赤いめがねの外国人
僕には外国人の友人がひとりいる。名前は、ディッキー。
アランミクリの赤いめがねをかけた、同い年のイギリス人。オックスフォード大学卒業の秀才で、現在は台湾に在住している映画監督だ。
好きな映画監督は、ビリー・ワイルダー。好きなバンドは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ。好きな食べ物は、もういまはなくなってしまった定食屋「壺庵(こあん)」のステーキチャーハンだった。
出会いは、20年前。シモキタのコインランドリー。
洗濯ものを乾燥機にかけて、本を読んでいたら、金髪の白人男性が入ってきた。乾燥機の前に立ち、彼も乾燥が終わるのを待っている様子だった。
東京に来て6年くらい経つが、外国人とコインランドリーで二人きりになるのは初めてだった。少し緊張したが、これはいままで体験した何よりも、もっとも東京らしい光景なのではないだろうか、とひそかに感動した。
山と田んぼに囲まれた京都のいなかから出てきて、最初に渋谷や新宿、六本木に行ったときは興奮した。あのあこがれの大都会東京に、いま自分はいるんだ。そう思うと、全能感というか、無敵感というか、なんだか自分が特別な存在になった気がした。
いまは、それは若さゆえの浅はかな感情だったと笑える。十代のころに抱いていた東京のイメージは、テレビや雑誌で知った華やかなものだけで、実際の生活とはかけ離れていた。
芸人になってからは、慢性的な金欠で日々のアルバイトに追われた。部屋に風呂も洗濯機もない生活。華やかさとは無縁だった。
だが、暗く落ち込むことはなかった。シモキタでの暮らしは、つねに刺激や楽しみがあり、僕はこの街に救われて生きてきた。
浮かれていたわけではない。シモキタでは、地に足を付けて生活する中で、東京を感じられた。このコインランドリーの光景が、まさにそれだった。
彼は旅行者だろうか。それとも、シモキタで暮らし始めたが、来日して間もなくて、まだ洗濯機を買えていないだけだろうか。はたまた、洗濯機は持っているが、コインランドリーの雰囲気が好きで、たまに気まぐれでやって来ているだけだろうか。いろいろと想像をふくらませた。
彼の背中を見ながら、そんな考えを巡らせていると、突然信じられないことが起こった。天井に取り付けられていた蛍光灯が、床に落ちてきたのだ。
蛍光灯は粉々に割れ、あたりにガラス片が飛び散った。僕も彼も、あまりに急なできごとで声も出なかった。
視線を天井に移すと、天井の一部がはがれ落ちていた。天井裏からは蛍光灯の台座につながったコードがだらんとたれさがり、空中に蛍光灯の台座がぶらんぶらんと揺れていた。
一瞬、放心状態だった。コインランドリーに外国人と二人きりという状況だけでも特殊な体験だったのに、まさかこんなことが起こるなんて。
目の前の赤いめがねの外国人は、口を真一文字に結んで僕を見た。僕は我に返り、宙に浮いた蛍光灯の台座と床に散らばったガラス片を無言で指さした。そして、彼の顔を見つめ返し、
「モダン、アート」
とつぶやいた。すると彼は、にっと口角をあげて破顔した。
ディッキーとは、その後すぐに意気投合した。情けないことに僕はまったく英語が話せないので、彼との会話はすべて日本語だった。
彼は、知的でユーモアにあふれていた。よく冗談を言い合っていたのだが、母国語ではない言葉を遣っておもしろいことを言えるなんて、僕には考えられないことだった。僕なんて、そもそも日本語でおもしろいことを言うのにも苦労しているのに。
彼とは二人だけで会うことが多かったが、同期のオリオンリーグ剛くんを紹介すると、三人で遊ぶ機会が増えた。彼には、剛くんの表情がとにかくツボだったようで、ふとした瞬間に剛くんの顔を見ては、こらえきれないといった感じで手で口もとを抑え、声を押し殺し、肩を震わせて笑っていた。
僕と剛くんは、彼が撮る映画や映像作品に多数出演させてもらった。撮影場所は、ほとんどがシモキタ周辺だったので、いまでもその近くを通ると当時のことを思い出す。
〈穴の中のヒキガエル〉という意味の「トード・イン・ザ・ホール」というイギリスの郷土料理を食べるドキュメンタリー、現代に生きる侍をテーマにした『アーバンサムライ』という短編映画(この映画はすべてのセリフが吹き替えで、シモキタ駅前で漫画を読むパフォーマンスをしていた東方力丸さんが全セリフをひとりで担当している)、イギリスのミュージシャンDogtown Clashの『West London‘s Burning』のミュージックビデオ(これには東方力丸さんも出演している)など。
ちなみに前述した『West London‘s Burning』では、僕と剛くんは羽織に袴をはいて、腰に大小の刀をさし、映画『用心棒』の三船敏郎さんのような格好でシモキタの街を闊歩した。僕はディッキーから
「髪の長い剛くんと対照的にしたいから、坊主頭にできる?」
と言われて、坊主頭にもしたし、
「つまようじもくわえてみて」
と言われて、つまようじもくわえたし、
「ギャングみたいに、このバンダナで口もとを隠して、カメラをにらんで」
と言われて、羽織袴姿なのにバンダナを口に巻いて、うんこ座りでカメラもにらんだし、
「ダンサーがほしい」
と言われて、知り合いのダンサーに頼んで出演してもらったりもした。
ディッキーとのものづくりは楽しかった。完成した映像を観たときには、毎回なんとも言えない達成感があった。僕にとっては、知らない誰かとではなく、彼と一緒につくったということに意味があった。
あと、これは僕だけの出演なのだが、彼と出会ったコインランドリーから始まる『いのちまもる』という短編映画にも出た。撮影場所は、僕が当時住んでいた風呂なしアパートの部屋や、アパートを出てすぐの道路など、僕の部屋を中心にした半径100メートル以内ですべておこなわれた。
完成した映像は、まるでパラレルワールドを観ているようだった。あのコインランドリーや僕の部屋はいつも見ている風景と同じなのに、映像の中の僕は、僕ではない別の人物を演じていた。もしかしたら、世界の裏側にはこんな生活をしている自分がいるのかもしれないと、不思議な感覚におちいった。いまでも、あの感覚は忘れられない。
事実は小説より奇なりというが、あんな出会いから20年来のつき合いが生まれるなんて、人生とはおもしろいものだなとしみじみ思う。あの日、もし10分早くコインランドリーを出ていたら、彼と出会うことはなかった。
ディッキーはその後、シモキタで同棲していた台湾出身のペギーと結婚し、台湾に移住した。剛くんも、結婚して地元の沖縄に帰っていった。東方力丸さんも、もうシモキタで見かけることはなくなった。
気づけば、僕ひとりになっていた。しかし、彼らとすごしたシモキタでの日々は、いまでも記憶の中で燦然と光り輝いている。
ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。