スズナリ・ベイビー
下北沢駅に着いた。山本さんの後ろを歩き、改札を目指す。
今日は2週間に一度のコマラジの日だった。コマラジとは、狛江市のコミュニティラジオ「狛江FM」の愛称。
僕は、先輩の山本吉貴さんの番組にアシスタントとして出させていただいている。番組のタイトルは『ラジオの「山本吉貴」〜俺がメリークリスマスやねん!〜』。
これには説明が必要だろう。この番組は、2020年の12月24日に始まった。
初回放送がクリスマス・イブという理由で、番組名は『山本吉貴のクリスマスラジオ』になった。山本さんらしい豪快なタイトルのつけかただ。
桜の季節になっても真夏でも、年中クリスマスソングを流すというふざけた番組。それが今年から、企画でピース又吉さんが名づけ親になり、先の名前に変わった。
ラジオ終わりは、毎回山本さんと飲みに行く。いつも場所が違うのだが、今夜はシモキタだった。
エスカレーターに乗ると、急に寒さを感じて身震いする人間みたいに、ポケットの中でぶるっとスマホが震えた。見ると、LINEが1件。
アルからだった。コメントの添えられていない2分ほどの動画。サムネイルには、夕食を食べ終わったばかりの食卓でアコースティックギターを弾きながら歌うプッチンの姿が映っていた。
アルと初めて会ったのは21年前。彼が、生まれたての赤ちゃんのころ。正確には、彼がまだおなかの中にいたころから知っている。
当時、僕は鈴なり横丁のPuttinというバーでバイトしていた。オーナーのプッチンは金子ボクシングジムで日本ライトフライ級のチャンピオンになった元プロボクサーで、夫婦で店を営んでいた。
アルという名前を聞いたとき、すごいセンスだなと思った。「あるがまま」の「ある」。
奥さんが考えたらしい。プッチンは最初嫌がったらしいけれど、旧約聖書に「私は在る、在るという者だ」という言葉を見つけて感銘を受け、意見が変わったという。
彼は、とにかくかわいかった。男の子なのに女の子みたいな顔をしていて、天使のようだった。
あまりにかわいいので、プッチンや奥さんからちょっとした子守りを頼まれたときは率先して引き受けた。いま思えば、よくそんな怖いことをしていたなと思うけれど、僕が住んでいた風呂なし共同トイレのアパートの部屋で数時間預かったりしたこともあった。
彼が来ると、鈴なり横丁が明るくなった。ほかの店の店員や客たちも店から出てきて、彼と遊んだ。本当にみなから愛されていた。
プッチンがシモキタから出て行ったのは、アルが3歳のとき。離婚して、店は元奥さんが引き継いだ。
その後、僕は1年ほど働いてバイトを辞めた。それからアルと会う機会はなくなった。
彼が小学校に入ってまもないころ、酒屋のバイト中に見つけて声をかけたり、道端でばったり会って鬼ごっこをしたことはあった。しかし、それ以降はときどき噂を耳にすることはあっても顔を合わせることはなかった。
再会したのは、昨年11月。元奥さんから連絡があった。
会いたいと伝えていたら、彼がシモキタに来たタイミングで教えてくれた。LINEを開くと「アル来てるけど」とひと言だけメッセージが届いていた。
家を訪ねると、そこには立派な青年に成長したアルが。古着っぽい花柄のざっくりしたクリーム色のニットに、ダメージジーンズ。鼻にはピアスが光っていた。
さすがシモキタ生まれ、シモキタ育ち。17年ぶりなのに、まずおしゃれなことに感心する。
「久しぶり」
「全然変わってないですね!」
「いや、覚えてないやろ?」
「めちゃくちゃ覚えてますよ!」
こぼれる笑みに、子供のころの面影を見つけてうれしくなる。
彼のとなりには、赤ちゃんを抱くかわいらしい女性。21歳同士の夫婦に、生後数ヶ月の赤ちゃん。あふれる生命力の輝きに目がくらみそうになる。
興奮していたのか、顔にあたる夜風が気持ちいい。つっかけたスニーカーを、ざざっと地面にこするようにしてはく。
ベビーカーを押しながら歩く彼の姿が、21年前に見たプッチン家族と重なる。あのときプッチンが押していたベビーカーには、彼が乗っていた。
あれから21年経つと、こんな光景が見られるんだ。言葉にならない。
別れ際、彼から尋ねられた。
「プッチンに会いたいんですけど、つながってますか?」
まさか、彼がプッチンに会いたいと思っているなんて思わなかった。
「昔は、会ったら一発殴ってやろうと思っていた時期もあったんですけど、いまは普通に会いたくて」
胸に熱いものが込みあげてくる。家族を持ち、父親になったことで心境に変化があったんだろうか。
飲みに行く先々でプッチンの話を聞いたりすることもあったらしい。それで、どんな人なのか純粋に知りたいと思ったとも話していた。
僕もあれからプッチンと会っていない。連絡先もわからない。
