エキマエシネマ
シモキタの街を歩いていると、思い出がたくさん落ちている。ぜんば商店という駄菓子屋があった先の路地とか、志賀医院の交差点とか、駅前の三菱UFJ銀行のATMの前とか、レシピシモキタの裏とか。
あげ出したらキリがない。もう23年以上この街に住んでいるのだから、街のいたるところにそういう場所がある。
ふだんは見て見ぬふりをしている。そうしないと生活がまともにできないから。
においや音楽で記憶がよみがえるのと違って、道端に落ちた記憶は向こうから主張してくる。時間に余裕があって、ひとりのときは「気づいているよ」と話しかけて拾いあげるようにはしている。
でも、そうして拾いあげると、すくったそばから溶けて手の中から消えてしまう。僕にしか見えていないものだとわかっているから、消えてなくなったことに驚いて道端でうろたえるわけにもいかない。
アピールしてくるくせに、こちらが触れると消えてしまうなんてどういうことだと最初は思っていたが、回数を重ねるうちに理解できてきた。それは、成仏に近い現象だとわかった。そうして消えた思い出は、もう現れない。
たいていのものは実体を持たず、街角でぼんやりと光っているだけなのだが、たまにはっきり映像で目に見えるときもある。はっきりといっても『スター・ウォーズ』のR2-D2が映し出すホログラムのように、荒く透けている映像なのだが。
その映像は誰が撮影したのかわからないが、僕自身も映っている。しかも、この映像になった思い出はその場所に焼き付いているのか、触れてもけっして消えない。
ぜんば商店の先の路地の光景が、まさにそれだ。ケントとウッチャンがしゃべっていて、そこに僕もいる。
ケントは彫りが深い濃い顔で、ウッチャンは薄いさわやかな顔。服装も、ケントはゆったりしたパーカーに太いパンツを合わせたスケーター系のファッションなのに対して、ウッチャンは細身のモード系のファッション。テニスが得意だと言うウッチャンには華があったし、ケントの目の奥には知的なきらめきがあった。
そんな対照的な二人が、学園祭で漫才をするらしい。僕は、その話をとなりで聞きながら、おもしろいネタができそうだなとわくわくしていた。
路地に立ち止まり、そのなつかしい映像を眺める。南新宿のケントの実家に、なぜか泊まったことを思い出して、ひとりほくそ笑む。
彼が出演するダンスイベントを観に行ったこともあったな。確か、あれは新宿のコマ劇場の上だったか。まさか、あの仲間から区議会議員が出るとはな。
ケントのことは、いまでもよく思い出す。彼と話すのが楽しかったんだろう。
最後に会ったのはいつだったか。もう20年以上経つかもしれない。
志賀医院の交差点には、道路標識のほかに「鎌倉通り」「下北沢駅」と行き先を示す標識が立っている。その標識には、キャップをかぶった少年の顔を黒いドットで描いたステッカーが貼られていた。
その絵がかわいくて、ひと目で好きになった。それからシモキタを歩きまわるたびに、そのステッカーがほかにも貼られていないか探すようになった。
「このステッカー、ほかにも貼ってあるとこ三つ見つけてん」
標識の下で、僕が誰かに自慢げに話している。不思議そうにステッカーを見上げる女性の後ろ姿だけが、映像に映っている。
これも、たぶん20年くらい前の話。誰なのか名前も思い出せない。
本当にそんなことあったんだろうか。自分を疑う。
駅前の三菱UFJのATM。その前の道路に、仰向けになって寝転んでいる男がいる。
まわりには誰もいない。朝5時すぎ。
男は、白む空に向かってTheピーズの「生きのばし」という曲を気持ちよさそうに歌っている。ずいぶん飲んだんだなあ。
そいつは、25歳の僕だ。いまでも、そのATMにお金をおろしに行くと、道路に寝転がって歌う僕がそこにいる。
あのとき、ピーチボーイというロックバーを同じタイミングで出たはずのパチョは、いつのまにかいなくなっていた。もしかしたら、またピーチボーイに戻ったのかもしれない。そう思いながら地面に座り込んだ。
パチョは坊主頭にハンチングをかぶり、たっぷりひげをたくわえた、いかつい見た目だった。酔うとほおをふくらまし、宍戸錠さんの顔まねをしてくるかわいらしい一面もあったが、体格もいいのでいかついことに変わりなかった。
同い年なのに、こちらが悔しくなるほどの男の色気をすでに身にまとっていた。全身にタトゥーも入っていたが、入れ墨は隠すものという美学を持っていて、けっして人に見せびらかすようなことはしなかった。そういうところも彼のかっこいいところで、魅力的だった。
彼は、ピーチボーイのマスターを「アリさん」と呼び、慕っていた。いまさらだが、アリさんというのは名字が「有田」とか「有村」だったから、そう呼ばれていたのだろうか。聞き忘れてしまった。
いや、そういえば、そもそもパチョの本名を知らない。あんなに頻繁に会っていたのに。秋田県出身の彫り師ということしかわからない。
一度だけ、彼が描いた和彫りの絵を見せてもらったことがある。それは、お世辞抜きにすばらしかった。
生首を手に持つ鬼が描かれたグロテスクな絵だったのだが、生きた線に美しいグラデーションで彩られた色付けがされていて圧倒された。あのとき、彫り師とは人の体をキャンバスにした絵描きなんだと感じ入った。
レシピシモキタの裏の路地では、俳優の三浦誠己さんの映像がいつも流れている。こがけんとネタ合わせをしていたら、三浦さんが通りがかって
「頑張れよ」
と声をかけてくれた。
あれは13年前。うれしかった。
先日、信じられない連絡が来た。シモキタの映画館K2でアンコール上映されるピース又吉さん原作の『劇場』のアフタートークイベント。それに僕の出演オファーがあると言う。
そんなことあるわけがない、何かの間違いだと思っていたら、三浦さんが僕を指名してくれたらしい。思わず、胸が熱くなった。
三浦さんを初めて見たのは、2003年。当時、三浦さんは吉本のピン芸人で、初めて見たとき三浦さんは野球のユニフォーム姿だった。
三浦さんと初めて話したのは、2009年。千原ジュニアさんの引っ越しを手伝った翌日に、ジュニアさんと三浦さんと三人で買いものに行った。
そのころ、三浦さんはすでに芸人をやめて俳優業をしていた。ジュニアさんの家で飲んだ帰りには、いつもタクシーに乗せてもらって一緒にシモキタまで帰った。
僕が解散してピン芸人になってからも、ずっと気にかけてくださった。恩人だと思っている。
シモキタには、三浦さんの映像が流れている場所がまだほかにもある。書きたいことが山ほどあるが、続きは次の日曜のトークイベントで話すことにしよう。
11月20日、13時20分。シモキタエキマエシネマK2に、ぜひお越しいただいて、続きの話を聞いてほしい。
このコラムの著者であるピストジャムさんの新刊が10月27日に発売されました。
書名:こんなにバイトして芸人つづけなあかんか
著者名:ピストジャム
ISBN:978-4-10-354821-8
価格:1,430円(税込)
発売日:2022年10月27日
ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府出身。慶應義塾大学を卒業後、芸人を志す。NSC東京校に7期生として入学し、2002年4月にデビュー、こがけんと組んだコンビ「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビで結成と解散を繰り返し、現在はピン芸人として活動する。カレーや自転車のほか、音楽、映画、読書、アートなどカルチャー全般が趣味。下北沢に23年、住み続けている。