シモキタバイト
今月末に、いままでしてきたバイトの体験談を綴った「こんなにバイトして芸人つづけなあかんか」というエッセイが、新潮社から出版されることになった。僕みたいな無名の芸人が本を出せるなんて思ってもみなかった。
この本には、シモキタでしてきたバイトのエピソードが数多く登場する。バー、ラーメン屋、宅配便、服屋、酒屋、ピザ屋、清掃のバイトの話を書いた。
全エピソードの5分の1くらいはシモキタが舞台になっている。これらの話は、シモキタブラボー!には書いていない話ばかりなので「シモキタブラボー!外伝」的な楽しみかたもできると思う。
ちなみに、出版される本にもシモキタブラボー!にも書いていない、シモキタでやったバイトはほかにもある。それは、海産物のおろし業社の工場でのバイトだ。
ドモホルンリンクルの工場にいる人のような、目以外はどこも皮膚が出ていない格好で働いた。これはまったく平和なバイトで、なんの事件も起こっていないし、他人に話せるようなエピソードがいっさいないので割愛した。
いまは、祐天寺という駅の近くで弁当の配達のバイトをしている。もう44歳になったし、いいかげんバイトはやめたい。なんとか、お笑いの仕事だけで食べられるようになりたい。
そう思っているのに、いまだにシモキタのバーに飲みに行くと、みな僕が売れていない芸人だと知っているので、同席した客から
「うちのカレー屋で配達のバイトしないか」
とか、バーの店主から
「うちでバイトしないか」
と、誘いが絶えない。
シモキタでバイトする芸人はいまも多い。しかし、10年ほど前はもっと多くの芸人がバイトしていた。
すゑひろがりずの三島とレインボーの池田はベアーズというカラオケ屋でバイトしていたし、過去シモキタブラボー!にも登場したピン芸人なかおじさんはムーナというカレー屋と源八という居酒屋をかけもちしていたし、ともに「シモキタ芸ナイト」というトークライブに出演していたギチの青柳はassoというバーで働いていたし、一時期は芸人バーや芸人居酒屋もあったし、書き出したらキリがない。道を歩けばかならず芸人の知り合いに会うという感じだった。
そんななか、吉富Aボタンというピン芸人が「安安」という焼肉屋でバイトしていた。彼は僕の一年後輩で、ネタがとにかくおもしろかった。
彼のネタのスタイルは、紙芝居の要領で描いた絵としゃべりで笑いを取るフリップネタだった。彼の描く絵、発するフレーズ、テンポや間(ま)、すべてが独特で、僕はライブが一緒になるとかならず舞台袖から彼のネタを見て勉強した。
ライブの帰りも、よく二人で飲んだ。彼はシモキタから3kmほど離れた松陰神社前という駅に住んでいたのだが、
「ふだんからバイト先まで歩いてるんでシモキタでいいですよ」
と言ってくれるので、場所はもっぱらシモキタだった。
話す内容は、ほとんどネタづくりについて。あのネタはどうやってつくったとか、いまこういうネタを考えているとか。
僕は、その時間が好きだった。どうすればおもしろくなれるのか、つねにもがいていた。暗いトンネルの先に、光があると信じるために必要な時間だった。
居酒屋を出ると、いつも深夜だった。途中までは帰り道が同じだったので、僕は自転車を押しながらそこまで歩いた。
そのときは決まって「クレイジーママ」の話をした。クレイジーママとは、彼が住む部屋の近所にある弁当屋の名前だ。
「弁当屋の名前でクレイジーママは、ほんまにクレイジーすぎるやろ」
僕が言うと、彼は笑いながら、最新のクレイジーママ情報を毎回教えてくれた。
そんな夜を数年重ねたある日。彼から、芸人をやめて実家の名古屋に帰ることに決めたと告げられた。
彼のネタが好きだったので、あのネタもこのネタもおもしろいのにもったいないと訴えたが、彼の意志は変わらなかった。しまいには、
「あのネタ、あげます。僕、もうやらないんで」
と言われた。
僕を傷つけるために言ったのではない。むしろ逆。自分の代わりに本当にこのネタをやってくれていい、という気持ちが伝わってきた。
悲しかった。僕が他人のつくったネタをもらうはずがないと、彼はわかったうえで言っていることが一番つらかった。
トンネルに、ひとり取り残された気がした。その夜の帰り道は、クレイジーママの話はしなかった。
からからと、か細い音を立てる自転車のタイヤが、貧弱な街灯のあかりに薄く照らされていた。僕は、そのあかりさえまぶしく、顔をあげて歩くことができなかった。光の届かない、真っ暗な路地に逃げ込んで、そのままどす黒い影にまぎれてしまいたかった。
あれから8年が経った。名古屋でアイドルイベントの仕事が入ったので、自然と彼のことが頭に浮かんだ。
僕は去年までガラケーだったので、誰のSNSもほぼ見ずにいままで暮らしてきた。彼がSNSをやっているかどうかはわからなかったが、行きの新幹線で探してみたら、彼のツイッターが見つかった。
彼は、相変わらず絵を描いていた。しかも、画力もおもしろさも、さらに磨きがかかっていた。
彼のネタを初めて見たときの気持ちを思い出した。ツイートには、一枚の絵に、ひとこと添えてあるだけ。でもそれが、すべて笑いに向かっていた。
ただ絵を描くのが好きで、かまぼこ板に絵を描いているだけの僕なんかとわけが違う。彼は芸人をやめたが、そんなことは関係なく、いまでも人を楽しませるために、笑わせるために絵を描き続けていた。
前のめりになって、一気にすべての投稿を見た。そして、彼の電話番号にショートメールを送った。
待ち合わせは、名古屋レニーリミテッドというライブハウスのすぐ近くの喫茶店。待ち合わせ時刻ちょうどに現れた彼は、ベレー帽をかぶっていた。
アイスコーヒーをすすりながら、たがいの近況報告をする。彼は現在、放送作家やテレビ番組のADをしながら絵を描いていて、バイトはしていないと言う。
僕は、
「遅ればせながらスマホに変えて、LINEを始めました」
と少し照れながら伝えた。すると彼は、
「これみんな知らないんですけど、QRコードの簡単な出しかたあるんすよ。アイコン長押しすると、ほら」
と言って、器用に左手でスマホを操作してみせた。
ああ、そうだ。彼は左利きだった。
彼は、かつて芸名を「サウスポー吉富」にしようとしていた。それを姓名判断が得意な祖母に相談したら、
「これは画数が悪い。でも、3画減らせば非常にいいから『サスポー吉富』にしなさい」
と言われたというエピソードを思い出した。
サスポー。意味不明な言葉が、頭の中に響きわたる。
ベレー帽をかぶったサスポーが訊く。
「まだシモキタ住んでるんすか?」
僕はこらえきれず、笑いながら大きくうなずいた。
このコラムの著者であるピストジャムさんの新刊が10月27日に発売されます。
書名:こんなにバイトして芸人つづけなあかんか
著者名:ピストジャム
ISBN:978-4-10-354821-8
価格:1,430円(税込)
発売日:2022年10月27日
ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。