2015年秋、健康診断で32歳という若さで腎臓がんが見つかったお笑いコンビ・はんにゃの川島ofレジェンド。その川島が、がんと向き合うなかで学んだことや気づいたこと、パートナー・菜月さんとの信頼関係や、相方である金田哲との関係などを、微笑ましいエピソードとともに1冊の本にまとめました。タイトルもまさに『はんにゃ川島のお笑いがんサバイバー』(扶桑社)。がんと闘病中の人をはじめ、多くの人を勇気づけるこの本に込めた思いを、川島本人に聞ました。
芸人らしくクスッと笑えるエピソードも
――完成した本を手に取ってみて、いかがですか?
本当に嬉しいですね。僕の体験談にプラスして、友達や家族、仕事仲間のがん患者さんにどう接したらいいかわからないと悩んでいる方へ向けた僕なりの考えもまとめているので、多くの方に読んでもらえたらいいなと思います。
――若い世代の人が読んで、早くから備えをしてもらえるといいですね。
まさにそうですね。僕自身、32歳で腎臓がんが見つかったんですけど、当時はがんが3大疾病のひとつだってことも知らなかったんです。ましてや、生命保険なんて入らなくてもいいだろうっていう考え方で。けど、がんになってから保険に入ろうとしても遅いんですよ。退院してすぐに高額な請求が来て、「えっ、こんなに払うの?」ってビックリしました。手術が成功しても5年間は(保険に)入れなかったりするので、生命保険に加入することの大切さに気づいてもらえたらいいなと。ほかにも、禁煙やダイエットについても触れていたりして、濃密な1冊になっていると思います。
――本をつくる上で、こだわった点はありますか?
手に取ってもらったときにわかりやすいほうがいいなと思ったので、伝えたいところを項目ごとにポイントとしてまとめました。あと、単なる体験談やハウツーを盛り込んだだけではなく、芸人の本らしく、クスッと笑えるようなエピソードも入れてあります。笑えるといっても、あはは!って感じじゃなく、えへへって感じ。「こんなことがあったんだ」って、えへへって笑いながら読んでもらいたいですね。
がんを経験して人生の価値観が変わった
――がんを経験する前後では、やはり心境の変化がありましたか?
人生の価値観が、ガラッと変わりました。もちろん、仕事はそれまでも全力でやってましたけど、以前は何をするにつけて予定を立てたり、準備をすることがなかったんです。けど、手術が成功してからはより意欲的になって、いろいろなことにチャレンジしてみたいと思うようになりました。いまは、がん、ダイエット、育児の講演会をやっていますが、僕はもともと話すのが苦手なタイプだったんですよね。いまだにめちゃめちゃ噛みますし……。最近も、インフォマーシャル(インフォメーションとコマーシャルの造語)の仕事でMCをやったんですけど、“精肉の専門店”っていうのを“精肉の専門トン”、“牛肉240グラム”を“牛肉ニヒャクヨンギューグラム”って、ひどい噛み方をしちゃったくらいで(笑)。
――そんな川島さんが、講演会では1人で喋ってるんですよね。
がんをきっかけに、初めて講演会のお話をいただいたとき、噛みまくる僕を知ってる芸人や吉本の社員には「川島って60分も1人で喋れるの?」と言われました。僕自身、勇気もなかったんですけど、がんばってみようと思って引き受けたんです。講演会のやり方って、誰かに教わるものじゃないんですよ。自分なりに何回かやってみるうちに、なんとなく形ができていって、いまでは90分の講演も1人でやれるようになりました。コロナ禍になる前の2019年なんて、吉本で、東西合わせていちばん多く講演会をやっていたみたいです。そんな新しい挑戦ができたのも、がんを克服したことが大きく影響してるんじゃないかなと思ってます。
――がんが見つかる前は、暴飲暴食をしていたそうですね。
仕事が忙しかったこともあって、生活はめちゃくちゃでした。ロケでご飯を食べて、先輩に誘われたら食べて、お酒も飲んで。朝から晩まで働いて、毎日、寝不足。健康に対して無頓着でしたね。
――手術後に腎臓がんだったことを公表したとき、まわりの反応はどうでしたか?
