東京ダイナマイト・ハチミツ二郎が波乱万丈な半生を振り返った自叙伝『マイ・ウェイ』(双葉社)。この本の中でたびたび登場するのが、旧知の仲であるサンドウィッチマン・伊達みきおです。「二郎会」の創設メンバーであり、二郎のことを「兄貴」と慕う間柄で知られる伊達は、この本をどう読んだのか――。ふだん面と向かってはなかなか言えない思いが溢れ出す“激アツ”対談となりました。
二郎は新著のなかで、心不全からの生還や、新型コロナ罹患による後遺症との壮絶な闘いの日々、そして挑戦し続けたM-1グランプリや、プロレスへの熱い思いなどを自らの言葉で綴っています。「重厚すぎる芸人自伝本」という謳い文句どおり、まさに「命をかけて舞台に立つ」という覚悟を感じさせる1冊です。
「二郎さんの記憶力がスゴい」
――本の中には、伊達さんの名前が幾度となく出てくるんですが。まずおふたりの関係性から教えてください。
伊達 (即答で)兄貴です! 出会ったのは、もうけっこう前ですよね。
二郎 東京ダイナマイトが2001年12月28日結成なんです。次の月から、新宿の小さなライブハウスでやっているライブに出始めた。2002年の2~3月くらいに、金縁メガネでスーツ着てネクタイ締めた人が、オレらがネタ終わったら細い廊下を前から歩いてきて、「いや、面白かったですねー」と言ってくるから、その風貌からライブハウスの支配人だと思ったら、それが伊達ちゃんで(笑)。
伊達 ふはははは。
二郎 いまと同じ感じで、当時からちゃんとスーツ着てたもんね。そのライブの大喜利コーナーとかで会うようになって、「あ、この人、芸人なんだ」とわかるようになって。
伊達 ……スゴいですよね、二郎さんの記憶力! いろんなこと覚えていますよね。20年ぐらい前ですよ! オレ、この本を読んでそれ、いちばん思いましたわ。メモとか取らない人ですからね。
二郎 そう、だからこれ、(相方の)松田(大輔)は書けないんですよ。あいつ、なんにも覚えてないから。たぶんキセルのこと(本書の「キセルで捕まったM-1ファイナリスト 相方・松田大輔」のエピソード)も覚えてないよ(笑)。
――記憶力はもちろん、伝える力もスゴいですね。
伊達 そうなんです。面白いんですよ。真剣なことも書いてあるんだけど、最後で「本当はそう思ってなかった」みたいな、二郎さんの二郎さんらしい部分もあったり(笑)。最近のコロナになった話もそうですし、大阪でぶっ倒れた話もそうですけど、そのあたりの生死をさまようような話は読んでいてグッとくるものがありましたね。あとは、僕が作った「二郎会」の話もあったりして。それに関してもよく覚えてるなって思いましたね。
ほぼ毎日のように会っていた時代
――ライブで顔を合わせるようになって、そこから一緒にゴハンを食べたり、仲良くなっていった経緯は?
伊達 二郎さんは面白い人で、同じ歳で。ひと言ひと言が僕に刺さって、「一緒にいたい」って思ったんですよね。僕らは先輩もいないような事務所だったので。二郎さんに近づくには二郎会を設立するしかないなと。いっつも美味しいものを作ってくれるし、美味しいものもぜんぶ知っているし、二郎さんって振舞うのが好きなんで。「旨い鍋ができたから食べにおいで」とか。
二郎 それが結局、店になりましたからね。みんな旨いって言ってくれるんだけど、二郎会のメンバーが来ると、寸胴にスープが一滴も残っていない。
伊達 いや、だって、ほんっっっとに旨いんですよ。
――どんなレシピなんですか?
伊達 もう、ぜんぶオリジナルで。ほんっとに旨いです。
二郎 同じ鍋は二度と出さない。1,000の鍋ができますから。
伊達 いや、ミルマスカラス(1,000の顔を持つ男と言われた覆面レスラー)みたいですね! 1,000の味!
二郎 これ、じつはおもてなしの秘儀みたいなのがあって。正月に1人に3,000円ずつ渡しても、たいして喜ばれない。師匠とか売れている人はお年玉で1万円とかくれたりしますから。でも、これを正月に1枚1,000円の肉を3枚ずつ「お年玉だぞ!」と言って、料理を振舞ってあげるとみんな喜ぶんです。
伊達 うわ、あったなぁ!
