ピストジャムが綴る「世界で2番目にクールな街」の魅力
「シモキタブラボー!」深海の景色

シモキタブラボー!

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

深海の景色

2013年、春。

「おお、ノカンシ」

「ごぶさたしてます」

「お笑いは? まだやってんの?」

「やってます」

「コンビ?」

「いや、去年解散して、いまはピンでやってます」

「ひとりはたいへんだろ」

「まあ」

「何飲む?」

「じゃ、ビールで」

数年ぶりにみっちゃんに来た。シモキタは街のいたるところで工事が進み、日々景観が変わっている。先日、駅の地下化も完了した。駅前のヤミイチにあった飲み屋も、次々に退去している。

それなのに、ここは変わらない。魔法をかけられたように時間が止まっている。

「最近どこで飲んでんの?」

「どこも行ってないです。お金なくて」

半分だけ嘘をついた。お金がないのは本当だが、飲みには行っていた。スワンプファミリーモンスターとか、フリーファクトリーとか、シティカントリーシティとか、ドラムソングとか、808ラウンジとか。自分で見つけた店。誰に紹介されたわけでもない、なんのしがらみもない憩いの場。

「みっちゃん、シマッチわかります?」

「シマッチ?」

「スズナリの近くにあった『るちゃ』っていうちっちゃいちっちゃいバー、知らないですか?」

「ああ、なんかあったね」

「もうなくなって7年くらい経つんかな。あの店好きだったんですよね。カレーもおいしかったし。シマッチとは一緒に掃除のバイトもしたことあるんすよ。楽しかったなあ。マサイさんは元気ですか?」

「この前、来たよ」

「そうなんですね。元気ならよかった」

「いや、調子悪そうだったよ」

「うわ、心配やなあ。るちゃもデルタも立て続けに閉店したからなあ。しかも、いまヤッチンのとこに顔出そうと思って寄ったら、立ち飲みもなくなったんですね」

カウンターの右端に座っている、名前はわからないが顔は見たことのある常連のおじさんがこちらを向いた。

「ヤッチン、結婚したよ!」

常連のおじさんの唐突な参戦。この店の醍醐味だ。ジェフ・ベック好きのおじさんが語っていたら、途中からエリック・クラプトン好きのおじさんが参戦し、ジミー・ペイジ好きのおじさんも語り出し、最終的にみんなでビートルズの話をする。これが、この店のスタイルだ。

そして、ここの常連たちは本当にシモキタのことに詳しい。あそこの地主は誰々で、その息子はどこそこに勤めているとか、昔はあそこにピンク映画の映画館があってとか、最近あそこの店は代替わりして味が変わったとか、あの店とあの店はそれぞれ兄弟がやっていて仲が悪いとか、フジコ・ヘミングの家はあそこだよとか、あの店にはP-FUNKの創始者ジョージ・クリントンが来たとか、あそこのバイトの女の子はシフト火曜休みだとか、なんでも知っている。シモキタの情報は、ここに来ればだいたい仕入れられる。

「いつですか?」 

「立ち飲み閉める前だから、2年くらい前かな。スズナリの裏の教会で結婚式してたよ」

「あのカトリック教会で? 渋い」

「アキちゃんわかる?」

「顔見たらわかると思うんですけど」

「ネバーの子だよ」

「ネバーは女の人ばっかりやからな。昔、ネバーとPuttinとKaeluとナインマイルと立ち飲みとかで、合同で花見してたじゃないですか。そのときに来てたら会ってるはずなんですけど」

「いたんじゃないかな」

「らぶきょうのクミさんとか、マカのマミヨさんとか、ピストルピノコのアヤさんの顔はすぐ出てくるんですけど……。ネバーもずいぶん行ってないからなあ」

1999年、秋。

初めてのネバー。シモキタの師匠プッチンが連れて行ってくれた。

一番街商店街の入り口すぐのところ。いまは「今成」という居酒屋がある場所。そこに古い木造のアパートが建っていた。

ぎしぎしきしむ急な階段をあがると、青い木の扉。白いペンキで、Never Never Landと手書きで書かれていた。

店内には絵やポスターやチラシが数多く貼られていて、いたるところに南国情緒ただよう木彫りの雑貨が飾られていた。テーブルや椅子も木製で、店全体が木のぬくもりに包まれたあたたかい空間だった。

