イラスト:ピストジャム
#09「トップシークレット」
下北沢から東京タワーが見られることを知っている人は少ないだろう。そこは、僕の秘密のお気に入りスポットだ。まだ、ピザ屋のバイト仲間の工藤くんにしか教えたことがない。
工藤くんは、下北沢の中で2回目の引っ越しをした。新しい部屋の場所を訊くと、そのお気に入りスポットからすぐ近くだったので、特別に教えてあげた。わざわざ夜に連れ出して、二人でその場所まで行った。「ここから東京タワー見えんねんで」と言うと、実際はリアクションに困っていたのかもしれないが、「おお、本当ですね」と驚いてくれた。
工藤くんとは、ピザ屋で一緒に働く前から知り合いだった。もともと神奈川でひとり暮らしをしていたのだが、僕が「シモキタめっちゃ楽しいで」と連呼していたら、そのセリフを信じて下北沢に引っ越してきてくれたのだ。それからは、バイトでもプライベートでも毎日のように顔を合わせる仲になり、いつも一緒にいた。工藤くんから「シモキタに引っ越してきて、人生が変わりました」と言われたときは、めちゃくちゃうれしかった。
僕のトップシークレットのその場所は、ビルや高い建物などではなく、普通の、路地と言っていいような細い道路だ。その道路の限られた数メートルの範囲でだけ、東京タワーを見ることができる。
二人並んで東京タワーを見ていると、後ろから何台か車がとおりすぎて行った。夜の遅い時間に、男二人がぼーっと路地にたたずんで、夜景と呼ぶにはさびしすぎる風景を見つめている姿は、さぞかし不気味に映ったに違いない。
イラスト:ピストジャム
そのスポットを見つけたのは偶然だった。夜、ピザの配達帰りにたまたま発見した。店に戻ろうと住宅街を走っていたら、突然赤みがかった、あったかいオレンジ色にきらきらと輝く鉄塔が目に飛び込んできた。ひと目で東京タワーだとわかった。しかし、まさか下北沢から東京タワーが見られるなんて思ってもみなかったし、以前先輩と車に乗っていたときに、東京タワーによく似た鉄塔を遠目に見つけて「あれ東京タワーですか？」「違うわ。あんなちっちゃないし、方角も違うやんけ。目ぇ腐ってんのか、カス」なんて言われたことがあったので、あれは本当に東京タワーかなと、にわかに信じられなかった。
ちゃんと確認しようと思って、バイクを停め、携帯電話で調べた東京タワーの画像と見比べた。サイズ感も、方角も間違っていない。紛れもなく、あれは東京タワーだ。
ひとり東京タワーを眺めた。下北沢から望む東京タワーはオツなもんだ。バイト中じゃなかったら、危うく一句詠んでいたところだ。
下北沢駅から歩いて10分もかからない世田谷代田駅の駅前からは、富士山が眺望できる。ここで初めて富士山を見たときも、ピザの配達中だった。カーブを曲がって、線路沿いに直進しようと顔を上げると、いきなり目の前に富士山が現れた。思いもよらないタイミングだったし、下北沢周辺からこんなに大きくはっきり見えるわけがないと目を疑った。
なんであんなにうれしい気持ちになるんだろう。いつ見ても元気になる。晴れ晴れした気分。何かいいことがありそうだ。自然と、心の中で挨拶もしている。おはようございます。今日もよろしくお願いします。
最近、駅前につくられた歩行者専用の横断橋は『代田富士見橋』と名づけられた。この名前は公募で決まったらしいのだが、いまっぽくない名前で安心した。昔からその場所にずっとあったかのような、古臭い伝統的な名前で、すごくいい。もし『マウントフジブリッジ』とかになっていたら、たぶん駅前で反対演説をしていたと思う。
ちなみに、代田という地名はダイダラボッチという妖怪の名前が由来になっている。ダイダラボッチは、ジブリ映画の『もののけ姫』にも登場する非常に大きな巨人だ。『近江の土を掘って富士山をつくり、その掘った跡が琵琶湖になった』という国つくりの伝説も残っている。代田は、そのダイダラボッチの足跡らしい。
イラスト:ピストジャム
富士山はダイダラボッチがつくったと聞くと、子供が公園の砂場でつくった自慢のお山のように思えてきて、愛らしく見えた。ダイダラボッチの足跡からダイダラボッチがつくった富士山を拝む。
富士山や ああ富士山や 富士山や
あ。一句詠んでしまった。
赤富士と 東京タワー 色似てる
赤富士山 青富士山 黄富士山
あかん。こうなるから詠みたくなかってん。
ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。
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