オペラ歌手であり、音楽家としてさまざまな活動を精力的におこなってきたミッチェル。その経歴はユニークで、40歳にしてNSC(吉本総合芸能学院)に入学した芸人でもあります。そんな彼女が今年1月、45歳にして突然、子宮体がんの「ステージⅣ」という宣告を受けました。「元気が取り柄」と思っていたのに……いきなり降りかかった深刻な状況に、精神的に大きく混乱しながらも、3月1日(金)の手術を前に「闘病」を決意した現在の心境を語ってもらいました。
検診で「子宮がんは大丈夫です」
ミッチェル(2月にミッチェルんから改名)はオペラ歌手としてさまざまな活動をしてきた一方で、NSC25期生として卒業後、駆け出しの“芸人”として舞台やテレビなどにも出演してきました。2022年にはコンビを組んで『THE W』や『M-1グランプリ』にも挑戦しています(現在、コンビは解散)。
しかし、そんな彼女に今年1月、突然の不幸が襲いかかります。子宮体がんの「ステージⅣ」という宣告を受けたのです。いきなり自身に降りかかってきたがん告知に、さすがに取り乱したという彼女。しかも、無情にも告げられたのは「ステージⅣ」という深刻な状況……。
そもそもなぜオペラ歌手になろうと思ったのか、そして40歳にしてNSCに入ることを決めたのはなぜなのか。そして、これから始まる手術と治療を前に、彼女がいま思うことは――。
「芸人としてまだ何も成し遂げてない私だけれども、だからこそまだまだ叶えたい夢がたくさんある。そして、このことを話すことで、同世代の方はもちろん、1人でも多くの人に検診の大事さを伝えたい」
ミッチェルは前を向いて、こう語り始めました。
2024年1月に「子宮体がんステージⅣのB」と宣告されました。告げられたときは、まさか自分の身に起きていることとは思えず、さすがに取り乱してしまいました。
もともとの経緯を話すと、昨年、ずっと出血が続いていたんです。ただ、2年前から痛みと不正出血はあって。最初に気づいたのは背中の痛み。NSC時代のダンスの授業でちょっと調子にのって背中を痛めたことがあり、それが古傷みたいになって傷んでいるのかなと思っていたのですが、ある治療院の先生が「(背中の痛みの原因が)子宮の可能性もあるから、早めに病院へ」と言ってくださったんです。
それで、婦人科の子宮がんの検診に行きました。でも検査の結果、問題はなくて……。ただ、そこが私の無知だったんですが、子宮の検査には「子宮頸がん」と「子宮体がん」があって、私がしたものは「子宮頚がん」の検査だった。そもそも子宮がんの検査にその2種類があることを知らなかったし、「子宮がんは大丈夫です」と言われたので、それで「あ、よかった」と安心してしまったんですよね。
その後も痛みや出血がよくなることはなく、むしろひどくなる一方。自分の中でもおかしいと思い、そこから泌尿器科や消化器内科などいろいろな病院をまわりましたが原因はわかりませんでした。そんななか、区民検診の採血の結果が正常の値の半分以下で、内科のお医者さまから「もう一度、産婦人科に行ったほうがいいんじゃないか」と言われたのが、昨年秋のことでした。
リンパへの転移もあると告げられ…
しかし、再び行った産婦人科でも、がんが判明することはありませんでした。40代ということで「閉経によるホルモン分泌の乱れではないか」と言われてホルモン治療薬を出されますが、その薬は治療過程の副作用で「不正出血が起きやすくなるもの」。「不正出血で悩んでいるにもかかわらず、不正出血が増えるのおかしいのでは」と自分の中でモヤモヤとした気持ちを持ちながら治療を続けました。
その時点で不正出血はどんどんひどくなっていて、薬を飲み続けても一向に出血がおさまる気配もなく、貧血のために鉄分を補う注射を続けるという状況。2023年の年末になると、さらに痛みが増したことから、改めてもう1回、どうしても診てもらいたいと2024年の年明けに病院に駆け込むことになりました。
年明けに行った病院でMRIの検査をしました。そうしたら、2週間後に結果が出ますと言われていたのに、翌日、電話がかかってきたんです。そこで自分でも「あ、これは何かある」と覚悟しました。そして病院へ行ったら、「子宮体がんの可能性がある。でも、うちではこれ以上は診られないので、大きな病院へ行ってください」と紹介状を渡されました。