店主の男性に尋ねると、創業は1978年と言う。僕と同い年だ。

看板猫もいた。僕には全然なつかなかったが、壁に立てかけられたギターの隙間やテーブルの下を、するすると器用に歩く姿を見ているだけでいやされた。

深夜でも、ラフテーなどの沖縄料理やカレーが食べられるのもありがたかった。通い始めてしばらくすると、店主の妻の京子さんが店を切り盛りするようになった。たしか沖縄出身だったような。

雑然とした雰囲気なのに、不思議と居心地がよく落ち着いた。シモキタという街のイメージを体現したような、かわいくもあやしいバーだった。

2005年、春。

ネバーは、いまの場所に移転した。2年くらいはちょくちょく飲みに行っていた。知り合いからネバーで飲んでいると連絡が来て行ったり、音楽ライブを開催すると言うので見に行ったりした。

移転先は前の店のすぐ近くだった。茶沢通り沿いの「ノア」という音楽スタジオの向かいのビルの2階。

階段をあがると、以前と同じように青くペンキで塗られた扉が現れて安心したのを覚えている。前の店よりも倍くらい広くなり、前はなかったDJブースもつくられていた。

2022年、夏。

15年ぶりにネバーを訪れた。やっぱりこの店いいなあ。好きだ。カウンターの一番左端に座り、ひとりしみじみ感じ入る。

先客は、同じくカウンターに座る常連の中年男性二人。二人とも昔から知った顔の人だった。

再訪のきっかけは、先日テフラウンジの映画館K2で、シモキタの再開発反対運動を記録した『下北沢で生きる それから』というドキュメンタリー映画を観たからだ。作品を観て初めて知ったのだが、その反対運動を指揮していたのは現在のネバーのオーナー下平憲治さんだった。

鑑賞後、ネバーに行きたいという衝動に駆られた。しかし、当日は予定があったので行けなかった。

なんでこんなにも間が空いてしまったんだろう。注文したハートランドとサバカレーを待ちながら回想にふける。

思い返せば、プッチンがシモキタを出て行ったことがきっかけだった。彼は、離婚をきっかけにシモキタから姿を消した。

「ノカンシ、息子を頼むぞ」

そう言い残して、突然どこかへ行ってしまった。

「ノカンシ」。これは僕の本名だ。フルネームが「野 寛志(ノ カンシ)」という。

彼が僕のことを、「ノカンシ」とフルネームで呼ぶのは納得ができた。「野(ノ)」と苗字で呼び捨てにするのは、あまりにも締まりが悪い。下の名前で「寛志(カンシ)」と呼んでもいいけれど、「ノカンシ」と口にしてみたら、意外とリズムが気持ちよくてクセになったんだろう。

この呼び名は、あっと言う間に浸透した。鈴なり横丁やヤミイチの飲み屋では、プッチンがそう呼ぶので、みな「ヤマモト」とか「タカハシ」という感じで、僕のことを「ノカンシ」と呼んだ。

でも、これが僕のフルネームだと知っている人はほとんどいなかった。こんな世にも奇妙な呼び名を、よくすんなり受け入れて使うことができるな、と逆にシモキタ民の懐の深さに驚かされた。

プッチンがシモキタからいなくなると、飲みに行く先々で

「ノカンシ、プッチンどこ行ったの?」

とか

「ノカンシ、プッチンいまどうしてるの?」

と訊かれまくった。

そのとき、僕は彼が経営していたKaeluというバーでバイトしていた。いろいろ尋ねられるのは仕方がない。

プッチンがシモキタからいなくなるなんて、誰も思っていなかった。彼はシモキタのたいがいの飲み屋で顔が利いたし、その界隈では有名人だった。

鈴なり横丁の裏にある金子ボクシングジムからライトフライ級の日本チャンピオンになり、引退後は鈴なり横丁でPuttinという自分の名を冠したバーを始めた。僕は最初、Puttinのただの客だった。彼をしたって大学生のぶんざいで頻繁に通っていたら、いつしか個人的に飲みに誘ってもらえるようになった。

