未確認生物確認
子供のころから、ネッシーやビッグフットのような未確認生物に興味があった。真偽不明の写真や記事を目にするたびに、もしかしたら地球上にはこんな怪物のような生きものが本当にいるのかもしれないとわくわくした。
40年ほど前、テレビで『水曜スペシャル 川口浩探検シリーズ』という番組が放送されていた。世界各地の秘境を探検し、未知の生物を探すという内容だった。
画面には、鮮血を想起させるような真っ赤な文字で「恐怖の人食い〇〇」「謎の巨大〇〇」などと、おどろおどろしい言葉がでかでかと映し出されていた。幼心に、前人未到の密林を突き進んで行くカメラの映像に興奮を覚えた。
ゲゲゲの鬼太郎が好きで、妖怪にも魅了されていた。目に見えないだけで、きっといる。そんな不思議な存在にも心引かれていた。
シモキタに巨大トカゲがいるという話を聞いたのは、シモキタに越して来て間もないときだった。Puttinというバーのカウンターでひとりで飲んでいたら、となりに座っていた見知らぬおじさんに話しかけられた。
最初はただの雑談だった。そのおじさんはシモキタに住んで長いらしく、僕が最近引っ越して来たばかりだと言うと、うれしそうにシモキタの楽しみかたをいろいろと指南してくれた。
20歳になったばかりの大学生が、深夜にひとりで鈴なり横丁のバーに飲みに来ているのが珍しかったからだろうか。それとも、僕が「さすがですね」「知らなかったです」「すごいですね」と、あざとい女子が合コンで使うような相槌を無意識に打ってしまっていたせいか。そのおじさんはどんどんと上機嫌になり、話が止まる気配もなくしゃべり続けた。
「じゃ、シモキタに巨大トカゲがいるのは知ってるか?」
それは突然だった。僕は
「知らないです」
と即答した。
ジャングルやアマゾン川のほとりでその話を聞いたのなら、信じただろう。でも、ここは東京だ。ジャングルはジャングルでも、コンクリートジャングルだ。
しかも、ここは古着と音楽と演劇の街、シモキタだ。川なんて、緑道沿いのかわいらしい人工川しかない。
ジャズ喫茶マサコに、猿がいるのは知っている。シモキタの街を首輪を付けて散歩する姿を何度も見たことがある。
でも、巨大トカゲが首輪を付けられて散歩している姿は見たことがない。もし本当だったら、おそらく猿の比にならないくらい話題になっているだろう。
小さなトカゲじゃなしに、巨大トカゲだと言う。そんなのがいたとすれば、飼い主からしたらかわいいかもしれないが、他人からしたらめちゃくちゃ怖い。
もし道を歩いていて、前から巨大トカゲが歩いてきたら……。想像するだけで身の毛がよだつ。いくら首輪をしていたとしても、僕なら道の一番端まで寄って、飼い主と巨大トカゲが通りすぎるまで、じっと石のように固まってしまう。
おじさんには申し訳ないが、さすがにこの話には乗れない。与太話がすぎる。
それなら、天狗の話をしてほしかった。「シモキタに天狗がいるのは知ってるか?」だったら、「知ってます」と僕もノリノリで応えられたのに。いくら未確認生物好きとしても、シモキタの巨大トカゲはいただけない。
「いやいや、巨大トカゲは嘘でしょお」
酒をひとくち飲み、グラスをテーブルに置く勢いで笑いながら返した。すると、おじさんは
「よし。じゃ、いまから見に行くか?」
と、真面目な顔で答えた。
「いやいやいやいや。どこにいるんですか?」
おじさんは僕の質問には答えず、話を続けた。どうやら、実際に見たというのだ。
頭の大きさだけで1メートルはあるらしい。目は白目のない琥珀色で、グレイと呼ばれる宇宙人の目のように楕円形をしているという。
皮膚は見るからにごつごつしていて鋼のようで、四本の足は筋肉隆々。獰猛な爪。尾の長さは10メートル以上。
全長20メートルにもおよぶ、超巨大トカゲ。だ、そうだ。
僕は、それはもうトカゲではなく、恐竜だろと思った。恐竜じゃないなら、ウルトラマンやゴジラに出てくる怪獣だ。
おじさんを調子に乗せてしまった自分にも責任があるなと少し反省し、今夜はもう帰ることにした。その夜、超巨大トカゲの首につかまってシモキタの商店街を走りまわる夢を見た。夢の中で、『ネバーエンディング・ストーリー』のファルコンに乗っているみたいだなと思っていた。
それから数年が経った。僕は芸人になり、Kaeluというバーでバイトするようになった。
Kaeluのオーナーのプッチンに、シモキタのいろんなバーを紹介してもらい、行きつけの店も何軒かできた。「なまず」は、そんな店の一つだった。
