ピストジャムが綴る「世界で2番目にクールな街」の魅力
「シモキタブラボー!」名もなきピアニスト

シモキタブラボー!

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

名もなきピアニスト

月光に照らされた駅前広場に、不穏なピアノの音色が響く。広場中央にある喫煙所は人であふれかえっていて、中まで入るのをあきらめたヘビースモーカーたちが喫煙所の入り口付近で申し訳なさそうに背中を丸めてたばこを吸っている。

聞き覚えのある曲。これは北野武監督の映画『その男、凶暴につき』で使われていた曲だ。

スマホで調べると「我妻のテーマ(グノシェンヌⅠ)」と出てきた。「我妻(あづま)」とは、作中で北野武さんが演じた刑事の名。

広場を区切るようにして設置された金網のフェンスは、ピアノの音を楽しんでいるのだろうか、月と街灯のあかりをごちゃまぜにして反射させ、乱雑に怪しく光って見えた。金網の中には、恐竜の化石のように中途半端な体勢でそのまま固まってしまったショベルカーなどの重機が数台放置されていた。

彼らの鉄の皮膚にも、我妻のテーマは確実に染み込んでいる。情けなくうなだれたショベルカーの顔がむくっと起きあがり、天に向かって咆哮する姿を妄想をする。

ピアノは、コートを着た中年男性が譜面を見ながらたどたどしい手つきで弾いていた。僕はまったく弾けないけれど、この人がそれほどうまくないことはすぐにわかった。

でも、この人の勇気に賛辞を送りたいと思った。家から譜面を持って来て、今日ここで弾くと決めて来ていることがかっこいい。

シモキタフロント1階のエレベーター乗り場に設置された「まちピアノ」。このピアノは、8時から19時までの間ずっと開放されていて、誰でも弾くことができるらしい。

勇者が手を止め、譜面を新しいものに替えた。次の曲はなんだ。

さっきと全然曲調が違う。明るい。

ああ、「ルージュの伝言」だ。『魔女の宅急便』の主題歌。

映画好きな人なんだ。選曲から彼の背景を少し知れた気がして、なんだかうれしくなる。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

「1番から10番までのかたああ!」

突然、ライブハウスの呼び込みが始まる。Flowers Loftの店員が、外にたまる客にチケット番号順での入場をうながす。

Flowers Loftの入り口は、まちピアノのすぐとなり。間に古着屋を挟んでいるが、同じビルだし、数メーターしか離れていない。

「11番から20番までのかたああ!」

地下におりる階段に、ぞろぞろと人が流れていく。今夜は、神戸のバンドbachoのワンマンライブがおこなわれる。

僕も、そのライブを観にやってきた。コロナ禍に入ってから、まったくライブに行っていなかった。ライブハウスでバンドの演奏を聴くなんて数年ぶりだ。

少し緊張している。自分が出るわけではないのに。

44歳になっても、そわそわしている。もうひとりの自分が、そんな自分を見て笑う。

高校生のころ、ライブハウスに入る前はいつもこんな感じだった。火薬庫に突っ込んで行くような心持ちで、ライブハウスの前で毎回気合を入れた。

いかついバンドのステッカーやフライヤーで埋め尽くされた階段。ぶあいそうな受付のスタッフ。バーカウンターの前では、タトゥーを入れたこわもての大人たちが談笑しながら酒を飲んでいる。その隙間をぬって、フロアを目指す。どこに行っても、たばこの煙。お金がないからコインロッカーも使えない。荷物は、数千円入ったちっちゃな財布だけ。フロアに着くと、スニーカーのひもを固く結び直した。

「41番から50番までのかたああ!」

あれ、曲がいつのまにか変わっている。今度は「やさしさに包まれたなら」。

この人、ジブリ好きなんだ。そう思うと、ここでピアノを弾いている彼自体が、何か別の物語の主人公に思えてきた。

 金網にもたれかかり、ぼんやりと眺める。すっかり冬の空気になった。

すんだ冷たい夜風に乗って、生まれたばかりのおたまじゃくしが行き場も定まらないままぴょんぴょん飛び跳ねている。ところどころつまづきながらも、途切れることなく楽しそうに音をつむぐ指先。

僕の目がサーモグラフィーだったら、あの指先は真っ赤だ。彼とピアノは、一体の暖房器具みたいになってオレンジ色の暖気を放っている。

あのピアノはいまどんな気分なんだろう。今日は何人の人に弾かれたんだろう。ひとりでさびしいよ、誰か弾いてって言っていた時間もあったのかな。よかったね、いい人にめぐり会えて。

人影が彼の背後に近づいて行く。ニットキャップをかぶり、ダッフルコートの上からバッグをななめがけした50代くらいの男性。

僕と同じように、鍵盤が奏でる音色に引き寄せられて来たのだな。それとも、あそこは音楽の不思議な力で本当にほかより少しあたたかくなっているのか。

男性は、彼の真後ろに立った。さすがに、少し距離が近い気がする。

「71番から80番までのかたああ!」

バッグから、おもむろに何かを取り出したがよく見えない。紙? A4くらいの。

まさか。譜面だ。

順番待ち。ゲームセンターのアーケードゲーム機に並ぶように、男性はピアノを弾く順番を待っていた。

丸めた譜面を手に持ち、リズムを取るようにかかとをあげてはさげ、あげてはさげ、上下に動く男性。鍵盤を叩きながら首だけで振り返るピアニスト。

「81番から90番のかたああ!」

すばやかった。まるで自分の番号が呼ばれたかのように、さっと譜面を片づけ席を立つ。足早に去る彼を尻目に、席につくニューカマー。

こういった光景はシモキタ以外の街でもよくあることなんだろうか。なかなかお目にかかれるもんじゃないような気がした。さすが音楽の街と言われるだけのことはある。

「91番から100番のかたああ!」

あの人の演奏も聴きたいけれど、僕もそろそろ行かないと。スニーカーのひもは、ここで結び直していこう。


このコラムの著者であるピストジャムさんの新刊が10月27日に発売されました。

書名:こんなにバイトして芸人つづけなあかんか
著者名:ピストジャム
ISBN:978-4-10-354821-8
価格:1,430円(税込)
発売日:2022年10月27日

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。