どうしても考えてしまうのは、もっと早く、2年前にわかっていたら、ここまでになっていなかっただろうということ。あとは、自分の性格的にけっこう痛みとかもガマンできちゃうんですよね。「気のせいなのかな」と考えてしまったりして、見過ごしてしまっていたかもしれない。そこが悔やまれます。
紹介状を書いてもらって大きな病院へ行ったのですが、「子宮体がんのステージⅣですが、もう手術はできないかも」とサラッと言われてしまって。もうパニックで、わかっているけど受け止められない自分がいました。しかも「手術できない」と言われたら、「これは相当なんだな」と想像できたので。それで、さすがに取り乱してしまいました。
しかも、リンパへの転移もあると告げられ、おそらく先生は事実を淡々とお話しされただけだったんでしょうけど、なんというか、患者に寄り添うような姿勢が感じられなくて、私はいろいろな意味で生きる気力を失うほど打ちのめされてしまったんです。
だって、いまこうやって取材を受けていますけど、取材を受けられるぐらいめっちゃ元気なんですよ。正直、信じられない。ステージⅣで手術もできないぐらいと言われているけど、食欲も落ちていないし、痩せていくわけでもない。だから、どうしても自分の身に起きていることだって信じられないんですよね。
私自身、母子家庭で母と2人でずっと協力してやってきていて。抱えていることもたくさんあるし、これからもっと音楽も、芸人もやっていきたいと思っていたところだったので、やっぱり私にとっては希望を失いたくなかった。だから、ほかの病院に行ってセカンドオピニオンを聞こうと思い、いまかかっている病院にたどり着いたんです。
励まされた「人との出会い」
セカンドオピニオンで行った病院で、ミッチェルは「人との出会い」の大切さを身に染みて感じたと語ります。そこで出会った先生は「子宮体がんステージⅣ」という同じ事実を伝えながらも、ミッチェルにとって希望と熱意を感じる言葉をかけてくれたそうです。
また、その病院に入院したときに出会った同じ病で戦う人たちも、ミッチェルにとって大きな存在となりました。
こちらの病院でも先生から「ステージⅣのBです。手術をしても5年生存率は20%です」と告げられました。でも、そこでこの先生に言われたのが、「この20%にあなたがなればいいんですよ」と。
その言葉に目からウロコというか、感動しました。20%でも可能性があるのだったら、私は前を向いていきたい。だって、音楽家としても芸人としてもまだまだ成し遂げたいことがたくさんあるのだから。
同じ病室になった方々にもすごく励まされました。みなさん深刻な病気と闘っているんですが、すごく明るくて。私より上の年代の方なんですけど、「ステージⅣのBだった」ということを皆さんに伝えたら、自分たちも大変なのにハグしてくれて。「あなたは手術できるんだから。しかも年齢的にも若い。下界で元気に会いましょう」って笑いまで交えて言ってくれて。
自分がこういう状況になって感じるのが、人との出会いってものすごく大事だということです。本当に励まされることが多いんですよね。母もそうですし、音楽活動で出会った方々もそう。本当にいまの私の心の支えになってくれていますし、たくさんの方に支えられていただいているなと感じます。
「面白くする」の難しさを実感してNSCへ
ミッチェルが語る「音楽活動」という言葉――そう、ミッチェルの本業はオペラ歌手です。
全国津々浦々を訪れ、小中高の児童・生徒たちに音楽コンサートを行う活動はもう24年も続けていて、そのほかにも個人で声楽やピアノのレッスンを行うなどしています。
もともと中学からピアノ科のある学校に通い、高校で声楽に転科。そのまま音楽大学で声楽を学びました。卒業後もオペラの研修所に1年通い、世界のマエストロである故・小澤征爾氏が2000年に立ち上げた小澤征爾音楽塾にも参加したほどの実力の持ち主です。
音楽の世界に生きた彼女が、なぜ40歳にしてNSC入学を決めたのでしょうか。
もともと歌が好きで、とにかくエンターテインメントの世界にすごく憧れていました。ディズニーも大好きで、舞台が好きでショーに関わりたいという気持ちをずっと持っていたんです。それが結果的にNSC入学につながってくるんですけど。