ディープなシモキタは、すべて彼から教わった。彼は僕の手を取り、ジャック・マイヨールのように深く深く光の届かないシモキタの最深部へと潜って行った。

深夜のフリーダイビング。飛び込むと、そこには未知の世界が広がっていた。

買いものしたり、食事したり、ライブや演劇を観たりするだけじゃないシモキタの楽しみかた。こんな世界があったんだと感動したのと同時に、これで自分も〈シモキタの民〉になる通過儀礼をはたせたと興奮した。

外から見ているだけではけっしてわからないシモキタの夜の顔。僕は、そのやさしいミステリアスな笑顔の虜になった。

深海の景色は、暗さを帯びていたが美しかった。深く潜れば潜るほど、安心感に包まれた。すぐ下はマグマなんだろうか。あたたかい海水が噴き出し、心地よかった。

プッチンが去ってからも、彼の話題は定期的にあがった。弟子の僕からすると、師匠の話がよくも悪くも語られていることは誇らしかった。

しかし、そんな状況が半年くらい続くと、だんだん嫌気がさしてきた。自分でも意外だった。

誰も悪気なんてないのはよくわかっている。でも、どこに行っても同じような話になるので辟易した。

プッチンの金魚のふんが、ただの金魚のふんになった。自分のことをそう思うようにもなった。

彼のことも、僕のことも、誰も知らないところに行きたい。こんな気持ちになったのは初めてだった。

Kaeluは、プッチンから元妻にオーナーが替わった。彼との関係があったからPuttinやKaeluで働き出したのに、彼がいなくなってしまい、自分の居場所も一緒になくったように感じた。

しばらく働いたが、些細なことがきっかけで僕はKaeluをやめた。オーナーにやめる旨を伝えているとき、頭の中ではぐるぐると彼の最後の言葉が駆け巡っていた。

「シモキタはテーマパークなんだよ」

カウンターの右端で飲むドビィさんが、ぶっきらぼうに言った。さっき少し話したが、僕のことは覚えていないみたいだった。そりゃそうだ。15年ぶりなんだから。

ドビィさんはKaeluにもよく飲みに来てくれていた。憂歌団の木村さんみたいな風貌で、いつもハンチング帽をかぶっている。たしか、ミュージシャンだった。ギターを弾いたり、ジャンベを叩いていた姿を覚えている。

それにしても、全然見た目が変わっていない。怖くなるほど変わっていない。シモキタには、時間を止める魔法をかける魔女が絶対にいる。そうでないと、おかしい。

そう思いながら、彼のとなりで飲んでいるツカサさんに目をやる。ツカサさんも、昔とまったく同じだった。

狐につままれた気分だ。僕は、気づかないうちに過去にタイムスリップしてしまったんだろうか。それくらい、この店もこの二人も変わっていなかった。

ツカサさんは、僕がシモキタで遊び始めた23年前からいろんな飲み屋で見かけてきた。少し長めの髪で、ジョン・レノンのようなめがねをかけている。THE ALFEEの坂崎さんみたいな雰囲気のおだやかな人。ツカサさんも楽器ができて、魔人屋で毎週土曜におこなわれるポコさんのライブではギターを担当している。何年か前の花見の季節には、北沢川緑道の橋に腰かけて、ひとりで酒を飲みながら、桜の木の下で三線を弾いている姿を見たこともあった。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

「シモキタはテーマパークって、わかる?」

ドビィさんが続ける。

誰に向かって言ったんだろう。ツカサさんは何ごともなかったように、正面を向いたまま静かに飲んでいる。カウンターに立つ女性店員は、洗いものをしているのだろうか。下を向いて何か作業をしていて、聞いていない様子だった。

僕はサバカレーを食べる手を止め、ドビィさんのほうを向き

「本当、そうですよね」

と相槌を打った。

気を遣ったわけではない。「シモキタはテーマパーク」という言葉に、素直に共感したからだ。

シモキタにずいぶん長く住んだけれど、飽きたと思ったことは一度もない。いまだに、おもしろい街だなと心底思う。

テーマパーク「シモキタランド」へ、ようこそ。当テーマパークは、昼から夜を越えて明け方まで楽しめる稀有なテーマパークとなっております。

シモキタランドの名物エリアはご存知でしょうか? 〈古着エリア〉〈音楽エリア〉〈演劇エリア〉〈カレーエリア〉この四つのエリアはたいへんな人気を誇っております。

しかし、シモキタランドはそれだけではございません。まだまだ魅力的なエリアを豊富に取りそろえております。

それでは、ここでいくつかご紹介しましょう。

〈カフェエリア〉豆や淹れかたにこだわった昔ながらの喫茶店から、レコードがびっしり並んだジャズ喫茶、水たばこを吸いながら楽しむシーシャカフェ、愛犬と同伴できるドッグカフェ、猫カフェ、最近は犬カフェまでできました。インスタ映え間違いなしの個性的なカフェ巡りをご堪能ください。