当時、若くしてがんになった芸人はあまりいなかったので、みんなにとっても衝撃的だったみたいで。「手術うまくいってよかったな」とか「大丈夫なんか?」とか声をかけてもらいました。なによりも「健康診断をした病院を紹介してくれ」といろいろな人から言われましたね。そのときに健康診断を受けた人が健康で病気なく過ごしているのは、僕のおかげだろうって思ってます(笑)。
相方・金田の言うこともちゃんと聞けるようになった
――本のなかには、相方・金田さんやパートナー・菜月さんのインタビューも掲載されています。金田さん曰く、がんが見つかってからの川島さんは情緒不安定だったとのことでしたが……。
ナイーブになっていたところは、確かにありましたね。仕事をしていても、ふと思っちゃうんですよ。ステージ1だと言われたけど、進行していたらどうしようとか、リンパに転移していたらどうしようとか。そういう恐れからなのか、“ガンさん”と呼んでいたプラス・マイナスの岩橋(良昌)さんを、無意識に“岩橋さん”と呼んでいました。そんな姿が、金田くんには情緒不安定に見えたのかもしれないですね。
――パートナーの菜月さんが支えになってくれたのも大きかったと思います。いちばん印象に残っている言葉は?
プロポーズする前、がんが見つかったことを伝えたときの「よかったじゃん」っていう言葉ですね。「お腹の赤ちゃんが見つけてくれたんじゃない? 天使じゃん」って言ってくれたのは、本当に大きかった。そこから、病気のことは何も言わないんですよ。たとえば「手術まであと2週間だね」とか「手術がんばってね」ということも、いっさいなかった。気づいたときには「明日、入院だ。なにも買ってないけど、病院の売店で揃えればいいか」みたいな感じだったんで、気にしすぎることもなく入院もできて……。いつもと変わらず接してくれたのは、すごくありがたかったですね。
――相方の金田さんも、なにも変わらなかったそうですね。
僕ががん患者だっていうことは、マネージャーと金田くん以外、知らなかったんです。そのなかで金田くんも、それまでと変わらずに接してくれました。ロケが終わったあとに「体は大丈夫?」みたいなこともなく……。その変わらない感じがありがたかったです。
――金田さんとの関係性について、変化はありましたか?
がんが見つかる前は、解散とまではいかないですけど、険悪になることが多かったんです。NSC(吉本総合芸能学院)に入ったときは友だち同士だったのが、コンビになって金田くんがお兄ちゃんのようになってきて、稽古中にいろいろな意見を言っているうちにケンカのようになってしまうことが、たびたびあったんです。けれど、手術後は譲り合えるようになったというか。もともと、はんにゃのリーダーは金田くんで、金田くんの意見を聞いて成功したという事実は揺るがない。お互いがお互いを必要だと思っていることも実感して、金田くんの言うこともちゃんと聞けるようになりました。
――金田さんは本のなかで、コンビ結成20周年の単独ライブをやりたいと話していましたね。
僕も、20周年で何か(記憶に)残せるようなライブをやりたいなという気持ちは同じです。……ネタで賞を獲ってみたいとも思いますけど。
――チャレンジですね! では、『キングオブコント』を狙いますか?
できたらいいなと思いますけど、1人で決められるものではないですし、リーダーの金田くん次第なのかもしれないですね。ただ、いまもルミネの舞台には立ってますし、20周年でいいネタが何本もできて、まわりの人からも「いいね」と言われたら挑戦してもいいのかなって。いつになるかわからないですけど、勝負できたらいいなとも思っています。
書籍概要
『はんにゃ川島のお笑いがんサバイバー』
著者:川島章良
定価:1400円(税抜き)
発売日:2月18日
発行:扶桑社
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