チャレンジ精神はずっとあって、いろいろなことにチャレンジしてきた人生なんですが、そのひとつがNSC入学です。ずっと憧れはあったんですが、大きなきっかけは入学の1年前、自分で企画した大きなコンサートがあったことでした。
私はオペラの『カルメン』という作品が大好きで、小学3年のときに魅せられて、45歳のいままでずっと大好き。カルメンに魅せられて、いまの私があると言っても過言ではないほどです。
コンサートでは、この作品を自分なりに解釈して、ミニオーケストラを作って、台本も書いて面白くやろうと思ったんですが、そこで「面白くする」ということがどんなに難しいことかと実感して。それでNSCに入ることを決めたんです。
NSCでの日々は本当に刺激的でした。毎日が新しい発見で、ひたむきにお笑いに向き合っている同期たちの熱意もすごくて、とにかく感動していましたね。同期たちは高校卒業した18歳から20代の子が多くて、私はその時点で40歳だったので、「25期の母」と言われたこともあるんですけど(笑)。
印象に残っているのは、挨拶を学び直したこと。この歳にして挨拶を学び直して、卒業後はいままで以上に深く挨拶ができるようになりました(笑)。そして、お笑いも音楽もたくさんの共通点があって、演奏活動にもお笑いが生かされることを改めてNSCで学びました。
「私には、まだまだ夢があります」
NSC卒業後は、音楽家としての経歴を生かして「オペラっぽくイタリア語で罵る」といったネタで舞台に立ったり、2022年はコンビを組んで『M-1グランプリ』や『THE W』などの賞レースにも挑戦したりしました。
現在はピン芸人に戻り、さぁこれからと思っていた矢先の病気の宣告。本人の無念さは如何ばかりかと思われます。それでも、ミッチェルはいまも前を向いています。これからのことを、彼女の言葉でこう語ってくれました。
今月末に入院をして、3月1日(金)に手術をすることになっています。手術が終わったら、3月下旬から抗がん剤の治療を行う予定ですが、治療がこの先、どんなふうになっていくのか、私も不安だし、怖さもあります。
でも、先生が言ってくださった「5年生存率20%の、20%のほうに入ればいいんだ!」という言葉を信じて、治療にのぞみたいですね。
私には、まだまだ夢があります。大好きなオペラ『カルメン』に、少しお笑い要素を入れたものを公演したい。しかも、それをこのオペラを作った生みの親である作曲家ビゼーの眠る、本場フランスで行いたいんです。芸人として面白さもきちんと織り込みながら、日本から見たカルメンをできたらいいなと。
そして、芸人としても舞台に立ちたいですね。まずは神保町漫才劇場のメンバーになれるように上を目指していきたいと思っています。病気と向き合いながら、お笑いも、演奏も、さらに自分のチャレンジを続けたいです。目標を夢で終わらせるのではなく、実現させるんだという気持ちで、いまはいます。人生そのものがオペラの物語なんだと、この瞬間をも楽しんでいきたいです。
最後に、これを読んでくださった方々に本当に言いたいのは、「検診に行ってください」ということ。私も今回、初めて子宮がんの検査が2種類あると知った。本当にたくさんの人が、頸がんと体がんの検査があるってことを知らないという現実があります。
そして、ちょっとした変化を見過ごさずにいてほしい。年齢とともに体の不調はいろいろと出てきますが、それを見落とさずにキャッチすること。1カ所のお医者さんで言われたことで安心しないように。ちょっとした見過ごしが、私のようなことになってしまうわけですから。私の場合、本当に出血と痛み以外の部分は変わりなくて、見た目的な変化もなかった。そこで安心してしまうのは、いちばんよくないことです。
芸人として何かを成し遂げたわけでもない私がお話させてもらうのはどうなんだろうという迷いもあったのですが、私がこうやって語ることで1人でも2人でも「私も検査に行こう」と思う人が増えてほしいし、自分の体の不調を見過ごしてほしくない。元気な人、頑張れちゃう人はとくに気をつけてほしいと思います。
自分がこういう状況に置かれて、不思議なことに、いままで以上にまわりの人に支えられているなと感謝することが多くなりました。そして、この病気が気づかせてくれていることもあります。それは、時間の大切さです。
この経験を活かして、誰かにとって何かの気づきになってくれたらいいなと思っています。
ミッチェルの公式X(旧Twitter)はこちらから。