いかがですか?
夜の一番街商店街。ローソンにたばこを買いに行こうと歩いていたら、正面から20代前半と思われるカップルが歩いてきた。腕を組み、大声で楽しそうに話している。
すれ違いざま、彼女は笑いながら彼氏にこう言った。
「キンタマいっちゃう?」
耳を疑った。
驚きすぎて足を止めそうになったが、ここで歩みを止めたらただの変態おじさんになってしまうと思い、聞こえないふりをした。目線をはずして通りすぎる。
はしゃぐカップルの声を後頭部に感じながら、聞き耳を立てる。耳が後頭部に移動してしまったようだ。
「なんだよそれ。タマキンだから」
彼氏が恥ずかしそうに返す。
酔っているんだろうか。僕からしたら、キンタマでもタマキンでも、どっちでもいい。
「若いっていいな」
思わずこぼした言葉は、商店街の店のシャッターに当たってころころと転がった。
数年前から、アイドルのライブの前説をやらせてもらうようになった。今日の現場は、渋谷O-EAST。20組ほどのアイドルグループが出演する大きなイベントだ。
華やかで、かわいらしい衣装を身にまとうアイドルたちの姿は、楽屋でもきらきらと輝いていた。いままでアイドルにハマった経験はなかったが、前説をするようになってファンのかたたちの気持ちが理解できるようになった。
ステージで汗を流しながら笑顔を振りまく彼女たちの姿を見ているだけで、こちらも元気になる。アイドルのライブは、この時間が永遠に続くわけがないとわかっているからこそ生まれるはかなさをはらんでいる。だから、見ている側はその一瞬のきらめきを逃すまいと思うし、応援したくなる。
出番前、舞台袖に向かって歩いていると、あるアイドルに声をかけられた。
「ピストジャムさんってシモキタに住んでるんですよね? 最近シモキタで飲むこと多いんですけど、いい店知りませんか?」
まさかアイドルに飲み屋を紹介してほしいと言われるなんて思ってもみなかったので面食らったが、アイドルだって人間だ。お酒を飲みたいときもあるだろう。成人していれば何も問題ない。普通の会話だ。
「いい店って難しいですね。逆に、ふだんシモキタのどこで飲むんですか?」
落ち着いて答えた。彼女の好みの店がわかれば、いくつかおすすめできるかもしれない。そう思って尋ねると、彼女は困った表情を見せた。
「私、まだ全然シモキタわからないんですよね」
「そうなんですね。じゃ、この前はどこで飲んだんですか?」
「この前は、タマキンに行きました」
よほど目を丸くしていたんだろう。彼女は、僕の仰天する顔を見て固まった。そして、自分が放った言葉の意味に遅れて気づき、顔を赤らめて去って行った。
シモキタに「玉金(たまきん)」という居酒屋があるのを完全に忘れていた。14年前に、一度だけ行ったことがある。
あれは開店したてのときだった。南口商店街の通りで、バイトの女の子二人が店のチラシを配りながら
「玉金、オープンしました」
「玉金、いかがですか?」
と、声を張りあげていた。
「タマキン、オープンしました」「タマキン、いかがですか?」。強烈なパンチラインにノックアウトされて、僕は足を止めてチラシを受け取った。
シモキタの玉金、つぶれてなかったんだ。声がもれそうになる。
あの激安の値段で、コロナ禍を耐えたなんてすごすぎる。しかも、若者からの支持が半端じゃないことがわかった。
なんだか急に玉金という言葉が、アイドルのようにきらきらと輝いて感じられた。今夜は、玉金行っちゃおうかな。
このコラムの著者であるピストジャムさんの新刊が10月27日に発売されました。
書名:こんなにバイトして芸人つづけなあかんか
著者名:ピストジャム
ISBN:978-4-10-354821-8
価格:1,430円(税込)
発売日:2022年10月27日
ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。