インドネシアの超有名人・加藤ひろあき“デビュー映画”が現地で大ヒット! 「主人公の首をぶった切る役柄で…」

2014年からインドネシアに移住して歌手、司会、通訳などマルチに活動している日本人アーティスト・加藤ひろあきが、インドネシアのホラー映画『IVANNA(イファーナ)』に役者として映画初出演、現地で大ヒットしています。さらに8月に宮城・気仙沼で開かれた『気仙沼YEGインドネシアフェスティバル』にも参加し、日本とインドネシアをつなぐ応援ソング『Satu Hati -心ひとつに-』を披露するなど、両国の架け橋としてもますます活動の幅を広げています。今回は、ご本人に映画出演やフェス参加について、さらにはインドネシアへの思いや今後の活動についてもたっぷりと語ってもらいました!

出典: FANY マガジン
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映画は、インドネシアで大人気の幽霊ホラー映画シリーズ『DANUR(ダヌール)』(インドネシア映画興行収入第3位)のスピンオフ作品で、7月14日の公開からわずか2週間で200万人を動員する大ヒットとなっています。今回は、8月7日(日)に開催された『気仙沼YEGインドネシアフェスティバル』のために帰国した加藤に直撃インタビューしました。

インドネシア人は「お化けの話」が大好き!?

――映画イファーナ』が大ヒット中ですが、インドネシアではホラー映画が人気なか?

インドネシアの人たちって、お化けの話とか不思議な体験を人にシェアするのがすごく好きなんですよ。インドネシアは、いまは90%の国民がイスラム教を信仰していて“イスラムの国”という印象が強いんですけど、もともとはそれぞれの島に土着の信仰があって、そこからお化けの話や不思議な話が生まれているようなところがあるというか。ヘンな話、お化けの種類も豊富ですし(笑)、そういう土台があるのかなと。
あと僕、いままでなんでみんなが映画館に行って観るのかよくわからなかったんですけど、今回、PR活動で各地を回って初めてわかったのが、「みんな、会場で一緒に叫びたいんだな~」ってこと。試写会で観ていると、みんな、しゃべりながら映画を観るんですよね。で、幽霊が主人公の後ろに立った瞬間に「後ろ、後ろ!」って叫んだり。

――ドリフみたいに(笑)。

そうそう(笑)。「志村、後ろ!」じゃないですけど、ビックリするシーンで「ギャーッ!」って会場中が騒ぐみたいなことが、みんな好きなんですよね。だからきっと、ジェットコースターと同じような楽しみ方というか。みんなで怖いのを共有して、みんなで盛り上がるというのを映画館でやりたいんだな、ということがわかりました。

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――初の映画出演ということですが、インドネシア映画の撮影現場はどうでしたか? 

インドネシアは監督によってかなりやり方が違うらしいんですけど、なによりも特別だったのは、やっぱりコロナ禍の撮影だったということですね。ジャカルタから車で3時間ほどのチレボンという町で撮影したんですけど、キャストは基本的に、ホテルに入ったら部屋から出ちゃいけなかったんですよ。

――感染リスクを最小限にとどめるために。

そうです。だから、ホテルに入ってからはもうずっと部屋に1人で、食べ物も部屋の前に置かれるものを食べて……本当に隔離生活ですよね。1人でも陽性者が出ると撮影がストップするじゃないですか。撮影のために家を1軒まるごと借りていて、その期間がそれ以上、延長できなかったんで、 絶対に出しちゃいけないという状況でやっていて。
数日に1回は全員がPCR検査を受けて、毎日、現場に入る前に抗原検査をやって、やりすぎて鼻がもげるかと思ったくらい(笑)。撮影現場以外でほかのキャストやスタッフにまったく会わないという状況は、コロナじゃなかったらありえなかったと思います。

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でもそのぶん、撮影が始まるまでの3カ月間はたくさんのワークショップがありました。演技のワークショップ、スタントのワークショップ、役作りのワークショップと分かれていて、みんなで何度もやって。僕は初めてだったんですけど、かなり丁寧に段階を踏んでくれたんで、いろいろ学びながらできました。ただ、これはインドネシアならではというより、監督のやり方だったと思います。

台本を読んで初めて緊張

――日本兵・マツヤ役とのことですが、監督からはどんなふうに演じてほしいと言われましたか? 

