ピストジャムが綴る「世界で2番目にクールな街」の魅力 「シモキタブラボー!」VIPステッカー

シモキタブラボー!

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

VIPステッカー

今年1月8日、シモキタの「すごい煮干ラーメン凪」が閉店した。通いつめた店がなくなるという事実は、受け入れがたいものがあった。

凪を初めて食べたのは、新宿だった。「すごい煮干ラーメン凪 新宿ゴールデン街店本館」。吉本の本社帰りにラーメン屋を調べると、すぐ近くにあったので寄ってみた。

本館とうたわれている割に、ずいぶん小さな店だなと思ったが、うたい文句にたがわぬその濃厚な煮干しスープに一撃でやられた。それ以来、僕は凪の虜になり、歌舞伎町にある別館や、大宮店にも通うようになった。2016年に、シモキタに凪ができたときには、大袈裟ではなくガッツポーズをした。

シモキタ店ができてからは、スタンプカードの存在を知り、よりいっそう通うペースがあがった。もちろん、スタンプカードを2周してもらえる「VIPステッカー」も早々に手に入れた。

このステッカーを持っていると、毎回無料で好きなトッピングを一つ追加できる。しかも、全店共通で、同伴した仲間も同じ特典を受けられるという優れものだ。

「麺大盛り、やわらかめ、合わせスープ、3辛、一反麺増し、チャーシュートッピング」。これが僕のお決まりの注文スタイルだ。

これに、卓上の煮干し酢をかけて食べるのがたまらない。44歳になったいまでも、スープまで一滴残らず飲み干してしまう。

シモキタの凪がつぶれたのは、コロナの影響にほかならない。喪失感に打ちひしがれた。

 

14年前に「洋食屋マック」が閉店したときもそうだった。ハンバーグが絶品で、シモキタでは知らない人がいないほど有名な店だった。

誰でも気軽に入れる庶民的な店なのだが、僕にとってはごちそうだった。何かいいことがあったり、今日はこれだけ頑張ったから、ごほうびにマックに行っていい、と自分で自分に許可を出して初めて行ける特別な店だった。

けっしてきれいとは言えない、手づくり感がしっかりわかる、ごつごつしたかたちの小ぶりなハンバーグ。そこに、特製の甘ずっぱいソースがいっぱいにかかっていた。

定食には、そのハンバーグとカニクリームコロッケやエビフライ、しょうが焼きを組み合わせたセットメニューがあって、どのセットにしようか悩む時間が毎回、幸せだった。いま思えば、添えものくらいに思っていた、あの煮つめすぎたしょっぱい味噌汁の味も忘れられない。

8年前に「ぶーふーうー」が閉店したときもそうだった。チキンソテーが格別においしく、マックと同様にシモキタでは知らない人がいない有名店だった。

朝まで開いている喫茶店としても利用価値が高く、頻繁に通っていた。いつも深夜に入っていた、寡黙な超ロン毛のタトゥーだらけのバイトのかたは、いったいいま何をしているんだろうか。

出典: FANY マガジン
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イラスト:ピストジャム

6年前に「フリーファクトリー」が閉店したときもそうだった。ぶーふーうーのはす向かいにあるビルの3階。まるで秘密基地のようなカフェバーだった。

エレベーターをおりて、正面にある重い鉄の扉を開けると、薄暗い小部屋に出る。部屋の奥には小さな階段があり、その階段を恐る恐るのぼると、目の前に再び鉄の扉が。その扉を思いきって開けると、そこには信じられないほど開放感のある素敵な空間が出現するのだ。

広い店内にはテーブル席がいくつもあり、右奥にキッチンとバーカウンター、そのとなりにはオーナーおすすめのアーティストのCDの試聴機も設置されていた。入って左側の壁沿いには座敷もあり、みな靴を脱いで思い思いの体勢で自由にくつろいでいた。旅に関する書籍が並ぶ本棚の裏には、隠し部屋のようになったロフトの半個室もあり、店の雰囲気だけでわくわくした。

5年前は一番ひどかった。老舗のパン屋「アンゼリカ」、20歳からずっとお世話になっている定食屋「とん水」、お気に入りのラーメン屋「ぼくせい」が立て続けに閉店した。

これは本当にこたえた。もう二度とアンゼリカのみそパンを食べられないなんて。「お父さん」「お母さん」としたう、とん水のご夫婦にももう会えないなんて。ぼくせいの旨辛もやしラーメンを、もうすすれないなんて。落ち込みすぎて、その年は食が細くなった。

