大みそかから新年を迎えた1月1日に放送された『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)の正月恒例企画『おもしろ荘』。過去にも多くの芸人が羽ばたき、若手芸人の登竜門となっているこの番組で優勝を果たしたのは、東京と大阪のNSC(吉本総合芸能学院)同期が2017年に組んだコンビ・ダイヤモンド(野澤輸出、小野竜輔)。優勝の喜びと、これまでの歩みを聞きました。
オーディション最多出場の末の優勝
――『おもしろ荘』の優勝、おめでとうございます! 本番のネタはどうやって選んだんですか?
野澤 『M-1グランプリ2020』の準々決勝でやったコーヒーのサイズのネタです。小野 おもしろ荘のオーディションって、毎回ネタを2本持っていくんですよ。それで、スタッフの方に選んでもらいました。
――昨年のM-1はYouTubeで予選ネタが配信されていて、おふたりの2回戦や準々決勝の漫才がネット上で話題を呼んでいましたね。
小野 M-1に関しては、今回は準々決勝で敗退しまして。ただ、2018年、2019年も同じく準々決勝までは行けていたものの、その舞台でめちゃめちゃスベってたんですよ。びっくりするくらい笑いがなかった。それが今年はわりと笑っていただいて、手応えがあって。エゴサーチしてみたら、評価してくれている方が多かったんでよかったですね……というか、その時点では、完全に準決勝に行った顔でいましたね(笑)。
野澤 小野も言うとおり、例年よりウケてました。でも僕は基本的には、ショックを受けたくないので期待しないようにしてました。結果的には残念だったんですけど……。
――その無念を『おもしろ荘』で晴らしたわけですね。『おもしろ荘』にはこれまでも挑戦してきたんですか?
小野 僕ら、コンビを組んで3年くらいなんですが、夏と年末のオーディションを4、5回受けて、ぜんぶ最終オーディションまで進んでるんですよ。でも、これまでぜんぜん出られなくて。野澤に至ってはもっとだよね。
野澤 うん。前のコンビ時代からずっとオーディションに行ってますね。最初に行ったオーディションの時の放送でおかずクラブが優勝(2015年)してたから、もう6年くらいかなあ。
小野 スタッフさんからも「たぶん最多だよ」って言われてました。
出たい番組は山口県の『熱血テレビ』?
――ダイヤモンドはどこか変わった感じのネタが多いですが、どうやって作ってるんですか?
野澤 僕がネタのもとになる案、設定とか、こういうことをやろうっていうのを考えて、そこから2人で作りますね。
小野 単純に僕らは、上手な漫才ができないんで。漫才がうまいわけではないぶん、野澤の発想で、あんまりやられていない、誰も見たことのない漫才を作る、っていうほうを重視してます。だから、できるだけ新しいことをしようとはしてます。そのぶん、スベることも多いですけどね。伝わらなかったりして。
――今回、念願のオーディションを通って、さらに優勝までして、なにかネタや姿勢に変化があったんでしょうか?
小野 なにか変えたのかと言われたらそうでもないですし、例年どおりやっていた感覚なので、ただただぜんぶ運がよかったですね。まさか優勝するとも思っていなかったので、実感がないままで。
野澤 なんですかねえ。僕ら、決まった形がなくて、いろんなタイプのネタをやっているんですよ。やっていること自体は変わらないんですけど、どの種類のネタをどこに持っていくか――というのが、やっと少しずつわかってきた感じはあります。
ただ『おもしろ荘』に関して言えば、漫才の中では僕らはヘンなことをしているほうかも知れないけど、ピンとかコントの人と並んだときには“正統派”に見える可能性もありますから。どんなネタをやるのが正しいかは、わからなかったです。
小野 実際、出川(哲朗)さんに「正統派漫才」って言われましたからね。「僕らもこの舞台に立つと正統派になるんだ」と思いました。
――昨年は新型コロナによる自粛期間などで、ネタをたくさん作ったとかは?
小野 いや、逆に昨年はぜんぜん作ってないです。ありがたいことに、その前年までに新ネタライブにたくさん出させてもらったり、自分たちの主催ライブもやったりで、月4、5本は作ってたんですよ。昨年は、ネタをブラッシュアップしていくやり方をようやく覚えた感じがあって。
野澤 大量に作った中からネタを育てていく1年でした。
――『おもしろ荘』優勝をきっかけにいろんなテレビ番組から声をかけられることもあるかと思いますが、どんな番組に出てみたいですか?
小野 僕は、いろいろ考えた結果、自分の出身地である山口県で放送している夕方の帯番組『熱血テレビ』(山口放送、平日16:50~)に出たいですね。むかし、ブロードキャスト!! さんが準レギュラーだったりしたこともある番組なんですよ。月1レギュラーくらいなんとかならないですかね、僕は最初ギャラいらないんで……。その番組に呼ばれることで、月1回、実家に帰れたらいいかなって。30歳過ぎてそういうことを思うようになりましたね。
――野澤さんはいかがですか?