「この物語自体がフィクションなので、史実に忠実に日本兵を演じなくてもいいし、話し方も現代に寄せて、いまの日本の人が聞いてもちゃんとわかるように話してほしい」と言われました。ただ、振る舞いなんかはやっぱり過去の映像や、過去のインドネシア映画の史実モノの日本兵の動きを参考にしてくれとは言われましたけど。
あと、観ている人が「この人、悪役だけどカッコいい」と思ってもらえるような役柄というか、そういうふうにやってくれてかまわないから、ということも言ってもらって。だから「日本兵役だからこうしなきゃ」というのはあまりなく、気負いすぎずに、 ちゃんとエンタメとしてカッコいいものを、というのは意識しました。
お話自体は1994年が舞台なんですけど、回想シーンがあって、それが1943年の話なんですね。で、その回想シーンに僕が出てくるんですけど、そのシーンがかなり重要なシーンで。主人公のイファーナさんの首を僕がぶった切ってしまうんです(笑)。

――えっ!?(笑)

イファーナが亡くなったことで幽霊になってしまう話なんですけど、幽霊の元凶を作ったのが僕なんです。そういう重要な役だったんで、よくソーシャルメディアで「あいつのせいで」って書かれてました(笑)。

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――でも、ある意味おいしい役ですね。

そうなんですよ。この役はオーディションで決まったんですけど、監督が言うには最後までマツヤ役が決まらなくて、オーディションをしたら僕が来たっていう感じだったみたいです。そのときは、こんな重要な場面を任せられるなんて思っていなかったから、台本をもらって読んだときに「これ、マツヤの物語だわ……!」と、そこで初めて緊張しました(笑)。

――役作りや演技で難しかったところはありましたか?

僕は日本人ですけど、戦時なんて体験したことないんで、そこは難しかったですね。あとは技術的な問題なんですけど、僕、日本でミュージカルや舞台はやっていたんですけど、映像作品はそんなにやったことがなくて。だから、 カットによって撮る順番が変わったりするのが難しかったですね。舞台って始まったら終わりまでずっと流れていくんで、起きたことに順じて自分の気持ちを作っていけばいいんですけど、映画はそうはいかなくて。だって僕、それこそ首を切る斬殺のシーンから撮ったんですよ。

――え、そんないちばん大事なシーンから!?

セットの関係もあったと思うんですけど、後々監督に話を聞いたら、そこが僕のシーンのクライマックスで、映画としてもかなり重要なシーンなんで、そこをまず全力でやってもらうということを意識してたみたいで。心も体もフレッシュなうちに思い切って演じてもらったら、あとは引き算で演じられる、という狙いがあったそうなんです。

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――じゃあ、あえてそういう順番で撮影したんですね。

僕が初めて(の映画出演)ということもあって、まずはフルで出してもらったほうがいいと思ってくれたんでしょうね。でも、最初は難しかったです。いきなり斬殺のシーンを演じなきゃいけないし、かと思えば、その2日後にイファーナがまだ生きているシーンを撮るから、「2日前に首切った子と話してる……」みたいな気持ちになっちゃって(笑)。だから、やっぱり役者ってすごいなって思いました。

――映画に出演したあとの反響はどうですか?

ソーシャルメディアでは僕をタグ付けしてくれて、公開してから2週間ぐらいは1日100件ぐらい「観ました!」「行ってきました!」みたいな反響がありましたね。あと、ツイッターでメンションしてもらって、「マツヤさんよかった」「1発でファンになりました」とか、そういうメッセージもいただきました。
リアルの世界だと、僕、インドネシアから(日本に)帰ってくるとき、この(『イファーナ』の)Tシャツを着ていたんですけど、空港のチェックインカウンターとかイミグレーションとか行く先々で「『イファーナ』観たよ!」って声をかけられて。やっぱり本当に観てる人が多いんだな、というのを実感しました。

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10年越しの約束が叶った気仙沼フェス

――昨年から始まった気仙沼YEGインドネシアフェスティバル』は、昨年はオンライン、今年はようやく現地開催となりました。どんな経緯で出演することになったんですか?

このフェスは、気仙沼の商工会議所青年部が立ち上げたイベントなんですけど、 気仙沼はインドネシアからの技能実習生が多いところで、200人以上のインドネシア人がいるんです。もともと「気仙沼みなとまつり」というお祭りのなかで、「インドネシアパレード」をずっとやっているくらいインドネシアとの関わりが強い地域なんですよね。
東日本震災のとき、当時のユドヨノ大統領が気仙沼を訪問して、多大な災害復興支援をしたことからさらに結びつきが深くなっていたんですけど、そんな気仙沼市がインドネシアのためにもっと何かできないかと始まったのが「気仙沼YEGインドネシアフェスティバル」なんです。
僕は僕で、もともと2011年から震災ボランティアで東北を回って歌を歌ったりしていたんですけど、インドネシアに移住する前に気仙沼でインドネシア人の子たちと交流する機会があって。そのときは話しただけで、「いつか歌いに来るから」と約束したまま移住しちゃったんです。そんななかで声をかけていただいたので、「ぜひ参加させてください!」と。10年近く経っちゃったけど、やっと約束を果たせるという思いもありました。

――実際、現地で参加てみてどうでしたか?