〈お笑いエリア〉週末になると、ピーコックの前で芸人が呼び込みする姿をご覧になったかたはいらっしゃるんじゃないでしょうか。会場は、ピーコック4階奥にあります「下北スラッシュ」というお笑い専門のライブハウスでございます。無料で見られるお笑いライブはそうそうございません。このライブには、いまテレビで活躍する芸人も多数出演しておりました。

シモキタは音楽のライブハウスだけではございません。お笑いライブを中心に運営するライブハウスが、下北スラッシュ以外にも「シアターミネルヴァ」「しもきたドーン」「サンガイノリバティ」など複数ございます。

古くはバナナマンのお二人もシモキタに住んでいらっしゃいました。有吉さんもシモキタのステーキ屋でバイトしてらっしゃいました。芸人にゆかりのあるシモキタランドで、お笑いライブを満喫してみませんか。

〈バーエリア〉とにかく、異常に数が多いです。かつてプッチンというバー経営者は、このような言葉を残しました。

「こんな小さな街に、これだけの数のバーが密集してるのは世界でも珍しい。シモキタは、世界一バーが多い街だ」

正直、そのデータの出どころや信憑性は気になるところですが、シモキタランドのバーの多さは尋常ではございません。みなさまのお気に入りのバーが、きっと見つかるはずです。もし見つからなかった場合は全額返金いたします。

最後に、シモキタランドはユーモアあふれる数々のエリア以外にも、ある楽しみかたがございます。それは、ディズニーランドで隠れミッキーを探すように、一般人にまぎれた芸能人や有名人を見つけることです。

ちなみに、私がいままでシモキタランド周辺で見かけた有名人は、浅野忠信さん、鮎川誠さん、アレクサンダー大塚さん、荒川良々さん、荒木経惟さん、井上雄彦さん、内田裕也さん、柄本明さん、柄本時生さん、大倉考二さん、大宮イチさん、大森南朋さん、小栗旬さん、片桐はいりさん、HEY-SMITHかなすさん、金子ノブアキさん、金子マリさん、Kis-My-Ft2北山宏光さん、木村カエラさん、桐谷健太さん、小池栄子さん、V6坂本昌幸さん、佐藤タイジさん、シーナさん、曽我部恵一さん、竹中直人さん、立川志の輔さん、チバユウスケさん、蝶野正洋さん、角替和枝さん、中島みゆきさん、中村達也さん、なべおさみさん、南部虎弾さん、森山未來さん、吹越満さん、船越英一郎さん、降谷建志さん、古田新太さん、峯田和伸さん、吉田鋼太郎さん、吉本ばななさん、ロボ宙さん、AFRAさん、Charaさん、ILL-BOSSTINOさん、KenKenさん、Ryo the Skywalkerさん、R指定さんなど、枚挙にいとまがございません。みなさまも、もしかしたら好きな芸能人や有名人に会えるかもしれませんよ。

僕が相槌を打つと、ドビィさんは僕の顔をじっと見た。そして、

「名前なんだっけ?」

とこぼした。すると、ツカサさんが正面を向いたまま静かに

「ノカンシ」

と口にした。

ドビィさんは、ほおを紅潮させ

「おお! ノカンシ!」

と大きな声をあげ、

「お笑いは? まだやってんの?」

と続けた。

僕は、どこかでした記憶のある会話だなと思いながら

「まだやってます」

と答えた。続けて

「Kaeluでバイトしてたころは、お二人にもよく来ていただいて感謝してます」

と一礼すると、ドビィさんは

「プッチンの息子、結婚したよ!」

とうれしそうに言った。


出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。

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