客さんから投げ銭でもらうわけですから、なるべくわかりやすいことが大事。大阪はいわゆる庶民の町やから、わかりやすいものが好まれるんですよね。だから、ボケとツッコミで漫才みたいに展開していく。旅ネタも多くて、旅行のガイドブック的な役割もあったと思います。たとえば、「池田の猪買い」も道筋をちゃんと言うわけです。

出典: FANY マガジン
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お囃子の鳴り物が効果音で入るというのも、大阪の特徴ですね。東京はむかし、出囃子もなかったんですよ。大阪が三味線を弾いて賑やかにやっているのをみて、あれがいいじゃないかと、東京に持っていかれたそうです。

――東京には「真打制度」(階級)がありますが、大阪にはないのですか?

むかしは大阪にも前座、中座、真打というランクがあったらしいです。ところが、戦後になると落語家が減っていていないわけですから、前座も真打もないと。だからもうとっぱらおうと。
また、とっぱらったあとも大阪らしいですよね。東京と違いまして、大阪はお客さんが芸人の値打ちを決めるというかね。自分がなんぼ偉そうにして「真打です」って言うたところで、お客さんが認めへんかったらダメですから。そういう意味では、真打制度がないことは、大阪に合っているかもわからないですね。
ただ、「真打」と聞くと、ミシュランの星みたいなね、なんかランクが上がったような、そういう感じもあるので、真打制度に代わるもので、お客さんにも伝わるようなものがあればいいなあと、いま考え中です。でも、そういう制度としてやるのは、なかなか難しいですね。

――上方落語協会として、そうした取り組みはありますか?

まず、「繁昌亭大賞」があります。これは、笑いを提供して大阪・天満天神繁昌亭にお客さんを呼んで貢献したというような、入門25年までの噺家さん1人に、年に1度与えられる賞で、繁昌亭大賞と奨励賞があります。今年からは新人賞も設けました。
それから「上方落語若手噺家グランプリ」も。これは上方落語協会に所属する入門4年目から18年目の若手を対象とした賞レースです。
繁昌亭大賞を取ったら、天満天神繁昌亭で1週間、「大賞記念ウィーク」というお披露目の公演をできます。「上方落語若手噺家グランプリ」には、神戸・喜楽館と天満天神繁昌亭に、各6週出演できるという特典を付けています。「上方落語若手噺家グランプリ」はお客さんにも人気でね、今年で8回を迎えました。みんな頑張って、工夫してやっていますよ。

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――改めて、観客にとって落語の楽しみ方、醍醐味はなんですか?

落語は、基本的には会話でストーリーを展開して、お客さんに想像していただくものです。極端に言うたら、お客さんが集中したら演者の姿なんてどうでもいいんですよね。演者が喋ったり、やったりしていることが、もう「絵」になって物語が進んでいくというのは、これはなかなか独特です。
そして、やはりお客さんが想像できて初めてワーッと笑うわけですから、本当に場の雰囲気が大事です。その意味では、お客さん任せと言えるかもしれません。集まっているお客さんの雰囲気によっては、前はおもしろかったのに、今回はぜんぜんおもしろない、ということもありますから。それも含めて、醍醐味やと思ってもらえたら嬉しいです(笑)。

番組概要

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BSよしもと『笑福亭仁鶴一周忌追善特別番組』
日時:8月22日(月)~26日(金) 21:00~22:00
語り:笑福亭仁智
<内容>
8月22日(月)【第一夜】
・落語:「質屋蔵」(第1回独演会より)
・笑福亭仁鶴インタビュー映像・①舞台終わって倒れたのは初めて②NGKについて③落語家になる前は
8月23日(火)【第二夜】
・落語:「池田の猪買い」(第3回独演会より)、「次の御用日」(第4回独演会より)
8月24日(水)【第三夜】
・落語:「崇徳院」(第5回独演会より)、「人形買い」(第7回独演会より)
8月25日(木)【第四夜】
・落語:「宿屋仇」(第6回独演会より)、「向う付け」(第4回独演会より)
8月26日(金)【第五夜】
・落語:「不動坊」(第2回独演会より)
・笑福亭仁鶴インタビュー映像1・①「不動坊」について②桂春団治について③桂米朝について
・上方演芸の殿堂入り授与式映像
・笑福亭仁鶴インタビュー映像2・①独演会について②奥様からの電話
※リピート放送8月29日(月)~9月2日(金)05:30~06:30
※内容は都合により変更になることがあります。

BSよしもと『笑福亭仁鶴一周忌追善落語会』
日時:8月27日(土) 12:00~14:30
<内容>
8月17日(水)になんばグランド花月で行われた「笑福亭仁鶴一周忌追善落語会」の模様を放送。

番組の公式ページはこちらから。

【BSよしもとの視聴方法について】
BSよしもとはBS 265chです。全番組無料放送でテレビはもちろん、スマートフォン、パソコンでもご視聴いただけます。

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