プッチン不動産
芸人になってから、北沢1丁目のアパートに10年以上住んだ。下北沢駅から徒歩6分、京王井の頭線池ノ上駅からは徒歩3分の好立地で、家賃は36780円だった。
こんな端数のある家賃は聞いたことがなかったが、水道代込みの値段だと聞いてなんとなく納得した。
その部屋は不動産屋から紹介されたのではなく、鈴なり横丁のPuttinというバーで飲んでいるときにマスターのプッチンから紹介された。
「彼、もうすぐ引っ越しするからそこに住んだらいいじゃん」
プッチンがそう言うと、カウンターの端で飲んでいた客が首をこくっと動かして僕に会釈した。
その人とは何度かここで顔を合わせていた。たしか東京大学の大学院生で、この店のすぐ近くに住んでいると聞いた覚えがある。
「春から消防学校に通うことになったんで、寮に入らないといけないんです。大家さんに言えば大丈夫だと思うんで、言っときますよ。今度、部屋を見に来てください」
バーで引っ越し先を紹介されたことよりも、東大の大学院から消防士になるという異色の進路に驚いた。
不動産屋とか管理会社を通さなくても入居できるものなのかな? 疑問は浮かんだけれど、もう口は
「よろしくお願いします」
と、答えていた。
数日後、昼間に待ち合わせして部屋に連れて行ってもらった。アパートは鈴なり横丁のすぐ裏だった。
木造の一軒家の2階部分を貸部屋に改築した、アパートというよりは下宿のような感じの古い建物だった。築50年くらいだという。
1階はかつて大家さん夫婦が洋装店を営んでいたようで、建物自体に玄関はなかった。ほこりのたまったショーウインドウの間に店の入り口があり、1階に住む大家さん夫婦はそこから出入りしているらしい。両サイドのショーウィンドウの中には裸の白いマネキンが一体ずつ放置されていて、仁王像のように見えた。
住人の出入り口は、その建物の勝手口。アパートと、となりの敷地の塀のわずかな隙間を進んだ先にある。
幅、わずか50センチの通り道。正面を向いて通れないので、体を横にしてカニ歩きで勝手口まで進む。まるで忍者ごっこをしている気分だ。
勝手口の扉を開くと正面に下駄箱、右手に年季の入った木の階段があった。靴を脱いで階段をあがる。一段踏むたびにぎしぎしと音が鳴り響く。
2階にあがってすぐのところには共同のトイレがあった。和式便器が一つあり、右の壁にはトイレットペーパーのホルダーが二つ、左の壁には一つ取り付けられていた。
一瞬意味がわからなかったが、よく見るとそれぞれのホルダーの上には住人の名前が書かれたシールが貼られていた。ひとりにつき一個ホルダーがあるんだ。ここに自分の名前がくわわると思うと、なんだか急に恥ずかしくなった。
越す予定の部屋は、三部屋ある一番奥だった。廊下を進んで行こうとすると、トイレからすぐのところにある部屋のドアが5センチほど開いていた。すると、案内人はそのドアを軽くノックして
「ショウちゃん」
と、声をかけた。
「おお」
中から出てきたのは、スウェット姿にベレー帽をかぶった長髪の男性。手にはベースを持っていた。
「ショウちゃん」
思わず声がもれた。彼もPuttinでよく顔を合わせる常連だった。
まさか知り合いが住んでいるとは。
「来月からここに住ませてもらおうと思って、今日は見学に来たんです」
とまどいながらも挨拶すると、彼は
「じゃ、来月からよろしく」
と、笑って返した。
部屋は、6畳の和室で小さなキッチンがあった。黒ずんだ木製の窓枠が歴史を感じさせる。
窓は道路に面していて、日あたりはよかった。風呂もエアコンもないけれど、日あたりがよければ問題ない。
部屋を確認したあと、大家さん夫婦を紹介してもらった。二人とも70代くらい。1階の居間にあるこたつに入って、簡単な説明を受ける。
洗濯機は置けないから近くのコインランドリーを使ってねとか、家賃は毎月手渡しで月末までに持ってきてねとか、更新料はいらないから住めるだけ住んでくれていいよとか。信じられないくらい、すんなりと入居が決まった。