二郎 3,000円もらっても、みんなタバコ代とかパチンコ代で消えていくけど、強制的に1枚1,000円の肉を差し出すと、みんな、うめーうめ―って言って。記憶にも残る。そういうマジックみたいな。
伊達 確かに1万円札よりうれしかった。二郎さん以外は、そんなに食えるような環境じゃなかったからうれしかったですね。
二郎 ほぼ毎日会っていた時期もあったような気がする。家に帰ると伊達ちゃんとタイムマシーン3号の(関)太が集まって。当時、タイムマシーン3号と東京ダイナマイトで学園祭とか予餞会(卒業生を送り出すイベント)に行くという仕事がけっこうあって……。朝イチで行って昼過ぎには帰ってきて、太と「晩ゴハン行こうか」と伊達ちゃんも呼ぶと、毎回来るんですよ。
オレらが2004年にM-1決勝出て。2005年にタイムマシーンがM-1決勝行く。そのあたりでずっと一緒にいた。二郎会は、よくオレの会だと思われてるんですけど、伊達ちゃんがメンバーを連れてくる。ですよ。とか。
伊達 本に書いてありましたけど、ですよ。が渋谷でラッパーに絡まれた話とか、よく覚えてましたね。
二郎 それもだけど、オレは(ですよ。が)羽田空港に傘1本で現れたのをすげー覚えてる。「今日、温泉だよ」と言われて、「え! 伊達さん、そんなこと言ってなかったじゃないですか」と慌ててた。
「サンドウィッチマンに時代を作ってほしい」
伊達 本の後半は、この先の芸人としての生きざまとか、娘のために生きるとか……。一気に読んじゃいましたね。二郎さんから話は聞いていたんですけど、字で見るとなおさら胸に迫ってくるものがあった。
二郎 ぜんぶ知っていたのは、うちの相方と伊達ちゃんしかいないんで。今年4月30日に東京ダイナマイトの20周年ライブをやったんですけど、ゆかりのある人がゲストでどんどん出てきて。最後に伊達ちゃんと3人で漫才やったんです。
自分のなかで、もしかしたらもう21周年がないかもしれないと思ったから、それまでに伊達ちゃんを挟んでオレと松田でどうしても漫才をやっておきたくて。そうしたら、台本なしで50分もやっちゃって、伊達ちゃんを大いに困らせる結果になったんですけどね(笑)。
伊達 困りましたよ(笑)。大変でしたね。でも、めちゃくちゃ楽しかったです。
二郎 なんであのとき、東京ダイナマイトの2人だけでなく、伊達ちゃん含めて3人でやったかというのは、この本を最後まで読んでくれたら、ちょっとはわかってもらえるんじゃないかなと。
――今後も、おふたりの関係性は変わらなそうですね。
伊達 変わらないと思います。ちゃんと二郎さんに生きていてほしいです。
二郎 これ以上、差をつけないでほしいって書いておいてください。給料100倍違いますから。本当にある月の給料、100倍違いましたから(笑)。差をつけないか、吉本がもっとよく変わってほしい。まだまだ変われるだろうと思うので。もうちょっとトリにカネ払えるだろうと思うので。
伊達 トリを取れる芸人って限られてますからね。
――最後に、お互いに一言ずつ声をかけるとしたら?
伊達 生き返ってきてくれて僕はうれしかったです。あとは、NGK(なんばグランド花月)のトリが東京ダイナマイトっていうのを見てみたいですね。たぶん、近いうちにあると思うので。
それと劇場で、また一緒にライブをやらせてもらいたい。東京ダイナマイトの単独ライブの手伝いを、ずいぶん前にやっていたこともあって。なんかノリがいいんですよね。お客さんは、本当に二郎さんと松田さんが好きなマニアックなね、おっさんとか男臭い感じで。そういう環境が僕は好きで。だから、東京ダイナマイトのファンをもっともっと盛り上げてほしいなと思います。みんな待っていますから。
二郎 伊達ちゃんには、ちょっと言ったことがあるんですけど。ちょっとね……人気者になりすぎた。台本に沿ってこの辺だろってやれば番組は成立するけれども、もっと全国の小学生たちが腹ちぎれるぐらいに笑かしてほしいなと思うところもある。オレたちがドリフとかごっつええ感じとかを見たときのくらいの衝撃。腹がちぎれるぐらいに笑かしてほしい。
いまのスケジュールや仕事量の中でやるのは大変だろうけど、やっぱり、ダウンタウン、とんねるず以降の活躍の仕方ではなくて、時代を作るようなものをやってほしい。
伊達 せっかくそういうチャンスはいただいているので、頑張ります! それと、本の中にも書いてありますけど、二郎会で女川町(宮城県)にまた行きたいですよね!
二郎 東日本大震災があって、女川町が流されちゃって。復興した女川を見に行こうとずっと言ってたんだけど、行けないまま10年経っちゃったからね。
伊達 一緒にまたラブホテル泊まりましょうよ。
二郎 なんにもなかったんだよな。なんにもないところにラブホテルだけはあった。
伊達 もうあのラブホテルないだろうな。
二郎 あるだろ? ああいうのはつぶれないんだよ(笑)。でも、お互いに子どもたちを連れてっていうのはいいね。オレ、伊達ちゃんの娘に会ったことがないんですよ。うちの娘は何回も会ってるんだけど。子どもたちが話しているのを見てみたい。
伊達 会ったことないから、「本当はいないんじゃないか」って言われてます(笑)。
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書籍概要
『マイ・ウェイ~東京ダイナマイト ハチミツ二郎自伝~』
著者:ハチミツ二郎/田崎健太
発売日:2022年7月8日
発売:双葉社
定価:1,815円(本体1,650円)
判型:四六判
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