駅前のヤミイチの一番端にある小さな小さな立ち飲み屋。カウンターだけで、壁もない粗末なつくりの店だった。それなのに、なまずはすごくおしゃれでかわいらしかった。
カウンターの前には色鮮やかなモザイクガラスのトルコランプが吊られていて、見とれるほどきれいだった。カウンターの上に置かれた小物やグラスも、一つひとつが個性的で「これどこで買ったの?」と訊きたくなるようなこだわりのしろものばかりだった。
店主の名はヤッチン。なまずみたいな口ひげをたくわえた、やせた男性だった。小ぶりなストローハットをかぶり、古着のTシャツにオーバーオールを合わせるのが彼のお決まりのスタイル。やさしく気のいい人で、彼のニッと笑う顔には万人をいやす力が宿っているように思えた。
ちなみに、なまずも同じヤミイチにある「三好野」が「みっちゃん」としか呼ばれていなかったように、誰もその店をなまずとは呼んでいなかった。看板もなかったし、店名を知らない人がほとんどだった。なので、みな単に「立ち飲み」と呼んでいた。
ヤッチンは、ひとりでふらっと飲みに行っても、絶対にそこにいる誰かしらを紹介してくれた。行くたびに知り合いも増え、毎回飲みに行くのが楽しみだった。
その日も、となりで飲んでいた女性を紹介してくれた。
「シカちゃん」
ヤッチンが僕に声をかけると、シカちゃんは軽くグラスを上げて会釈した。彼女はここの常連らしく、シモキタのレストランバーで働いていると言う。
「マザーズ ルーインってわかる?」
聞いたことのない店名だった。
「マザーの姉妹店」
ヤッチンが続ける。マザーは前に何度か行ったことがあった。王将の近くにあるバーだ。
「マザーはわかります。でも、ルーインはわかんないです」
「そうなんだ。めっちゃでっかいトカゲがいる店。知らない?」
「え!?」
思わず声が出た。
「めっちゃでっかいトカゲが店にいるんすか!?」
数年前の記憶が鮮明によみがえる。
「そうだよ。天井にベーって、へばり付いてるよ」
「ええええ!」
あの話は本当だったんだ。よほど驚いた表情をしていたんだろう。シカちゃんが、
「目、落ちそうになってるよ」
と笑う。
「めっちゃでっかいトカゲがいるって、マジっすか?」
「ホントだよ」
「えええええ!」
「だから目、落ちるって」
数日後、マザーズ ルーインを訪れた。なぜ、いままでこの店の存在に気づかなったのだろう。店は、毎日のように前を通るビルの地下にあった。
まさか、この店には妖術がかけられていて、何かのきっかけで妖怪感度が上がった者だけが見つけられるようになっているのではないだろうか。それとも、ロールプレイングゲームのように、ある人物に話しかけて情報を得たことで初めて出現する店なのか。
おそるおそる階段をおりて、地下にくだる。すると、いかにもといった怪しい雰囲気満点の木の扉が現れた。ドアノブの位置には、細長い舌をしゃーっと伸ばしたヘビのようなトカゲのような不気味なブロンズ彫刻が取り付けられている。あれが取っ手ということなんだろうか。
扉には、ガラス細工も施されていた。しかし、ガラスは不透明で、中の様子はうかがい知れない。
ビルの蛍光灯があかあかとついているから、まだ普通にしていられる。でも、もしこれが薄暗い照明だったら……。たぶん僕は怖くなって、ここで引き返していただろう。
開けるしかない。だって未確認生物のすみかは、この扉の向こうなんだから。
すべて、あのおじさんが言っていたとおりだった。信じられない大きさに、ただただ圧倒される。実物を目のあたりにすると、声を失った。
「イシトモちゃん」
念願の未確認生物は、たったいまめでたく確認済み生物となった。これを川口浩探検シリーズふうにタイトルをつけるとしたら、「幻の超巨大トカゲ! 魔境シモキタの地下深くに実在した!!」だろうか。いや、「死闘! 暗黒のヤミイチ奥地のナマズ怪人を追え!!」だろうか。
「イシトモちゃん」
そう、「妖怪イシトモちゃん」。これがいい。いや、これじゃゲゲゲの鬼太郎のタイトルか。
「イシトモちゃん」
「え? イシトモちゃん?」
「そう、イシトモちゃん」
トカゲ神ルーインに見とれていたら、シカちゃんはずっとヤミイチ奥地のナマズ怪人ヤッチンのように、同僚の女性を僕に紹介しようとしてくれていた。
ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。
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