ピストジャムが綴る「世界で2番目にクールな街」の魅力
「シモキタブラボー!」ドッグフードとテーブルクロス

シモキタブラボー!

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

「世界で2番目にクールな街・下北沢」で23年、暮らしてきたサブカル芸人ピストジャムが綴るルポエッセイ。この街を舞台にした笑いあり涙ありのシモキタ賛歌を毎週、お届けします。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

ドッグフードとテーブルクロス

祖母が腰を骨折して入院することになった。電話をかけてきた母のとなりには祖母もいるらしく、少しだけ祖母とも話せた。

母から祖母は耳が遠くなったと聞いていたので、スマホが壊れてしまうのではないかと思うくらいの大きな声で話した。祖母の声は元気だった。

祖母も僕と同じように大声を放ち、しかも一方的に話していたので、僕は話すのをやめて聞く側にまわった。

「手紙書いてやあ!」

祖母は最後に、そう叫ぶように言って電話を切った。

高校時代、京都で祖母と二人暮らしをしていた。高校1年のときに父の転勤で、僕以外の家族は京都から広島に引っ越し、僕はひとり残って祖母の家から高校に通った。

祖母は、とてもユニークでパワフルな人だった。逸話は枚挙にいとまがない。

一緒に暮らし始めた当時はメジャーリーグに渡った野茂英雄選手にハマっていて、深夜であろうが早朝であろうがBSで生中継される映像にかじりついていた。祖母は、野茂投手が投球するたびに

「おっきいお尻やなあ」

とこぼし、目を丸くして観ていた。

相撲観戦もよくしていたせいか、僕が風呂あがりにパンツ一丁で歩いていると

「あんたはモンゴル人みたいなケツしてるな」

と、臀部をまじまじと見て分析していた。

出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン
イラスト:ピストジャム

謎の習慣もあった。洋裁で使用する針に糸を巻いたオリジナルの耳かきを使用して、頻繁に耳掃除をするのだが、その耳垢をなぜかハンカチにためていた。僕がそれに初めて気づいたのはともに生活し出して1年がすぎたあたりだった。

引き出しに、あきらかに何かを包んでいるようなたたみかたのハンカチがあり、妙に思って開くと、中には粉が入っていた。すぐにはそれがいったいなんなのかわからず、ぼうっと眺めていると、祖母は無邪気な笑顔を浮かべて言った。

「おばあちゃんな耳くそためてんねん」

そう、祖母は天真爛漫だった。本当にけがれを知らない少女のように、つねに思ったことを口にした。

愛犬のハルが衰弱してドッグフードを食べなくなったとき、僕と祖母は並んでハルに声をかけた。

「ハルは言葉が話せへんからかわいそうや。しんどいねんな、かわいそうに。ハルちゃん、頑張り。少しでいいから食べなあかんで」

祖母は涙をこらえて言葉をしぼり出した。もうハルの命が長くないことは僕も感じていた。

すると祖母は僕に

「物置にまだ封を開けてない新品のドッグフードがあんねんけど、それスーパーに返してきて」

と、言った。さすがにそれには驚いて

「それはハルが死んでからでいいんちゃう?」

と、僕もデリカシーのかけらもないセリフを返した。

窃盗犯に疑われて、家に警察を呼ばれたこともあった。祖母が言うにはテーブルクロスを敷いた食卓の上に現金を数万円置いていたらしい。

気がつくと、それがなくなっていたと言うのだ。僕はまったく知らない話なので、盗んでいないと必死に抗議したけれど、最終的に通報されて、警官に抱えられてパトカーに乗せられた。

パトカーの車内で警察官から

「これは家族間のことだから、君も未成年だし、うちうちに処理できるから正直に言えば捕まえたりはしないよ」

と、諭された。しかし、盗んでいないものを盗んだと言うのはどうしても納得がいかず、本当に盗んでいませんとだけ告げて、家に帰してもらった。

翌朝、なくなったと大騒ぎしていたお金は無事に見つかった。どうやら祖母が、食卓の上に現金を置いていたら魔が差して僕が盗んでしまうかもしれないと危惧して、テーブルクロスの下に隠したらしい。

僕が盗む可能性があると思われていたこと自体が悲しいけれど、まだそれは人情として理解ができた。びっくりしたのは、そのあとだ。

「じゃ、警察に連絡して昨日のお金は見つかりましたって報告しとかなあかんな」

そう僕がつぶやくと、祖母は

「ほんまのこと言ったら、あそこのおばあちゃんは認知症になったん違うかって近所で噂になるから、それはやめとこ」

と、断ったのだ。

話が長くなってしまったが、祖母のエピソードで僕が一番好きなものを最後に聞いてほしい。これは30年前に祖父が亡くなったときの話。

祖母はそのとき62歳だった。当然のことだが、祖母は泣きに泣き、憔悴しきっていた。

僕はなんと声をかけていいかわからず

「おばあちゃん、大丈夫?」

と、尋ねた。祖母は

「おじいちゃんが死んだら生きてる意味なんかない。私ももうすぐに死ぬ。死にたい。生きていかれへん」

と、孫の前にもかかわらずおろおろと泣き崩れた。

あれから30年経ったけれど、祖母はまだ生きている。来月には94歳を迎える。

祖父の死の悲しみは計り知れないものだったに違いない。あのときの祖母の言葉に偽りはなかっただろう。ただ、祖母は自分が思っている以上にタフだった。

僕が東京に行くとき、別れ際に言われた言葉をたまに思い出す。

「東京は生き馬の目を抜くような人間ばっかりやから油断したらあかんで!」

普通は「頑張りや」とか「元気でな」などが親族との一般的な上京の際の別れの言葉だと思うのだが、僕は「油断したらあかんで!」だった。出兵するような気持ちで祖母に手を振った記憶がよみがえる。もしかしたら、敬礼もしていたかもしれない。

シモキタを長く住む地に選んだのは、あの祖母の言葉が無意識的に働いている可能性がある。シモキタには、生き馬の目を抜くような人間が見あたらない。

個人商店が多く、みな自分のペースで商売しているので街にぎすぎすした空気がまったく感じられない。街を訪れる人たちも、演劇やバンドのライブや古着を楽しみに来る人ばかりなので、みな幸せそうに笑っている。けんかなんて見たことがない。

渋谷や新宿にもよく行くけれど、笑顔で街を歩いている人の割合はシモキタが圧倒的に一番多い。これはきっと、街全体に流れるゆるい雰囲気がつくり出しているのだろう。

祖母が入院した三日後、僕は祖母のことが心配になり、母に電話をかけた。骨折を治すことがそもそもたいへんだけれど、ベッドで横になる時間が増えたことで体力が一気に低下して、体全体が弱ってしまうことのほうが怖いなと不安に駆られた。

祖母の体調を尋ねると、母は声をはずませて答えた。

「おばあちゃん、転院して今日からリハビリ始めて、頑張って歩いてます」

どうやら、手紙は書かなくても大丈夫そうだ。いや、やっぱり書くか。

「拝啓

おばあちゃんのタフさに感銘を受けました!

リハビリ頑張ってください!

応援してます!

僕も油断せずに頑張ります!」

もはやこれは手紙というよりファンレターだなと思いながら、静かに封をした。


このコラムの著者であるピストジャムさんの新刊が2022年10月27日に発売されました。

書名:こんなにバイトして芸人つづけなあかんか
著者名:ピストジャム
ISBN:978-4-10-354821-8
価格:1,430円(税込)
発売日:2022年10月27日

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出典: FANY マガジン
出典: FANY マガジン

ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。