野澤 そうですね……。僕もいろいろ考えた結果、山口県の『熱血テレビ』ですかね。
小野 2人とも『熱血テレビ』にいちばん出たいですね。
野澤 山口県は本当に行ったこともないんですけど。
小野 野澤はなんのゆかりもないんですけど。
野澤 それがいちばんですね。
小野 これは2人共通の目標なんで、これは声を大にして言っていきたいですね。
――おふたりは、野澤さんが東京NSCの15期、小野さんが大阪NSCの32期で、東西の同期だったんですよね。それぞれ前のコンビを解散した後、ダイヤモンドを組んだそうですが、どちらから誘ったんですか?
小野 僕から声かけました。僕が前のコンビで大阪から東京に進出するときに、同期のネタくらいは知っておいたほうがいいなと思って、配信とかYouTubeとかで(東京の)同期のネタを片っ端から観たんです。その中で面白いと思ったのが、ニューヨークと野澤の前のコンビであるエレーンで。
――そのころから野澤さんを面白いと。
小野 そうですね。で、東京に出てきてすぐのタイミングで、僕が財布を落としちゃったんですよ。そのことをライブで初めて一緒になった野澤に話したら、「気持ちわかるよ」ってハンバーグをおごってくれたんです。そこで「あ、いいやつだな」って。
野澤 僕、そんなに財布を落とすほうじゃなかったんですけど、なぜかその年だけ、3、4回財布を落としてたんです。財布を落とすと、本当にイヤな気分なんですよ。
小野 本当にイヤな気分でした。
野澤 本当にイヤな気分だろうなあ、と思って。その気持ちでつながりました。
――野澤さんは見た目にインパクトがありますが、太いストライプのスーツとロングヘアは2人で話し合って決めたんですか?
野澤 スーツは一緒にオーダースーツのお店に行って、2人で選びました。髪の毛については、僕は「M-1の決勝に進出した東京の芸人はみんな変な髪型だ」って説を唱えてるんですよ。で、自分も長髪にしてみたら、ぜんぜん変な髪型じゃないニューヨークとオズワルドが決勝に行ってしまって……。「変な髪型じゃなくても決勝行けるんだ!」と思ったんですけど、それでふつうに戻すのもちょっとなあ、と。
小野 でも、見た目って意味ではオズワルドの伊藤(俊介)も変な見た目してますからね。ヒゲメガネで。
野澤 確かに、虫みたいな顔してるしな。
小野 屋敷(ニューヨークの屋敷裕政)もあごがないし。やっぱり変な見た目じゃないとダメなんですよ、結局。
野澤 俺が普通の髪型だとシュッとしたコンビになっちゃうんで……。
小野 なんねーよ!
――同期であるニューヨークの活躍は、どんなふうに見ていますか?
小野 悔しさもありますけど、あんなところまで行かれちゃうともう! この前、テレビでニューヨークが「第2のかまいたちさんになりたい」って言ってましたけど、僕は第2のニューヨークになりたいですね。
野澤 僕ももともとニューヨークは面白いと思ってたんで。面白い人が売れていくのはいいですよね。面白くない人が売れてくのは腹立つけど。
売れる「ダイヤモンド」を目指して
――おふたりのこれからの目標を教えてください。
野澤 やっぱり次はM-1ですかね。
小野 そうですね。僕、マヂカルラブリーの村上さんと仲良くさせてもらっていて、(おもしろ荘の)優勝も村上さんに報告して「ビッグチャンス!」と返信いただいたんです。
あとは、バイトを辞められたら。いまはごみ収集で、その前は高速道路のペンキをはがすバイト。僕らずっと2人で一緒のバイトをやっているんですよ。それをやらずにお笑いだけで食べていけたら最高ですね。
――ちなみに、コンビ名「ダイヤモンド」の由来を聞いてもいいですか?
小野 輝きたくてつけた名前ですかね。叩かれてもくじけない、硬い、強いハートを持っていたい、みたいな意味もありつつ。あとは、「『ン』が入っていると売れる」とかのジンクスのぜんぶ乗せで。
野澤 最大の決め手は、「ダウンタウン」と画数が一緒だったこと。だってそれ、最強じゃないですか。
小野 絶対売れる画数。ただ、いままでダイヤモンドってコンビ名の芸人さんは何組かいらっしゃったみたいで。全組売れてなかったんで……。
野澤 ははは!
小野 でもそれはたぶん、やめちゃったからだと思うんですよ。続けてなかったから。だから僕らが続けて、初の売れる「ダイヤモンド」になれたらと思います。
ダイヤモンドの公式プロフィールはこちらから。