ピストジャムが綴る「世界で2番目にクールな街」の魅力
「シモキタブラボー!」ボーナストラック

シモキタブラボー!

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

ボーナストラック

「信じられない。いま、これどこにいる?」

ディッキーは何度も首を振り、世田谷代田に向かってのびる歩道と駅を見おろした。

ここは小田急線下北沢駅南西口にできた複合施設テフラウンジ2階の外通路。

「全然シモキタじゃない」

彼が続ける。僕も最初はそう思った。

テフラウンジの2階は、とくにだ。ガラス張りのおしゃれなカフェもあるし、ミニシアターもある。通路には、屋外にもかかわらず自由に座れるソファがいくつも置かれていて、歩道に抜けるあたりには芝生も張られている。

この数年でシモキタの景色は大きく変化した。住んでいる僕がそう思うのだから、3年ぶりにシモキタを訪れた彼からしたら、まるで別の街に見えたことだろう。

20時に『とん水』で待ち合わせた。台湾在住のイギリス人が、シモキタでの久しぶりの食事に創業50周年を迎えたとん水を指定してきたことがおもしろくもあり、うれしくもあり、さすが我が友人と誇らしかった。

外通路からボーナストラックを眺める。歩道は、あたたかいオレンジ色の街灯に照らされて輝き、僕たちの次の行き先を示しているかのように見えた。

「あれがボーナストラック? マジで? あそこは、シモキタじゃなくて世田谷代田じゃない?」

「まあまあまあ」

なぜか僕がフォローする。

「行ってみる?」

「行こう」

カップルが座るソファの前をそそくさと通り、歩道に向かう。間接照明でムーディーな雰囲気になっているぶん、足もとが暗い。

「おっ」

ディッキーが声を漏らした。振り返ると、コンクリートの通路から足を踏みはずして、芝生を踏んでしまったようだ。小さくぴょんと飛び跳ねて、通路に戻る姿がかわいらしかった。

先日、松野さんともこの道を歩いた。あの日は昼で、逆まわりだったけれど。

松野さんは、先日発売された僕の本や、この連載などを担当してくれている吉本の社員だ。僕からすると、自分の書いた文章を世界で最初に読んでもらう特別な人だ。

年齢は僕の四つ上。華奢な体に、白髪まじりの髪とひげ。定番の服装は、細い薄色デニムに淡い色のシャツ。胸ポケットには、いつも紙たばこが入っている。

さわやかでも清潔感があるわけでもない。でも、どこか品を感じる不思議なオーラをまとっている。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

松野さんは、いわゆる仕事人間だ。ふだんは頼りなく見えるほど柔和な表情なのに、ひとたび仕事のスイッチが入ると突然目の色が変わる。上質な筋肉はやわらかいというが、まさにそれだ。

その日は、シモキタで何かイベントをできないか下見をしようということで集まった。スタートは世田谷代田駅。ボーナストラック、テフラウンジ、リロードをまわって、東北沢駅で解散した。

途中、とん水で食事した。松野さんには、一度とん水に来てほしかったからうれしかった。

初めて会ったのは、昨年開かれた吉本の社内企画『作家育成プロジェクト』だった。この企画は、本を出したい芸人が集い、2回の審査を通過した者だけがセミナーを受講できるという仕組みだった。

僕は、この企画のおかげで本を出せることになった。しかし、当時は最初の2回の審査でどうせ落ちるだろうとあきらめていた。

審査は課題で作文がいくつか出た。松野さんは、このときから僕の担当だった。

色気を出して、かっこつけた文章を書いても落ちるに決まっているんだから、課題の作文は松野さんにだけ向けて書こうと決めた。たとえ落ちるにしても、少なくとも松野さんだけは読んでくれるんだから。

ラブレターを書いているような気持ちだった。この世にひとりでも、読者がいると思えたことが救いだった。

ボーナストラックを抜けて、由縁別邸代田の前を通り、世田谷代田の駅前まで来た。ディッキーは、あまりの街の変わりように開いた口がふさがらないといった感じだった。

「最近、ここはドラマの舞台にもなってるし、晴れてたら、ここから富士山見えんねんで」

代田富士見橋の先を指差す。

「本当に?」

スマホで、世田谷代田駅前から撮影された富士山の写真を検索して見せる。

「信じられない。全然知らなかった」

「東京タワー見れる場所も、すぐ近くにあるで」

「嘘?」

「ほんまに」

静まり返った住宅街の路地を進む。あの角を曲がれば、東京タワーが見える。

「すごい」

ディッキーが足を止める。

時間が止まったかのように、僕もしばらく立ち尽くす。

「な、ほんまやろ?」

「日本を象徴する二つのものが両方見えるなんて、すごい場所だな」

「やっぱりシモキタ最高やろ?」

「いや、ここは世田谷代田じゃない?」

東京タワーが放つオレンジ色の光が、灯台のように僕たちを一瞬輝かせた気がした。


このコラムの著者であるピストジャムさんの新刊が10月27日に発売されました。

書名:こんなにバイトして芸人つづけなあかんか
著者名:ピストジャム
ISBN:978-4-10-354821-8
価格:1,430円(税込)
発売日:2022年10月27日


出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。