会おうと思えば誰かしらつながっているだろうし、絶対に会えるだろうと高をくくっていた。そしたら、気づけば18年も経っていた。
「もしわかったら伝えるわ」
彼は僕の答えを聞いて、
「これ、曲つくんないとな」
と、妻と子供を見てにこっと笑った。
プッチンの連絡先は、まるではじめから仕組まれていたかのように、その数日後ウソみたいに簡単に手に入った。
「プッチンさんから連絡先を教えてやってくれって言われたから、教えとくね」
何も言っていないのに、犬拳堂のマスターのほうから教えてくれた。
マスターは昨年、僕が書いた本を買ってくれた。Puttinでバイトしていた話を結構書いたことを話したら、プッチンが来たら渡しておくと言ってプッチンのぶんも買ってくれたのだ。
「プッチンさん、悪いことしたなあって言ってたよ」
「いや、全然そんなつもりで書いてないのに。プッチンのおかげでシモキタ好きになったから」
アルに連絡すると、一緒に会いに行きたいと即答だった。休みの日を訊いてメモする。
プッチンに電話をかけるのは緊張した。番号を打って、少し発信音を鳴らしたけれど、なぜか怖くなって切ってしまった。
スマホの画面を見つめる。もう一度かけないと。
気持ちを整えていたら、電話が鳴った。プッチンだ。
「もしもし、野寛志(のかんし)です」
意を決して出る。僕は、プッチンから本名でノカンシとフルネームで呼ばれていた。
「おお、ノカンシ! 本、読んだよ。ノカンシには、ホントに悪いことしたなあ」
なつかしい声。
「いや、全然そんなことないです。プッチンのおかげでシモキタ好きになったから」
犬拳堂のマスターに言ったセリフと同じことを言っている。
「俺もあのときは必死だったんだよ。ホントに悪かった」
やさしい声。できの悪い従業員だったのに、僕はプッチンから一度も怒られたことがなかったことを思い出す。
「謝らないでください。プッチンは僕の師匠なんで」
「俺は師匠なんかじゃないよ! 俺は、自分教の教祖なんだよ! ノカンシも自分教の教祖にならないとダメなんだよ!」
これぞプッチンだ。出会ったころと変わらない。僕はいま、プッチンと話している。
「プッチン、11月30日って何してます?」
「何? 何があるの?」
「いや、11月30日はどんな予定ですか?」
「だから何があるの! その日じゃないとダメなの?!」
「……その日だったら、アルと一緒に行けます」
電話越しにプッチンが絶句したのがわかった。そして一瞬の沈黙のあと、おだやかに
「ホントにありがとう。めちゃくちゃうれしいです」
と、つぶやくように言った。
思わず顔がほころぶ。二人とも感じ入って、続きの言葉が出ない。プッチンに敬語を使われたのも初めてだ。
その日は、アルとシモキタで先に待ち合わせして集合場所に向かった。彼は黒の革ジャンにクロムハーツのクリアフレームのめがねをかけていて、相変わらずかっこいい。
18年ぶりの親子再会の場に立ち会えたことは非常に貴重な体験だった。みな前夜はほとんど眠れなかったみたいで、三人ともかなり酔った。帰りなんて終電間近なのに逆方向の電車に乗ってしまったほどだ。
その後、僕はプッチンともアルとも個別で飲みに行った。まだ親子水入らずでは会っていないと言う。でもアルは、プッチンに子供も会わせたいし、奥さんの手料理がびっくりするくらいおいしいから食べさせたいと、プッチンを家に招待する計画を立てていた。
それが、今日だった。送られてきた動画には、RCサクセションの『イマジン』を気持ちよさそうに弾き語るプッチンと、笑顔で子供を抱く奥さんが映っていた。
「夢かもしれない でも、その夢を見ているのは 君ひとりじゃない」
アルも撮影しながら一緒に歌っている。赤ちゃんも手を叩いて楽しそうに笑っている。孫の笑い声を聞いて、プッチンがほほえみ返す。
本当に夢かもしれない。こんな日が来るとは思わなかった。
改札を出ると、山本さんが歩きながら話す。
「何にしよ? 『はんさむ』行こか?」
はんさむとは、そばと焼き鳥がおいしいという人気店だ。
「入れるかなあ。とりあえず行ってみよか」
「行ったことないんで行きたいです」
勝手に、さっきの動画で自分のシモキタストーリーは終わったように感じていたけれど、まだまだまだまだ。
このコラムの著者であるピストジャムさんの新刊が2022年10月27日に発売されました。
書名:こんなにバイトして芸人つづけなあかんか
著者名:ピストジャム
ISBN:978-4-10-354821-8
価格:1,430円(税込)
発売日:2022年10月27日
ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。