下駄を鳴らして奴が来る
ギターとエフェクターを載せた、見るからに重そうなキャリーを引きながらこちらに向かって来る。アスファルトの上を転がる貧弱なキャスターは、重い荷物とかたい道路に挟まれてぎゃああとうめき声をまき散らしている。
アスファルトを削るような音の中に、かすかにカランコロンというなつかしい響きもまじっていることに気づく。下駄だ。
今夜は気温が低い。たぶん13度くらい。
素足に下駄をはいている。ついさっきまで雨だったし、さすがに寒いだろう。
「ひさしぶり」
声をかけると、男は
「どこ行こう?」
と、言ってあごひげを触った。
彼の名は、松野浩介。THE だいじょぶズというロックバンドのボーカルで、吉本の同期だ。
「下駄、寒くないの?」
尋ねると、彼は
「全然」
と、さも通常運転といった感じで答えた。
赤い文字で富士山と刺繍されたキャップをかぶり、首からは柴又帝釋天と刺繍されたお守りをぶらさげている。
「ライブやったん?」
「いや、このあとロクヨルでリハがあんのよ」
「じゃ、荷物置かせてもらったら? これ持って居酒屋入るのたいへんやろ」
「そうだね、そうするわ」
ロクヨルとは、シモキタのライブハウス『ろくでもない夜』のこと。彼は昔ロクヨルでバイトしていたこともあるし、いまでもライブを頻繁におこなっていてなじみが深い。先月ロクヨルが企画したシモキタのライブハウスなど12会場で開かれたサーキットフェス『下北デアウ』というイベントのタイトルも、THE だいじょぶズの曲名からつけられたほどだ。
ロクヨルに向かうエレベーターを待つ間、ギターケースに視線を落とすと大きな虎が刺繍されたワッペンが貼り付けられているのが目に入った。30センチ以上ある。こんなサイズのワッペンは見たことがない。
エレベーターをおりると、彼はエフェクターだけを店に置かせてもらい、ギターケースはビルの階段の隅にどかっと置いた。
「大丈夫? 盗まれへん?」
思わず僕がそうこぼすと、彼は
「もし盗んでも、誰のギターかすぐわかるから誰も盗まんやろ」
と、笑った。
彼がこんなに豪快で、こんなに刺繍好きだとは知らなかった。結婚して子供を二人育てながら音楽活動をしているのは知っていた。自分にはとうていできることではないし、それだけでもすごいなと思っていたけれど、きっと彼はそれも自然体でやってのけているんだろう。
まったく違う性格であこがれる。僕だったら、階段にギターケースを置くとしても『すぐに戻るのでしばらく置かせてください。23時には戻ります。お願いなので盗まないでください』と書いた貼り紙を絶対にすると思う。
彼と二人で飲むのは初めてで楽しみにしていた。居酒屋に着いて注文を済ませると、今度発売するCDのジャケットを描いてほしいと依頼された。
ありがたい。こころよく引き受けた。
早々に話は済んだけれど、僕たちはそれから2時間いろんな話をしながら飲み続けた。
息子との会話で気づかされることがあるとか、スマホでなんでもすぐに調べられることに疑問を持ってガラケーに戻したとか、彼の話には考えさせられた。
「これからどうなりたいと思ってんの?」
彼らしい直球の質問も来た。
「俺は芸人として有名になって、テレビ出たり、絵描いたり、文章書いたり、いろんな仕事して月に50万円くらい稼げるようになりたい。とにかくバイトやめたい」
ひるまず、胸を張って堂々と答えた。彼は、うんうんとうなずきながらこう返した。
「俺はロックスターになりたい」
もう勘弁してほしい。かっこよすぎる。次元が違う。
店員がラストオーダーを訊きに来たので、飲んでみたかったドリンクを注文する。
「コーヒー牛乳ハイください」
すると彼は目を丸くして言った。
「そんなん頼んで先輩に怒られないの?」
「怒られるわけないやろ。俺はいつでも飲みたいもんを飲むねん!」
負けずにかっこつけて答えたつもりだが、全然かっこよくなくて恥ずかしくなる。
ロックスターを前にして飲むコーヒー牛乳ハイは、なんとも言えないほろ苦さだった。
このコラムの著者であるピストジャムさんの新刊が2022年10月27日に発売されました。
書名:こんなにバイトして芸人つづけなあかんか
著者名:ピストジャム
ISBN:978-4-10-354821-8
価格:1,430円(税込)
発売日:2022年10月27日
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ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。