20歳のときに、初めてシモキタに引っ越そうと思って不動産屋をまわった際は、なかなか条件に合う部屋が見つからなくてへとへとになった。挙げ句のはてに〈下北沢から徒歩20分〉という詐欺まがいのうたい文句につられて物件を決めたけれど、そこはシモキタではなく最寄りが小田急線梅ヶ丘駅のアパートだった。
そんな苦い思い出があったので、こんなにもスムーズに転居先が決まったことに驚いた。大家さん夫婦もやさしいおだやかな人で安心した。
住み始めて最初の夏が一番の試練だった。エアコンなんかなくても大丈夫だと思っていたけれど、全然だめだった。
日あたりがいいこともあって、日中はとてもじゃないけれど部屋にいられなかった。クーラーを求めて、毎日「池之上青少年会館」に避難していた。
あと、夜は毎晩あの誰もが嫌う茶色い虫が部屋に出た。本当に毎晩。気が狂いそうだった。
しかし、慣れとは恐ろしいもので、いつのまにか僕はまったく気にならなくなっていた。友人や彼女が部屋に来たときも、そいつは「客人にご挨拶を」とばかりにすました顔で出てくるのだが、みなその姿を目撃すると、もうそこには座っていられないという感じになり帰っていった。
彼女はそれから二度と僕の部屋には足を踏み入れなくなった。いま思えば当然だ。そんな部屋に遊びに行きたくないし、一刻も早く帰りたかっただろう。
冬は冬で、極寒だった。部屋では、つねにダウンを着てすごしていた。
そんな過酷な環境ではあったけれど、毎日楽しかった。いつも幸せを感じていた。
池ノ上駅近くにあった「フランス屋」という弁当屋。ここの「おまかせ弁当」は最高だった。
600円なのに、これでもかと、親の仇のようにぱんぱんにおかずを詰めてくれるのだ。弁当容器のおかずのエリアが埋まると、ごはんの上にもがんがんおかずを乗っけるので、確実に2食ぶんのおかずは入っていた。最終的にふたが閉まらないほど入れるため、手でふたを押さえながらじゃないと持ち帰れなかった。
子供のにぎりこぶしぐらいある肉だんごや、スコッチエッグがたまらなくおいしい。あの店があったおかげで、僕は生きてこられたと言っても過言ではない。
レジに立つ店主のおじいさんは個性的な見た目で、とてもかわいらしかった。エプロン姿でコック帽をかぶり、テープで補強したぼろぼろの黒ぶちめがねを鼻先にちょこんと乗っけていて、ウディ・アレンにそっくりだった。
銭湯に通うのも好きだった。コインランドリーで本を読むのも好きだった。数千円をにぎりしめてバーに飲みに行くのも好きだった。
住み始めて数年経ったころ、ショウちゃんが引っ越した。彼とは、Puttinでばったり会って、明けがたまで飲んで一緒にアパートに帰ることも多かった。
「おやすみ」と声をかけ合って、廊下で別れてそれぞれの部屋に戻る。まるで寮生活でもしているようだった。
次はどんな人が越してくるんだろう。となりの部屋の人とはつきあいがないしな。もう、このアパートでの暮らしも普通になるんだろうな。ショウちゃんが特別すぎた。
そんなことを思いながら、一か月ほど経ったある朝。階段がきしむ音で目を覚ました。
誰かが、ショウちゃんの住んでいた部屋に荷物を運んでいる。音でわかる。間違いない。
ちょうどトイレに行きたいし、もし顔を合わせたら挨拶しておくか。おもむろに部屋を出て、トイレに向かう。
「おう」
「え? ゲイリーさん?」
そこには知った顔。イギリスの俳優、ゲイリー・オールドマンに似ているから、飲み仲間からゲイリーと呼ばれている中年男性。
「よろしく」
彼も、Puttinの常連だった。
これ偶然なのかな? それとも、僕と同じでプッチンが紹介したのかな? いや、ショウちゃんが紹介したのかもな? 次々と疑問は浮かんできたけれど、もう口は
「よろしくお願いします」
と、答えていた。
このコラムの著者であるピストジャムさんの新刊が10月27日に発売されました。
書名:こんなにバイトして芸人つづけなあかんか
著者名:ピストジャム
ISBN:978-4-10-354821-8
価格:1,430円(税込)
発売日:2022年10月27日
ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。