やっぱり嬉しかったですね。インドネシア人の子たちもたくさん見に来てくれたし、気仙沼の人たちもしっかりと歌を聞いてくれたし。なにより、“インドネシア人と日本人が一緒に楽しめるステージ”を気仙沼で実現できたことがいちばん嬉しかったです。

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インドネシア人は気仙沼に多く在住しているんですけど、なかなか地元の人と交流する機会がないんですよね。気仙沼の人たちも話してみたいんだけど言葉がわからないし、いきなり話しかけるのもなんだし……みたいな状況のなかで、話しかけるきっかけを作りたいというのがフェスのテーマでもあるんです。

僕はインドネシアポップスを日本語で歌ったり、日本語のポップスをインドネシア語で歌ったりしていて、そういう歌をきっかけに観客同士で話したり、一緒に歌ったりする空間を作れるのが僕の役割であり、強みだと思うので、それを実際にステージから見ることができてすごく嬉しかったですね。

「応援ソング」に込めた思い

――今回、日本とインドネシアをつなぐ応援ソングも作ったそうですね。

いい曲できたんですよ〜!って、自分で言うのもなんですけど(笑)。インドネシアの人と日本の人がどっちも楽しめて、口ずさめて、共有できるような曲がぜったい必要だと思って作ったんですけど、作るにあたって実際にいま気仙沼で働いているインドネシア人と、インドネシア人と一緒に働いている日本人の両方から話を聞いたんです。それをうまく曲に反映できたんじゃないかなと思っています。

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やっぱりキレイ事ばかりじゃないというか、異国の人と働くことはもちろん大変なことだし、言葉も文化も違うところで生活するって本当に大変なことなんですよね。

――いまコロナでさらに大変ですよね。

そうなんですよ。だから、ただキレイな歌というのはちょっと違うだろうなと思ったんで、もうちょっとドロ臭いというか、インドネシア人と日本人の両方が自分ごととして捉えられる曲というのは意識しました。
今回、フェスで3回歌わせていただいたんですけど、それぞれよくて。歌うごとに曲の深みが増すというか、3回とも感じ方が違ったんです。目の前に広がっている景色によって意味が変わってくるというのを曲の中で体感できたことは大きかったですね。インドネシア人と日本人が同じ場所に立って、曲を聴きながらみんなで手を叩いて歌ってくれている様子を見たら、ちょっとウルっときてしまうというか……感動しました。

――この曲を聴く人に注目してほしいところは?

僕自身がやっぱり異国に移住して生活しているんで、自分と背景が違う人たちと生きていくということに関してすごく敏感だし、実際に自分が体験していることを歌ってる曲でもあるんですよね。これからは、ますます日本でもそういう世の中になっていくだろうし、それを認めて受け入れたうえで、違いを乗り越えて、未来に向けて認め合いながら進んでいくというメッセージがこの曲には詰まっているので、そのメッセージは受け取ってもらえるんじゃないかなと思います。

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――今年3月からオンラインサロンもスタートしましたが、それに限らず今後やりたいと思っている活動はありますか?

オンラインサロンは、いまは主にセカンドアルバムの制作に向けてやっているんですけど、僕という存在やエンタメを通じて、インドネシアのことが好きな人たち同士の交流の場になればいいなという思いもあるんです。
今後は、(移住してから)いままでの約10年プラス20〜30代で僕が出会ってきたインドネシアのアーティストたちを誘って一緒に作品を作ってみたいです。加藤ひろあき&フレンズじゃないですけど(笑)。

――来年は日本とインドネシアの国交樹立65周年加藤さんもインドネシア移住10年目を迎えますが、改めてインドネシアへの思いを聞かせてください。

「もう10年かぁ……」って感じですね。振り返ると早かったなって。インドネシアではようやくコロナも落ち着いてきて、来年はすごくいいタイミングでイベントや交流が増えてくると思いますし、自分ができるエンタメ中心の交流をさらに活発化させていって、インドネシアと日本のハブになっていくというのが大きなテーマになると思っています。それが、僕ができる僕なりの日本とインドネシアの国際交流だと思うので。どんどん交流を深めていって、そこで存在感を発揮できるようになっていきたいなと思います。

出典: FANY マガジン
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『気仙沼YEGインドネシアフェスティバル』公式サイトはこちらから。