「これでいいのだ!」とあの世で喜んでいる 「上方演芸の殿堂入り」表彰式開催

「第23回上方演芸の殿堂入り」名人に二代目笑福亭松之助とWヤングが選ばれ、表彰式が9月14日(月)、大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方、大阪市中央区)で開催されました。

出典: FANY マガジン
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殿堂入りは二代目笑福亭松之助とWヤング

「上方演芸の殿堂入り」は、同資料館が、上方演芸の発展と振興に特に大きな役割を果たし、広く府民の皆様から愛され親しまれ、後進の目標となる演芸人を基準に選考。1996年に始まり、前回までに56組90人の演芸人が殿堂入りしています。

表彰式には、昨年亡くなった二代目笑福亭松之助の長男・明石家のんきと、Wヤングの佐藤武志、昨年11月に亡くなった平川幸男の長男で演歌歌手の秋岡秀治、大阪府の山口信彦副知事らが出席しました。

冒頭、山口副知事が「大阪だけでなく全国を笑いの渦に包みこんだ芸を思い出させていただいた。改めて2組の芸にかけられた情熱、ご努力に敬意を表したい」と挨拶しました。

上方落語の牽引者

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続いて、同資料館運営懇話会殿堂入り部会の相羽秋夫・部会長が今回の選考結果について説明。松之助については「上方落語の牽引者で、落語会への貢献度の大きさが評価の対象になった。また、古典落語に対する姿勢を最後まで崩さず、明石家さんまさんら、たくさんの優秀なお弟子さんを育てられた」と話しました。

1次、2次とも甲乙つけがたく

Wヤングは、故・平川幸男と故・中田治雄が1964年に結成、最初は音楽漫才だったが、しゃべくり漫才に転向して演芸ブームを牽引、1975年と1978年に上方漫才大賞を2度受賞しました。1979年の中田死去後は、平川が佐藤武志と再び、Wヤングを結成。昨年11月に平川が亡くなるまで、舞台上を走り回る体当たりの漫才で人気を博しました。

相羽部会長はこうした経緯を踏まえ、「音楽漫才からしゃべくり漫才に転向して成功するのは非常に難しい。それだけではなく、新コンビを組むと、最初の漫才のイメージが付いているため難しいが、全く新しい芸風で第2次を作り上げた。第1次、第2次とも甲乙つけがたいということで3人に殿堂入りしてもらうことになった」と説明しました。

この後、3人に山口副知事から表彰状と花束が授与され、明石家のんきは「こんな素晴らしい賞を親父がいただけたということは、あの世でたぶん喜んでいると思います。この賞どないや、と聞いたら、『これでいいのだー!』と言って喜んでいると思います」と話し、出席者の笑いを誘いました。

秋岡秀治は「昨年11月に亡くなるまで芸能一筋でした。殿堂入りということで、それを認めていただけ、喜んでいると思います。来週、お墓まいりするので報告します」と謝辞を述べました。

「自民党の総裁が決まる日に」

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佐藤武志は「今日は自民党の総裁が決まるというのに、わざわざ開催していただき、ありがとうございます」とつかみで笑いを取ると、殿堂入りした他の名人の方々と比較して、「自分はまだまだ若手と思っています。仲間に入れてもらえたのは、先代のWヤングのおかげ。本当に感謝します。平川師匠に対しては心からお礼と感謝を申し上げたい」と話しました。

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最後に、殿堂入り部会の成瀬國晴・部会長代理が描いた似顔絵が披露されました。松之助の似顔絵をまじまじと見入る明石家のんきに、成瀬部会長が「なんかご不満でも?」と突っ込む一幕も。明石家のんきが「いやー、上手やなと思って」と答えると、成瀬部会長が「一応プロですから」と返し、再び笑いに包まれました。