しかし、とん水はその後、復活した。熱烈なファンのかたがたのあと押しもあり、半年後に、以前あった店舗のすぐ近くで営業を再開した。

そして、今年めでたく50周年を迎えた。ファンのかたがデザインした記念Tシャツには、前の店舗の店先で、仲よく寄り添い、こちらに手を振るご夫婦のイラストが描かれていた。このTシャツは僕の宝ものになり、いまも部屋に飾っている。

アンゼリカを営んでいたかたは、新潟で店名を変えて、パン屋を開いているらしい。そこでは、アンゼリカの名物だったみそパンやカレーパンも販売されていると聞く。

ぼくせいの主人はどうされているんだろうか。開店当初、店主は俳優の佐藤隆太さんのおじさんだという噂を耳にした。友人のムーちゃんからは、ぼくせいで井上雄彦先生と一緒だったと聞いたこともある。ほどよい味噌味のスープに、もやしとひき肉、角切りの椎茸とチャーシューが入った旨辛もやしラーメン。惜しいラーメンをなくした。残念でならない。

感動した味の記憶というものは、こんなにも鮮烈に残るんだと自分でも驚く。なくなった店をうれう気持ちは変わらないが、沈んでばかりいるだけではない。最近できた飲食店の明るい話題もある。

3年前にできた「らーめん 玄」。ここの店主は長年「ラーメン二郎 目黒店」で助手をされていたかたで、ここのラーメンは二郎インスパイア系ではなく、二郎スピンアウト系と名乗っている。

シモキタに初めてできた二郎系。となり駅の新代田には「ラーメン二郎 環七新新代田店」もあるし、東北沢には「千里眼」もある。学生時代に「ラーメン二郎 三田本店」に通っていた身としては、うれしいかぎりだ。

2年前にできた、通称「オイシイカレー」もそうだ。ここは、もともと一番街のCUNEという服屋の1階で、店名もないままひっそりと営業していた。

初めて食べたときの衝撃は筆舌に尽くしがたい。思わず、

「うまっ」

と、心の声が漏れてしまったほどだ。

いまは移転して店舗が変わったが、あいかわらずシモキタでひそやかに営業を続けている。ちなみに、祐天寺在住の友人サトシにこの店を紹介したところ、彼はわざわざここのカレーを食べるためだけに、ひとりでシモキタを訪れるようになった。

最後に紹介したいのは、今年4月にできたばかりのNAWOD CURRY(ナヲダカリー)だ。こちらは創作スリランカカレーという一般的にはなじみのないカレーを出しているのだが、かけ値なしにうまい。定番メニューの「黄金出汁の鯖カリー」から、サイドメニューの「デビル砂肝」まで死角がない。

僕はここでも、初めて食べた際に「うまっ」とこぼしそうになったので、それならいっそのことはっきり伝えようと思い、

「めちゃくちゃおいしいです」

と、店主の顔を真っすぐ見て言った。すると、

「ありがとうございます。めちゃくちゃうれしいです。でも、食べながらそんなこと言う人、初めてです」

と、笑われた。

店主の名は、コーヘーさん。そのとなりには、助手のジョーさん。二人とも若い。たぶん20代後半だろう。

また別の日に食べに行くと、タツヤさんという俳優のかたもバイトで働いていた。三人とも気持ちのいいナイスガイで、彼らがなにげなく交わす言葉の端々から仲のよさがにじみ出ていた。なんだか見ているだけで楽しそうで、自分もその輪に入って働きたいなと思えた。

さらに何度か通っていると、顔を覚えてもらえた。少し話もできるようになり、料理を担当するコーヘーさんのカレーへのこだわりなども聞けて脱帽したりしたのだが、一番仰天したのはコーヘーさん、ジョーさん、タツヤさんは、もうひとりの男性をくわえた男四人で、一緒に暮らしていると聞いたことだ。驚きすぎて、聞いた瞬間

「バンドマンやん! 芸人と一緒やん!」

と、大きな声でツッコんでしまった。

 

シモキタから消えてしまった店も数多くあるが、そのぶん新しいおもしろい活気のある店も誕生している。僕は、そう信じたい。

「食べながらそんなこと言う人、初めてです」。あの言葉は恥ずかしかったなと思い返していると、以前にも同じような経験があったことをふと思い出した。

とん水でサバの塩焼き定食を食べているとき、お母さんから言われた言葉。

「あなた、猫よりきれいに食べるね」


出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。